ロジックール・ライブラリー【解決編②】

「じゃあ、さっき明らかになった重大情報を一つ。図書室にあるエアコンの設定温度を上げるボタンから蕨野さんの指紋が、下げるボタンから良雪さんの指紋が、それぞれ検出されたって。、指紋はその後に付いたものだろうね。この事実から、和田さんの無実が証明されます」

 ずっと俯きがちだった和田が僅かに顔を上げた。ほんのり安堵感が見て取れる。

「エアコンに良雪さんの指紋が付くためには当然それに触らなきゃだけど、蕨野さんも吉村さんも和田さんも、そんな良雪さんの姿は見ていない。となると、としか考えられないよね。殺されていたらそんなことはできないから、和田さんは犯人じゃない」

 蕨野と和田が共謀して良雪がエアコンに近づいたことを黙っているというのは、流石に理由が意味不明すぎるため考慮しなくてもいいだろう。

「これで容疑者は残り二人。蕨野さんと佐川さん。奇しくも友人同士が残るという残酷な状況になっちゃったね。それはそれとして、ここで一つの疑問が浮かぶわけです。良雪さんはいつエアコンに触れたのか? では、晴れて無実が証明された石田さんに、さっき私がした質問をもう一度ここでするよ。石田さんが図書室を訪れたとき、エアコンから死にそうな音……

「う、うん。鳴ってたよ……今思うと明らかにうるさかったもん。さっきも答えたけど」

「だそうです。良雪さんは和田さんが図書室を出てから、石田さんがやってくるまでの間にエアコンの設定温度を下げたんだろうね。ここで佐川さんにも駆動音のことを訊けばさらに時間が絞れるけど、鳴ってなかったって答えるに決まってるからやめておくよ。ぶっちゃけそこはそんなに重要な情報でもないからさ」

 こいつらに語る必要がないためアスマは端折っているが、実は前段階の推理があった。


 指紋の照合結果を図書室で待っていたとき、あたしはアスマに尋ねた。

「なんでいきなりエアコンに目をつけたわけ? 誰も注目なんてしてなかったのに」

 アスマはカウンターの椅子に座ってだらだらしながら、

「別にいきなりってわけじゃないんだけどね。昨日の時点で変だなとは思ってたから。けど事件には関係ないと思ってたし、容疑者の人たちの話もあんまり真剣に聞いてなかったから流しちゃってただけ」

「どういう理由なの?」

「死体を発見したとき、

「そういえば、そんなこと言ってたわね。それが?」

「エアコンが動いてから一時間半くらい経ってるのにその温度ってことは、良雪さんがきた時点ではもっと暑かったと思わない? そんな場所でのんきに漫画なんて読んでいられるかな。私には無理」

「たったそれだけのことで良雪が設定温度を下げたと睨んだの? 閃きここに極まれりね」

 呆れながら言うと、アスマがむっとした表情になる。

「失礼しちゃうなあ。閃きタイプって言ったのは私だけどさ、今回に関しては推理してるんだよ? 石田さんの証言がおかしいなって」

「あいつ、何か変なこと言ってたかしら?」

 思い返すけれど、特に妙な発言はなかった気がするが……。

「図書室のエアコンが肌寒かったから早めに出たって言ってたじゃん」

「そんなの、単にエアコンが苦手なだけでしょう」

「ミノは知ってるかわからないけど、昨日私たちがここにきたときのエアコンの設定温度は二十八度だったんだ」

「駆動音も静か──あくまでも相対的にだけど──だったものね。二十八度以上なのはわかっていたわ」

調

「……あ」

 アスマが設定温度を一度下げたとき駆動音がうるさくなっていた。ああなるのは二十七度からなので、まあそうなのだろう。

「石田さんはエアコンのすぐ真正面で、平気な顔で後ろからガンガン風を受けていたんだよ。それでも図書室を肌寒いと感じていたということは、と考えたわけです。容疑者の人も設定温度を下げたこと黙っておく必要もなさそうだし、一番可能性があるのは死人に口なしの良雪さんかなって」

 暑がりでずっとエアコンのことばかり気にしていたアスマだからこそわかった事実というわけだ。


 そして今、容疑者最後の絞り込みが始まろうとしている。アスマはやる気のない表情で一同を……というより蕨野と佐川を見ながら、

「この話で重要なのは、良雪さんがエアコンの設定温度を下げたことじゃなくて、

 上げるボタンに付いていた指紋は蕨野のものだけだった。

 全員の視線が一斉に蕨野に注がれた。彼女は表情を僅かに強張らせながら身を縮こまらせる。

「事件と無関係なら話していたと思うから、きっと関係あることだったんだろうね。……では問題です。蕨野さんはどうしてそのことを言わなかったのでしょうか?」

 急に問題スタイルに切り替えるアスマ。おそらく喋るのが面倒になったのだろう。

 佐川がおずおずと手を挙げ、

「エアコンは和田先輩が去った後に良雪さんが点けたんだよね? だったら、それを結華が話したら和田先輩が容疑者じゃなくなってしまう。に黙っていたんじゃないかしら……」

「だとしたら、酷いな」

 和田が苦々しい顔で呟いた。一方の蕨野は恐れを抱いた表情で佐川を見つめている。

「それはつまり、蕨野さんは良雪さんがエアコンをいじるのを見ていたということ?」

「そりゃあ、見ていないと誰が設定温度を下げたかわからないから、そうでしょうね」

 佐川は慎重な表情でアスマの質問に答えた。

「仮に下げたのが私や佐川さんの場合、それを刑事さんに喋ったとき嘘がバレちゃうもんね」

 メンタルが戻ってきた石田が天井を仰ぎながら賢ぶって言った。

 アスマは腕を組んで仰々しく頷くと、軽い調子で告げる。

「ふむふむなるほど。けど、オーケー?」

「は!? ちょっ、どうしてそうなるの!?」

 佐川は椅子から立ち上がって机から身を乗り出しながら叫んだ。

「だってそうでしょ? 蕨野さんが犯人で、被害者が設定温度を下げるのを見たのなら、。それならエアコンのうるさい駆動音を聞いたって証言が出てきても、事前に自分で下げて自分で戻したって自己申告しておけば何の問題もなくなるもん。犯行は突発的なものだけど、犯人は指紋をかなり警戒してるし。蕨野さんにはそれをする時間も思いつく時間もたっぷりあったはずだよ」

 全員がアスマの殺人事件の話をしているとは思えない、のほほんとした弁舌に吸い寄せられるように聞き入っていた。

「指紋を改変しなかったのは、蕨野さんが私たちと同じタイミングで死体を発見しちゃったせいで、それを行う暇がなかったから。殺しておいて死体を知らないわけがないし、犯人は消去法で佐川さんってことになるの」

 全員の視線が、蕨野から一転して佐川へ向けられる。彼女はそれを気圧されながらも口を開いた。

「そ、そんなわけないじゃない! 結華がエアコンに触る良雪さんを見たって仮定が間違ってるのよ、きっと!」

「へ?」

 あっさり引き下がったアスマに佐川から間の抜けた声が漏れる。

「そもそも、警察が図書室の指紋をどこまでの範囲調べるかなんてわかるわけがないもん。結果的にはさっきまで調べられてなかったけどね。エアコンに被害者の指紋が残ってる状態でそんな嘘を吐くなんて、犯人だろうとなかろうとリスクが大きすぎる。だから蕨野さんは良雪さんを見てなかったんだよ」

 先走った佐川は呆然としながら椅子に座り直すと、咳払いをしてアスマに先を促した。

「蕨野さんは設定温度をいじる良雪さんを見ていなかった。さっき佐川さんも言ってたけど、見てないなら設定温度を戻したことを黙っているリスクは大きいよね。和田先輩に設定温度を下げる暇がなかったのは知っているにしても、それでも良雪さん、佐川さん、石田さんの三択。黙っておくことで、下げたのが死んだ良雪さんなら容疑者に和田さんが加わってラッキーだけど、他の二人なら嘘が露呈する可能性があって、そこに警察指紋採取問題が加わるとなると……黙るのは部の悪い賭けどころじゃない。それでもなお黙っていたのは? では、纐纈さん。お答えください」

「うぇっ、私!?」

 突然指を差され、完全に気を抜いていたらしい纐纈がたじろぐ。

「こういうの苦手だから存在消してたのになあ」

「怜奈さん、ファイトです」

 自信なさげな纐纈に先ほど大暴れした陣内がエールを送った。

「えっと……何か、蕨野さんには賭けに勝てる勝算があったってことかな。つまり、三択からさらに予想ができた」

「設定温度を下げたのが良雪さんだと読めていたということですか。でも、それって……」

 陣内が即座に気づく。アスマも疲れているようだし、ここはあたしから説明しよう。

「それだとさっきと同じなのよ。良雪だと決め打ちできるくらい予想がついていたなら、エアコンの指紋を自分のものに変えていたはずよ。これだとまた犯人が佐川ってことになるし、警察に指紋を採取されて終わる可能性も捨てきれない。間違いよ」

「だから苦手なんだってば……」

 そう言いながらもどこか悔しげな纐纈であった。

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