検分

 時刻は五時半ジャスト。図書室の最奥にて絞殺死体を発見。

 名も知らぬ女子生徒の遺体の右手首から手を離そうとしたところ、指先が赤く染まっていることに気づく。よくよく観察してみると、五指の爪に僅かながらも血が付着していた。

 あたしはポケットからスマホを取り出し、ライトを点けて机に伏せる遺体の喉を照らす。覗き込むようにして見ると、無数の引っかき傷ができていた。

 紐状の凶器で首を絞められた際に、被害者がそれを引き剥がそうとして喉元を何度も引っ掻くことがある。これはその痕……いわゆる吉川線よしかわせんだ。爪の血はそのときに付いたのか。

「これ、もとの場所に戻しておいて」

 あたしはアスマに持っていた本を押し付けると、勢い込んで図書室を出る。直前にちらりとカウンターに座る蕨野を見やったが、先ほどと同じようにイヤホンを耳にしたまま勉強道具を片付けていた。

 すぐ隣の開け放たれた新聞部の部室へと足を踏み入れる。突然の闖入者に部員一同が驚き、代表で纐纈が口を開いた。

「か、桂川さん? どうしたの?」

「図書室に絞殺死体があったわ。教師に伝えて警察に連絡して」

 当たり前だが全員が驚愕した。

「え!? いや、え!? 嘘……じゃないか。桂川さんたちなら……」

「そう。あいにくとガチ。というわけで、他の部員は教師が動くまで学校の外に出ようとする輩を引き止めなさい」

「そ、そんなに死にたてほやほや、なの……?」

「そこそこ時間は経ってそうだけど、念のためよ。……あんたたちは放課後ずっとここにいたの?」

 全員が緊張感に包まれた表情で同時に頷いた。

「なら、あんたたちも警察に話を訊かれるでしょうから、心しておくことね。それから纐纈。警察がくるまで教師陣も図書室に入れないよう進言して、抑え込んでおいて。あいつら邪魔だから。誰も学校から出るなってアナウンスもかけさせなさい」

 あたしは新聞部一同が動き出すのを見届けると、図書室に戻る。カウンターにて蕨野はイヤホンを外していた。

「桂川さん、もうそろそろ図書室を閉めたいんだけ──」

「あんたは放課後、ずっとここにいたってことでいいのよね?」

 喋りかけてきた蕨野を無視して尋ねる。彼女は訝しげに首を傾げた。

「そ、そうだけど……?」

「図書委員は二人体制のはずだけど、もう一人は?」

「親に呼び出されたとかで、図書室にきてすぐに帰った」

「そう。あんたたち図書委員二人とあたしたち二人を除いて、今日の放課後、この図書室にきたのは何人?」

 蕨野は垂れ下がった長い髪を耳にかけると、流石に不審そうに顔をしかめる。

「ねえ、何かあったの?」

 本当に知らないのか、知らないふりをしているだけなのか。エスパーではないのでどちらなのかはわからない。

「ついてきて。見せた方が質問もしやすいわ」

 蕨野がカウンターから出るのを待って、リボンを緩めて襟を摘んでパタパタ扇ぐアスマの立つ図書室の最奥へと連れていく。机の上に突っ伏す女子生徒の姿を見た蕨野はきょとんと首を傾げた。

「……良雪りょうせつさんがどうかしたの? 起こせってこと?」

「こいつ良雪って名前なのね」

「良雪千紗ちささん。一年のときクラスメイトだった」

「死んでるのよ。誰かに首を絞められて殺されたみたい」

「は……?」

 仕方のないことだが、蕨野は目を見開いて愕然とした。あたしと遺体に何度も視線を行き来させる。

「だからどこにも触るんじゃないわよ」

 あたしの忠告に蕨野は小さくこくこくと頷いて両手を後手で組んだ。

「で、さっきの質問……いえ、ちょっと変えましょうか。この良雪がきたとき図書室には何人いた? その後に何人やってきた?」

「良雪さんは図書室を開けてすぐにきたから、訪れたタイミングでは私ともう一人の図書委員がいただけだった。司書の先生は今日休んでいたから」

 司書教諭、休み時間で留守だったのは休んでいたからか。まあそれはそれとしてよく留守にしているが。

「それから?」

「三人きた……。全員、名前もわかる」

「もっと詳しく掘り下げたいけど、時間が惜しいから大事なところだけ訊くわ。その三人のうち、一人目がきて以降に良雪の姿を見た?」

 蕨野は首を横に振った。……ということは、容疑者はその三人と目の前の女子の計四人ということか。

「意外と早く解決するかもね」

 アスマが他人事のような口調で呟いた。確かに、容疑者四人で名前もわかっているとくれば警察としてはありがたいだろう。

 蕨野がアスマに視線を向けていて、紹介していなかったことを思い出した。

「この変なのは遊間薫子よ」

「変なのでーす」

「はあ……。蕨野結華。よろしく」

 その名前にアスマが眉をひそめた。腕を組んで考え込むように唸りながら首を傾げる。

 蕨野はそんなアスマの様子に困惑しながら、

「ど、どうかした?」

「うーん? 蕨野さん……なんか名前を聞いたことあるような、ないような? ……ないかも」

「柘植の彼女よ」

 横から教えてやると、アスマは得心いったように手を打った。

「あー、はいはいはいはい」

「あなたたち、どうしてそれを……?」

 秘密になっているであろう関係性を知るあたしたちに蕨野が驚く。

「あいつが一世一代の告白をする場にいたからよ」

 蕨野がはっと息を飲んだ。あたしたちの顔を何度も見てくる。

「そっか……そうだった。二人はあのときの……」

「蕨野さんは殺人が行われたことを何も知らなかったの?」

 アスマが良雪の遺体を見ながら尋ねる。いきなり話を戻された蕨野はぎょっとしながらもすぐに顔を伏せ、

「音楽を聞きながら勉強をしていたから……。本棚せいでカウンターの死角だし」

 ここは裏庭側の本棚の列の最後尾のさらに後ろにあたる場所だ。見えるわけもない。尤も、見えないことと知らないことは別だが。

 あたしはバッグの中から手袋を取り出して装着する。極力触るつもりはないけれど、一応だ。

「ミノ……冬でもないのに手袋常備してるんだ……」

「こんなこともあろうかとね」

「そんな想定をするって、嫌な女子高生だね」

 反論のしようもない。

 死体を改めて観察する。身長はあたしくらいだろうか。ただ、それなりに筋肉のあるあたしと違って細身なようだ。首を絞めるのは簡単だっただろう。

「なんか、下に本があるね」

 アスマがどうでもよさそうに呟く。確かに、遺体の胸と机の間に一冊の本が挟まっていた。文庫本にしては大きく、四六版にしては大きい。おそらくコミックス……漫画の単行本だろう。机の上には他に何も置かれていない。

 黒いリュックが遺体から見て椅子の右脇に置かれていた。チャックが閉じているため中身は伺えない。あたしは屈み込むと、遺体のスカートのポケットに指を突っ込む。ハンカチが入っているだけのようだ。……珍しいわね。女子の制服にポケットはこの一箇所だけなので、女子生徒は基本ここにスマホをしまっている。リュックに入れているのか、それとも犯人が持ち去ったのか。

「あっつい。……うわ、三十度もあるじゃん」

 近くの温度計を見てどうでもいいことをアスマが呻く。本棚の列が邪魔で涼風が奥まで行き届かないのだろう。エアコンの性能も低いうえに図書室も広いため仕方のないことだ。

 ……ん? 屈み込んだことで机の下がよく見えた。黒い延長コードのようなものが落ちている。コンセントなど見当たらないので不自然極まりない。

「蕨野。あれ、普段はどこにあるかわかるかしら?」

 蕨野はびくびくしながらしゃがむと、あたし の指差す延長コードを見て目を細めた。

「戸棚にしまってある。こっち……」

 そう言って案内されたのは、西側……裏庭側の壁際だった。背の低い本棚に混じって戸棚が置かれている。その戸棚が僅かに開いていた。

 その隙間から中を覗き込むと、ビニール紐があった。気になったのは、そのビニール紐がゴテゴテしたコブ結びを形成したまま切断されていた点だ。

「あれで延長コードをまとめて括っていたのだけれど……」

 なるほど。まず間違いなくあの延長コードが凶器と見ていいだろう。犯人はぎっちりしたコブ結びを解くのが手間と考えたのか、ハサミで括っていたビニール紐を切ったのだ。その切り口らしき部分はあまり綺麗ではなく、萎んでいるような潰れているような形状になっている。刃を通す部分がなくて、ハサミの先を押し付けて何度か刃を開閉させるようにして切った……と言ったところかしら?

 カウンターの方を向く。本棚の列がブラインドになっていて見えなかった。蕨野視点では凶器を確保する犯人を捉えることはできない。

 アスマがふらふらとエアコンの前に引き寄せられていく。……推理面に関してはともかく、相変わらず捜査そのものには役立ちそうもない。

「蕨野はハサミ、持ってる?」

「持ってないけど」

「図書室にはある?」

「ええ。カウンターの引き出しに」

「それ、今日誰かに貸した?」

「貸してないわ」

 まあ借りたハサミを使うわけないわよね。

 外からパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。どんどん近づいてくる。

 現場検証はここまでかしらね。明月や十塚相手なら図々しく現場に居座ってもいいが、知らない警察官相手ではトラブルになるかもしれない。

「出ましょうか」

 二人にそう声をかけ、あたしたちは死体の残された図書室から出た。

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