あぶない花壇【解決編】

 学生も教員も消えた夕方の四ツ川高校の本棟校舎。一階と二階を繋ぐ階段を小柄で目出し帽を被った女子生徒が下りていた。上履きを脱いでおり、足音を極力立てないように注意しながら動いている。表情は見えずとも、緊張しているのが全身から伝わってきた。

 彼女は階段を下り切ると、角から顔を覗かせて廊下に誰もいないところを確認した。窓の外から見られないように身を屈めて廊下を進み、職員室の正面で止まる。ゆっくりと膝を伸ばし、窓から中を覗き見た。室内には誰もいない。

 少女は緊張の中、目出し帽の奥で僅かに笑みを浮かべる。そして恐る恐るといった様子で引き戸に手をかけた。扉がすんなりと開き、ひらりと職員室に滑り込んだ。

 デスクだらけの広い部屋を少女はやや足早に歩き回る。何かを探すように周囲に視線を巡らせるも、目当てのものが見つからないのか徐々に歩調を緩め、最終的に立ち止まった。がっかりしたように肩を落とす。

 それから目出し帽の口部分を摘んで深呼吸して、意を決したようにデスクの一角へと向かっていく。そのデスクの前で立ち止まり、ゆっくりと引き出しの一つに手を伸ばした。

 引き出しを引っ張ると、中には大量のクリアファイルと書類が入っていた。少女はそれらを素早く漁っていく。そして……、

「ほお。マジじゃねえか」

「……っ!」

 中庭側の窓が開き、そんな声が聞こえてきた。


       ◇◆◇


「ほお。マジじゃねえか」

 立ち上がった佐渡原先生が窓を開けてやや感心したように言った。しゃがみ込んでいた私と夏目さんも立ち上がって職員室を覗くと、目出し帽を被った小柄な女子生徒がこちらを見て硬直している。

 彼女は慌てた様子で身を翻して逃げようとするけれど、

「園芸部の菊瀬舞ね」

 扉から現れたミノに名前を指摘され、びくりと身体を震わせて立ち止まってしまった。

 菊瀬舞さんとは、とっくに帰ったことになっていた園芸部員だ。

 彼女は観念したように目出し帽を外した。ショートカットの童顔が露わになる。……いや、素顔を見ても面識ないから彼女が菊瀬舞さんかはわからないんだけどね。

「嘘……本当に、舞だなんて……」

 隣で夏目さんが愕然としながら呟いたので菊瀬さんなんだろう。

 ミノは職員室に足を踏み入れることなく佐渡原先生に指示を飛ばす。

「外にいる連中を招集しなさい。茶番は終わりよ」


 麻探しをしていた人々が戻ってきた。そして佐渡原先生が教頭先生に菊瀬さんが職員室に忍び込んでいたことと、他の園芸部員もそれに関わっていることを伝えると、舞台は生徒指導室に移された。

 部屋には生物部三人衆と園芸部員、教頭先生に生徒指導兼犯罪者の神谷先生、そして帰りたそうにしている保健所職員さんが集っている。そのうち、夏目さんを除いた園芸部の面々は一列に立たされていた。みんなして俯き、後悔の表情を浮かべている。

 ミノは扉に背を預けて腕を組みながら、

「結論から言うと、麻を植えたのはこいつらよ。自作自演で麻の発見者を装い、学校に保健所を介入させて自分たちの帰宅時間を遅らせ、ばら撒いた麻を探すという名目を与えて職員室に残っている教員をそれに動員させる……。その隙に乗じて校舎に隠れていた菊瀬が職員室に忍び込む。

 このテスト勉強期間、生徒は四時半に帰らなくてはならない。理由もなしにそれ以上学校に留まっては怒られてしまう。そして教職員は大半が五時半には帰宅するらしい。

 生徒が職員室に侵入するには一時間をどこかで消費しつつ、残っている先生に見つからないようにしなければならない。先生が全員帰ってしまえば当然鍵がかけられるので、その前には潜り込む必要がある。……難しそうな話だけど、要は何か理由を作って残っている先生全員に外に出てもらえばいいのだ。それが難しいと言われればそうなんだけどね。

 生半可な理由で少ないとはいえ残っている教師全員を動かすなんて、よほどのでも起こさなければ無理だろう。そこで選ばれたのが、麻というわけだ。

 大麻の原料という、公立の進学校の敷地内に生えていたら間違いなく不名誉である植物。それを自分たちが管理している花壇で発見してしまった園芸部は、怖くなってどう始末をつけるか部内で揉めてしまう。その結果、下校時刻から一時間以上も遅れてしまったけど、事情を知った教師陣は叱るより何より保健所に連絡することになるはずだ。最初に発見したがゆえに、少なくとも保健所職員さんがくるまでは学校に留まることになるだろう。そして職員さんがきたら、部員の一人が「他の場所でも見た記憶がある」とそこへ案内する。

 当然、他にも麻があるんじゃないかという話になり、自分たちも探すと協力を申し出る。教師としては間近にテストを控えた学生だけにそんなことを任せられるはずもなく、残っている教師も動員して手早く終わらせたいはずだ。他の生徒はとっくに帰っている時間であるため、職員室が無人になる可能性は、それなりに高いだろう。

 以上が、彼女たちのシナリオである。簡単に言うと火事場泥棒の亜種。火の代わりに麻を使ったという感じかな。でも放火を自分たちでしているあたり、より悪質だけれど。

 ミノが気にしていた麻を目立たない場所に植えながらも複数本用意していたのは、先生たちに探させて時間稼ぎするのが目的だったのだ。実際に見つけさせる必要はないから二本だけでも十分なんだけど、生育環境が不安だったから保険で何本か植えたんだと思う。

 何というか、麻の始末を巡って揉めてるところからして微妙におかしくて、麻がもう一本あるかもしれないと証言するところもなかなかに変で、自分たちも探しますなんて提案するのは明らかに不自然だ。しかもテストが近日に迫ったタイミングで。ここまでくれば流石に目的が読めてくる。

 でもこれらを全部見ずに途中で気づいたミノも、何だかんだ凄いなあと思う。

「君たちは、麻の種をどうやって入手したんだい?」

 中年の保健所職員さんが尋ねた。仙洞田さんが暗い面持ちで答える。

「去年卒業した先輩が部室に置いていきました。その先輩は北海道にいる親戚からもらったと言っていました」

「ふむ。北海道にはまだたくさん麻が自生しているから、そういうこともあるか」

 ミノ曰く、麻の種を所持することは何も問題ないらしい。七味にも含まれているし。ただ、栽培するには免許が必要みたいだけど。

 神谷先生が大きくため息を吐いた。

「まったく……。お前らは自分が何をしたかわかってるのか!」

「あんたは黙ってなさい」

「な、なに……!?」

 聖職者面して怒る神谷先生をミノが冷たく突き放した。そして園芸部員たちに向き直り、

「あんたたちのことは愚かとしか思わないけれど、でもどうしてこんな計画を立てたのかはわかるわ。

 みんなしてこくりと頷いた。……どういうこと? と思っていると、ミノが説明してくれる。

「運が絡む要素が多すぎるのよね。テスト勉強期間の前に麻が発見されても失敗。教師に問答無用で家に返されても失敗。教員が一人でも職員室に残っていても失敗。職員室に鍵がかけられても失敗。問題用紙ないし解答用紙が発見できなくても失敗……。本気でカンニングするつもりなら、もっと確実性のある方法を求めたはずよ」

 そういえば、犯人は失敗しても構わないという考えのもとで行動しているんだった。言い換えれば、別に上手くいかなくてもいい、ということ。確かに、目的の遂行意識の低さが伺える。……そうなると、ある程度育てた麻を植えなかったのは、それをやってしまうとガチ感が出てしまうからか。先ほど火事場泥棒に例えたけど、実際文字通り火事を起こた方が確実だったとは思う。ただ、そこまでやるほどではなかった、ということかな。

 菊瀬さんが苦々しい顔で口を開く。

「思いついたのは私です。軽いノリでみんなに話したら、無理に決まってるって笑い話になって……私自身もそうだろうなと思いました。でも、なんか……やってみようということになったんです。そんな上手く物事が進むわけないから、どうせ途中で麻が見つかって終わるだろうって。そしたら……」

「麻は見つからなかったし、良い具合に残っていた教員を麻探しに動員できてしまったのね。上手くいくかもという誘惑に抗えなかった」

 つまりあれですか。この学校の人間全員ポンコツですよー、とかそいうこと? 間違いないかも。

 園芸部員たちを見ながら保健所職員さんがうんうんと頷いた。

「若気の至り、ってやつだね」

 この方が一番迷惑を被っているのにその一言でまとめてくれるのは、かなり寛大だと思う。

 教頭先生が呆然としている夏目さんに目を向けた。

「彼女はこの件と無関係というのは本当なのかな?」

 園芸部員たちは全員こくりと頷き、ミノもそれに同意する。

「あたしたちを頼る必要性が皆無だし、何も知らなかったと思うわよ」

 教頭先生は納得すると、私たちに早く帰るよう言ってきた。夏目さんを除いた園芸部員にどんな処分が下されるのか、さしたる興味はなかった。


       ◇◆◇


 三人で学校前の坂を下りていく。時刻も、もう六時をとっくに過ぎてしまっていた。ずっと立ちっぱなしだったこともあって、殺人事件に巻き込まれたときよりも疲れた気がする。自然といつもより歩行スピードが弱まり、とぼとぼとした足取りになってしまう。ミノも私に合わせて隣を歩いていた。

 そして、夏目さんはもっと歩くペースが遅く、私たち二人のやや後ろについてきていた。じわじわと距離が離れていく。すると、か細いが飛んできた。

「今さらだけど、職員室に鍵をかけておいたり、佐渡原先生に部屋に残ってもらえば、カンニング行為を未然に防げたんじゃないの?」

 そんな夏目さんの意見に、確かに、と私は手を打った。ミノは立ち止まって振り返り、

「それだとあいつらが麻を植えたって自白を引き出せないでしょう。認めざるを得ない状況に追い込みたかった。麻を植えた奴を突き止めるように頼んできたのはあんたよ」

 冷たい口調で言った。なかなか屁理屈だけど、事実ではあるので夏目さんとしても言い返しづらそうだ。

 夏目さんは暗い面持ちで肩を落としてため息を吐く。

「親が離婚して、色々と怖かったけど四ツ高に転入して、不安だった中でもできた友達だったのに……何でこんなことに……」

 おまけに彼氏は二股しているしね。

 ミノが鬱陶しげに頭を掻いた。

「別に今回の一件で友情が崩壊するってわけでもないでしょう。あんたは運良く巻き込まれずに済んだんだから、ツイていると思いなさいよ」

 お、何という真っ当な意見。しかし夏目さんは面倒くさかった。彼女は自嘲するように笑い、

「運良く……なのかな。私が巻き込まれなかったのは、みんなからあんまり信用されてなかったからかも……。だから秘密を共有してくれなかったんだよ。私を除け者にして、あんな計画立ててさ」

 確かに、会って二ヶ月そこそこの転校生にあの計画を教えるというのは、心理的ハードルがなかなか高いかもしれない。

 ミノは腰に手を当てて眉根を寄せる。

「じゃあなに? あんたもあいつらと一緒に処罰を受けたかったの?」

 夏目さんは僅かに逡巡し、首を横に振った。

「ううん。それは嫌だし、巻き込まれなくてほっとしてるのも事実だけど……でも、複雑というか……。みんなの輪に入り込めてなかったんだなって」

「面倒くさいわね。……気にすることじゃないでしょう。あいつらは若気の至りでまとめて青春破綻者にまで落ちたわ。もうキラキラした学校生活は送れないはずよ。でもあんたは──」

「なに、青春破綻者って……?」

「ミノの造語だよ」

 眉をひそめた夏目さんに教えてあげるけど、しっくりはきていないようだ。ミノはこほんと咳払いすると改めて続ける。

「でもあんたはあいつらの輪の外にいたから助かった。信用されていなかったというのは、まあそうなんでしょうね。だったら、今後はあんたが引っ張り上げればいいじゃない」

 夏目さんが目を開いた。 

「青春破綻者同士で絡んだところで青春は腐って終わるだけよ。それならまだ青春する資格を持ってるあんたが中心になって輪を作ればいい。あの馬鹿どもとまだ友達でいたいならね」

 凄いそれっぽいこと言うじゃん!

 ミノのあまりにも抽象的な言葉はしかし夏目さんの心には染み入ったようで、彼女は決意の表情で立ち止まる。

「私、ここでみんなを待ってるよ」

 私たちはそれに言葉は返さず、彼女に背を向けてそのまま帰路へと戻る。

 いやはや。学校の敷地内に生えていた麻から、まさかこんな事態に発展するとは……という感じだったね、今日は。まさか生徒指導の先生と中心人物さんがねぇ。ほぇー。神谷先生は今も聖職者面して彼女たちを叱っているかな? どういう心理状態なんだろう。

 車が通っていない隙に二人で車道を渡って歩道橋をショートカットする。何となく夏目さんがいた方向を振り返った。

「夏目さん、どうなるのかな」

「あんたが他人の心配をするなんて珍しいわね」

 ミノが意外そうに立ち止まった。私はやれやれと肩をすくめ、

「流石にあそこまで不運だと同情しちゃうよ。あの子、ミノの御高説に感銘を受けていたみたいだけど、あれで上手くまとまるのかな?」

 ミノも夏目さんのいる方に顔を向けた。けどすぐに興味ないとばかりに目を逸らし、こちらをじっと見つめてくる。普通にしていても勝手に鋭くなる眼光が飛んできたので、心の中で華麗に避ける。

 そんなミニゲームはどうでもよくて、私はきょとんと首を傾げた。

「なに?」

 ミノはさっと顔を前に向けると、自虐的に吐き捨てる。

「今日に至るまで友達ゼロの人間のアドバイスが機能するわけないでしょう」

 そうして再び歩き出すミノ。なんだか、私の目にはいつもは孤高なその小さな背中が寂しそうに映った。

 茶化すことでも言ってあげようとも思ったけれど、どういうわけか何も言葉が浮かんでこない。はて、なんでだろう?

 しかし疑問はすぐにどうでもよくなって、私はただ黙って彼女の三歩後ろを付いていくのだった。

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