一年生白組応援団
「とりあえず、ラブレターを発見したときの経緯を教えてくれる?」
あたしがそう頼むと、夏目が小さく頷いた。
「見つけたのはここにくる五分くらい前で──」
というと、あたしが図書室から出たときくらいか。
「私は園芸部に所属していて、放課後になってしばらくは部室で他の部員たちとお喋りをしていたの。それから花壇の手入れをするために外に出ようとしたところで、下駄箱に入っていたラブレターを見つけた。恋人がいることは誰にも話していないから、こういうこともあるかと思って、みんなに隠れて軽く目を通したわ。そしたら身に覚えのないことばかり書かれていて、ちょっとだけ気味が悪くなった。困ったときは狛人を頼るようにしてるから──」
「狛人くんだけに、ってこと?」
アスマの鬱陶しい茶々入れに夏目は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、またすぐに口を動かす。
「狛人を頼るようにしてるから、部員を先にいかせて狛人に相談の連絡をしたの」
「俺は美術部だから時間は自由にあるんだ」
「へぇ、意外ね。てっきり運動部かと思ったわ。筋肉質だし」
「中学まではサッカーやってたけど、もう面倒でな」
「それを言うとミノもなんで生物部にいるんだって感じだけどね」
あたしのパワーを身に沁みて理解しているアスマが肩をすくめながら言った。あたしはそれを無視し、
「それで、柘植はどうしたの?」
「特に何もやってなかったからソッコーで馳せ参じたよ。そこで友達から話を聞いてた二人の手を借りようかなと思ったわけだ。薫子が頭良いのは知ってたしな」
アスマの馬鹿そうなぬぼっとした横顔を見る。頭が良いのはあたしも認めるけど、どこまでもマイページで致命的なまでに物事に対するやる気がないから、明晰な頭脳がなんの意味もないのよね。
「ラブレターが下駄箱に入れられたのはいつなのか予想はつく?」
夏目に尋ねると、彼女は少し黙り込んだ。顎に手を添え、
「昼休み過ぎ……のはず。私、昼休みは校舎の外にいたんだけど、かなり時間ぎりぎりのタイミングで中に戻ったから。そのときには手紙は下駄箱に入ってなかったよ」
自分で訊いておいてなんだが、この情報が役に立つのかは知らない。
不意に夏目がはっと顔を上げた。
「そろそろ部活戻らなきゃ。みんなにだけ花壇の手入れを任せるのは悪いし」
「いっていいぞ。後は俺が聞いとくからよ。何かわかったら教えるよ」
夏目は柘植に頷くと、あたしたちに軽く会釈をして去っていった。
柘植はラブレターをひらひらと揺らし、
「とりあえず、読んでもらった方がいいよな」
あたしはちらりとアスマを見る。動く気はないようなので、仕方なく机をアスマの方へ動かして彼女の机にくっつけた。柘植も椅子を引っ張ってこちらへ移動してくる。
柘植は便箋から手紙を取り出すと、机の上に置いた。アスマとともに覗き込む。
『貴女のことを意識するようになったのは去年のことでした。体育祭の一年生白組応援団で一緒になったとき、大声を出すのも目立つのも苦手そうだったのに、それでも一生懸命に応援の練習をする貴女の横顔に見惚れていました。半年以上も燻らせ続けたこの想い、今ここに発露させていただきます。よろしくお願いします。』
随分と丁寧な字で書かれている。それはもうわざとらしいくらいに。
「めちゃくちゃキモいわね」
「うん。凄いキモい」
あたしたちはあまりにも率直な感想を述べた。柘植が正体不明の人物のフォローに入る。
「おいおい。ひでーこと言うなよ二人とも。この差出人もきっと頑張って書いたんだぜ?」
「いやー……でもこれはキモいよ。言葉のチョイスも言い回しも全部」
「正直このラブレターのキモいところを語るだけで三十分くらい時間を潰せる気がするわ」
それもやぶさかではないが、まあ真面目にやるか。あたしは文面の一部を指差す。
「この『貴女』が夏目を示していないことは間違いないの?」
「ああ。去年の体育祭の一年生白組応援団に香薇はいなかったからな」
一年生白組応援団……。文字通り、白組の一年生から選出された応援団のことだろう。
「二人称が貴女ってことは、ラブレターの送り先は女子ってことだよね。じゃあ差出人は男子かな」
アスマがラブレターに目を落としながら当たり障りのないことを言う。
「一人称は書いていないから、男子と決めつけるのは早計よ」
「そもそも、差出人はどうでもいいんだけどな。宛名が誰かさえわかれば」
「差出人も重要ではあるでしょう。最悪突き返せばいいわけだから」
「まあ、確かにそうか」
「差出人も宛名も一年生白組応援団だったのよね。そこから探ればいいとして、メンバーを知る術はあるの?」
「あるぜ。何を隠そう、俺もその一員だったからな。誰がいたのかは憶えてる。ちょっと書き出してみるわ」
柘植はバッグからノートと筆箱を取り出すと、時折視線を宙にやりながらもメンバーの名前を書き連ねていった。
「まず男子が、俺と赤柴剛、んでもって東山健一、
知ってる名前が何人か出てきたわね。
「このうち阿久津さんに関しては考えなくていいだろうな……。まさかこのときに生まれた三角関係が、あんな悲劇に発展するとは。ちなみに二人のことは赤柴から聞いたんだ」
「そんな裏エピソードはどうでもいいわよ」
「そ、そうか……。で、この中に説明が必要ない奴はいるか? 俺と、とりあえず赤柴と東山は説明不要だよな」
「それなら、林藤もどこの誰かは知ってるわ」
「え、誰だっけ?」
きょとんと首を傾げるアスマ。呆れのため息が漏れてしまう。
「文芸部の部長よ。あんたのクラスメイトでもあるでしょう」
「あー……。それにしても文芸部が三人も応援団になるなんて、なかなかアクティブな人たちだね」
アスマの軽口に柘植が答える。
「応援団になれば出る競技が少なくなるからな。実は運動苦手な奴の狙い目なんだぜ」
「阿久津はそれとは関係なくアクティブだったけれどね。アクティブ過ぎて死んだけど」
この皮肉に柘植は顔を苦々しくさせ、触れることなく話をもとに戻した。
「えっと、そんじゃあ、説明がいるのは木崎と鹿野さん、蕨野さんか。つっても俺も詳しいわけじゃないんだけどな。木崎は、クラスはわかんねえけど剣道部に所属していたはずだ。竹刀を打ち込む度に叫んでるだけあってデカい声が出ていたな。一年生白組応援団の中ではリーダー格だった。鹿野さんはB組だったかな。あれ、薫子と同じクラスじゃないか?」
「ああ、あの子ね」
「絶対わかってないだろうから説明しとくと、陸上部に所属してる子だ。うちの陸上部って、トラック数周すれば帰っていいから部活やる気ない勢の捌け口になってるんだけど、その中でも鹿野さんは真面目に部活をやってる珍しい子なんだ。応援団もすこぶる真面目にやってたしな」
柘植は唇を一舐めして、
「最後、蕨野さんは今はA組で、部活は演劇部だったはずだ。かなり美人だけど演者じゃなくて脚本を担当しているらしい。図書委員でもあるから、図書室なんかにはよくいるんじゃないかな」
クラスメイトなので当然知っている。というかさっき図書室で会ったわね。演劇部というのは知らなかったが。
「にしても、四ツ高の女子って何気にレベル高いよなあ。二人だって可愛いし」
「口説かれたって夏目に言いつけるわよ」
「や、やめてくれまじで」
どうやら柘植はちゃんとアスマの面が良いことは認識しているようだ。それでも手を出したような雰囲気がない辺り、柘植的には性格も重要な要素の一つなのかもしれない。
そんなアスマが手を挙げた。
「思いついちゃったんだけどさ、全員にこのラブレターを出したかどうか尋ねていけばよくない?」
凄まじいまでに合理的な案だが、
「面白くないから駄目よ」
「面白さなんて求めてないんだけど」
「面白いか否かはともかくとして──」
柘植が顎に手を添えながら、
「ラブレターを渡す相手を間違えたなんて、普通は恥ずかしくて認められないと思うぜ。内容までがっつり読まれちまってるし。キモいとか言う奴らもいるからな」
あたしたちは柘植の冷たい視線を素知らぬ顔で無視した。あたしは腕を組み、
「とはいえ、差出人候補に接触しないと手がかりが少ないのは事実なのよね。ラブレターを鑑みるに、宛名の人物は端から見ると応援団の仕事が得意ではなさそうな奴だけど……誰が当てはまる?」
「とりあえず木崎と俺は誰がどう見てもノリノリだったはずだ。東山、林藤さん、阿久津さんの文芸部トリオは苦手そうだったな。鹿野さんも普段は寡黙だし、得意ではないと思う。蕨野さんもクールな文学少女だし、苦手だったかもしれん。赤柴に関しては、目立つのも大声を上げるのも屁じゃないだろうが、他人の応援をするのは嫌いな奴だ」
「赤柴くんだけ最低みたいじゃん」
「みたいじゃなくて、あいつは割と最低だよ。……赤柴以外はみんな真面目にやってたけどな。自分で立候補したんだから当たり前だけど」
女子はみんな手紙の内容と合致する性格ということか。これでも情報は多いとは言えない。
アスマが指を一本立てる。
「でも流石に東山くんと赤柴くんは差出人ではないと信じたいよね。二人とも好きな子にダイナミックな振られ方をしたばかりだし、しばらくは女の子と付き合いたいなんて思えないでしょ」
「そうなると差出人は木崎とかって奴になるのかしらね。柘植でないとしたら」
「俺じゃねえけど、だからって木崎とも言いきれないな。赤柴はもう立ち直ってるぽいし。でも、東山はどうだろうなあ……。手紙には半年以上も想いを燻らせていたってあるから、阿久津さんと付き合っていた東山は差出人に該当しない気はするけど」
「二人が付き合ってたことは有名だったの? 宛名の人物がそれを知らないと踏んでいたら、東山でもあり得るわよ」
ニュースではそこのところは触れられていなかった。
「どうだろな。そもそもそんな目立つ二人組でもなかったし、有名ってことはないはずだけど」
「結局何もわからないってことじゃん」
アスマが肩をすくめて嘆息する。そのとき、部室の扉が開いた。
「おーす。もう帰っていいぞお前らー」
ぼさついた髪に死んだ目をした中年男が入ってくる。生物部顧問の佐渡原だ。あたしは立ち上がろうとしたアスマの左肩を掴んで強引に椅子の上に固定させた。
佐渡原はぽかんとする柘植を一目見て顔をしかめる。
「おいおい、まさか新入部員か? 勘弁してくれよ。ただでさえ面倒なの二人も抱えてるってのに」
「い、いえ、違います。俺はこの二人に用があっただけで……」
柘植は見当違いな心配を即座に否定した。
「あそう」
佐渡原はそれっきりあたしたちと柘植に対する興味を失い、観葉植物への水やりと淡水魚への餌やりをし始める。鼻歌を奏でる佐渡原を柘植は若干引きながら観察していた。
佐渡原が生物部を去ったのは、十分以上も経ってからだった。
「佐渡原先生が変人なのは知ってたけど、ありゃ予想以上だな……」
「あいつのせいで議論がストップしたわね」
あの状態の佐渡原はあたしたちに一切の関心を寄せないので構わず話してもよかったのだが、柘植的には抵抗があったらしい。
「もう帰んないからさ、そろそろ痛いんだけど……」
あたしは依然としてアスマの肩を押さえ続けていた。
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