袋小路の殺人

 四ツ川高校の校舎を俯瞰するとローマ数字の『Ⅱ』のような形になる。右──東側の縦棒が本棟で、一階には二、三年生の昇降口と職員室、用務員室に保健室、その他主に教員が使うような部屋が収まっている。二階は二年生、三階は三年生の教室があって、四階はいったことないから知らない。授業で使う部屋はないんだと思う。

 そして左──西側の縦棒が南棟と北棟だ。南棟には一年生の昇降口と教室に加えて、授業で使われる教室がたくさん収まっている。北棟も同様。それぞれの校舎は全て一階と三階にある渡り廊下で繋がっていて行き来することができる。……実際には校舎はこんな直線的な構造じゃないし、体育館とか食堂とか道場とかもあるから、棒二つ以外の要素も多分に必要なんだけれども。

 今、私たちがいるのは『Ⅱ』の左棒の一番下……南棟の一番南に位置する場所だ。ちなみに屋外。

「あー、なんでこんなことしてるんだろ、私……」

 嘆きながら上部のない小型ケージの上から細長くカットされたニンジンを突き出すと、それをウサギがガツガツと食していく。もう一本をまた別のウサギに与えると、これまた本能のままに貪り食われた。

「さっきまでのやる気はどこへいったのかしら。いい加減慣れなさいよ」

 ミノが壁に並んだ大きなウサギ小屋の掃除をしながら言った。

「面倒なことに慣れちゃったら人生七割損でしょ」

「いいじゃない。これを終わらせたら佐渡原が部室にこなくても部活出席日数にカウントされるんだから。結果的には前よりもずっと早く帰れているわよ」

「そうなんだけどさ……」

 部活出席日数のカウントは、顧問が部室にいる部員を確認するか、目に見えてわかる活動の成果を顧問が確認することで増える。生物部にはこれまでこれといった活動がなかったので、佐渡原先生が部室に現れるまでずっと待っている必要があった。

 しかし四月の頭から状況が変わり、佐渡原先生が六羽のウサギをどこかから引き取ってきた。これによって私たちにはウサギの世話というノルマができてしまったのだ。ミノの言う通り、佐渡原先生は部室にくる時間が遅いから、ウサギの世話を済ませれば今までよりも早く帰宅することができている。けど面倒なものは面倒だった。

「明らかにあんたよりあたしの方が面倒なことしてるんだから、文句言うんじゃないわよ」

 ウサギ小屋の掃除という汚れ仕事をしているミノが苛立たしげに言った。本当は交代制でやるという話になっていたのだけれど、私が駄々をこねたらミノが毎回引き受けてくれるようになったのだ。だから私は毎日ただウサギたちに餌を与えているだけなんだけれども、それでもやっぱり面倒くさい。佐渡原先生が放課後すぐ部室にきてくれれば万事解決なのに……。

「あ、可愛い!」

 本棟の方から女子の声が聞こえてきた。振り向くと、二人の男女がこちらに歩いてくる。女子生徒の方が私の隣に屈むと、ウサギの一羽を撫で始めた。

「どうして遊間さんがウサギの世話をしてるの?」

 どうやら彼女は私のことを知っているらしい。私は知らないけれど。

「生物部だからね、私」

「へぇ、意外。そうだったんだ。この子たちに名前とかあるの?」

「ぴょん吉、ぴょん子、ぴょん美、ぴょん太、ぴょん奈、ぴょん夫」

 それぞれに指を差しながら今二秒で考えた名前を口走った。ミノが呆れたような目つきで私を見てくる。

桂川かつらがわさんも生物部だったんだな」

 男子生徒の方が両手をポケットに入れながら呟いた。

「手持ち無沙汰になったからって話しかけてこなくていいから」

「ご、ごめん……」

 不機嫌そうに答えるミノに男子はたじたじだ。……ちなみに桂川というのはミノの苗字です。桂川美濃みの。どうやら二人は知り合いみたい。

「い、いこう、理香りか

 男子がミノから逃げたくなったのかやんわりと声をかけると、今の掛け合いに困惑していた理香という名前らしい女子がウサギを撫でる手を止めて立ち上がった。

「う、うん。じゃあね、遊間さん」

 理香さんは私に小さく手を振ると、二人して中庭──『Ⅱ』の真ん中の空間──へと入っていった。

 二人が死角に入った直後、ミノが首を傾げてこちらに視線を向ける。

「知り合い?」

「いや全然知らない人。たぶん一年のときか、今のクラスメイトなんじゃないかな」

 顔をしかめて呆れられた。

「あんたね……。クラスメイト全員の顔と名前を一致させろとは言わないけど、顔くらいは憶えときなさいよ。というか嫌でも憶えるでしょう、普通」

「うーん。一年経てば会わなくなるかもしれない人たちにあんまり興味ないというか。もちろん、顔憶えてる人もいるけどね。中心人物さんとか」

「誰よそれ」

「そういうミノはあの男の子と知り合いだったの?」

「クラスメイト。東山とうやまなんとかって奴よ」

 ミノだって大概じゃん。

 雑談もそこそこに、各々作業に戻ろうとしたときのことだった。

「理香!? 大丈夫か!? おい!」

 中庭の方から、先ほどの東山なんとかくんの切羽詰まったというか、悲痛とも驚愕とも取れそうな叫び声が聞こえてきた。

 私は反射的にウサギを放置して全力ダッシュでその場を離れようと試みたものの、

「ぐへっ」

 ミノにセーラー服の後ろ襟を掴まれてしまう。

阿久津あくつ先輩!? な、何があったんですか!?」

 知らない男子の声まで中庭から飛んできた。

 私は抵抗する間もなく中庭までミノに引きずられていく。あ〜れ〜。

 南棟の角を曲がると強風に煽られる。割りかしすぐ近くに先ほどの二人の姿があった。

 案の定様子がおかしく、理香さんが足を本棟校舎に向けて、仰向けに倒れている。その傍らには東山くんが地面に膝を着けて「理香!」と叫んでいた。

 さらにそんな二人のちょうど真上、本棟四階にある部屋の窓から、童顔の男子が青ざめた顔を覗かせて見下ろしている。

 私は理香さんを観察してみた。私たちからは反対側なので見えにくいが、喉の左側から大量の血がどくどくと流れている。血の出方が尋常じゃなく、それを吸収した地面の土がみるみる赤黒く染まっていた。

 ミノが私の襟を掴んで二人のもとへと向かう。ポケットからハンカチとスマホを取り出すと、スマホの方を私に差し出した。

「救急車を呼びなさい」

 ミノは理香さんの傷口にハンカチを宛てがいながら指示をしてくる。水色のハンカチが一瞬にして赤黒く変色した。

「はーい」

 スマホを持ち歩かない主義の私はミノのスマホを操作していく。

「それから警察も呼びなさい」

 ミノが顎で理香さんの頭の上をしゃくった。そこには見て見ぬふりをしていた、先端部から中腹にかけて鮮血に染まった包丁が一本転がっていたのだ。刃渡り二十センチ近くあって平の部分も長い大型の包丁だ。

「あんた、何があったのよこれは……!」

 ミノが東山くんに尋ねた。東山くんは状況の理解が追いついていないのか、両手で頭を抱えてテンパりながら、

「わからないんだ! 後ろで倒れるような音がして、振り向いたら首から血を流して倒れていて……!」

「誰かとすれ違ったりはした?」

「してない。誰も見てない……」

 おや? 火事ですか救急ですかと訊かれて、救急ですと答えながら嫌な予感を抱く。

「私たちも誰も見てないわ」

 ミノのその言葉に東山くんの顔が蒼白になった。

『Ⅱ』の形の通り、中庭は基本一本道だ。正確には南棟と北棟の境目に渡り廊下があるので、そこから裏庭へと曲がることはできる。だけどここはまだ中庭の南端なわけで、出入りするにはすぐ南か北か──すぐ後方か結構前方以外にない。

 南側には私たちがいた。北は東山くんが見ていた。ということはつまり、……。もちろん東山くんには可能だろうけども、東山くんも理香さんも手ぶらだった。この大きな包丁を果たして持ち込めたのかな……?

 ミノが吐き捨てるように呟く。

「面白くなってきたわね」

 面倒なことになってきましたな。


 私たちがこの状況にこなれているのには事情がある。去年、この学校で殺人事件が起こった。それも数回。もうこの情報だけで、四ツ川高校をどこにでもある公立高校と称したのはやはり無理があったような気がする。

 私とミノはそれら全ての事件に巻き込まれ、なんだかんだあってそれらを全て解決してきた。

 勘弁してほしいよね、ほんと……。

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