第2話 「スタート」

 高校入試の朝。前日の雨が嘘のように晴れ渡り、澄んだ寒さが緊張を更に高めていた。私は他校の生徒たちに交じって電車を降り、改札を抜けて高校までの道を進んでいると、ローファーを履いた足がつるりと滑った。

 わっ!こける!

 バランスを取れずに傾く身体は、地面に打ち付けられる事無く誰かに支えられた。

 「危ない!所々凍ってるから気を付けて。入試頑張ろうね」

 柔らかい笑顔で私を支えてくれたのは、同じ高校を受験する他校の男子だった。

 「ありがとう」

 私も笑顔でお礼を言うと、他校の男子は小さく手を振って歩いて行った。

 無事入試を終え、合格をした高校の入学式の朝。玄関に張られたクラス表で自分のクラスを探していると、同じ制服に身を包んだ男子と肩がぶつかった。

 「あっ、ごめんなさい」

 「こっちこそ、ごめん。自分の名前を探すのに夢中で周りが見えて無かった。でも、もう見つかったから、どうぞ」

 柔らかい笑顔で場所を譲ってくれた同級生の男子は、入試の朝に転びそうになった私を支えてくれた人だった。でもそれに気が付いたのは私だけで、同級生の男子は背を向けて去って行った。。

 入学早々、中学の先輩がしつこく陸上部に勧誘するので仕方なく見学に行くと、足元に円盤が転がって来た。拾い上げて周りを見ると、ジャージを着た男子が走って来た。

 「ごめん。そんなところまで転がるとは思わなかった。当たらなかった?怪我してない?」

 「大丈夫、転がって来ただけだから」

 「そっか、良かった」

 柔らかい笑顔で私が手渡した円盤を受け取った男子は、入試の朝に転びそうになった私を支えてくれた他校の男子で、入学式の朝に肩がぶつかった同級生の男子だった。

 「もしかして、先輩が勧誘してる城崎さん?」

 「うん。今日は見学に」

 「そっか、良かったらいろんな種目体験してみてよ。先輩、呼んでくるね」

 柔らかい笑顔で去って行った陸上部の男子は、運命的な出会いを何度もしているのに、私の事なんて覚えていないようだった。

 私は去って行く背中から目が離せず、部活見学のほとんどの時間、その陸上部の男子を目で追っていた。

 長距離の練習では自分より遅かったセンター分けにした男子に柔らかな笑顔でアドバイスをして、走り幅跳びの練習では自分が飛ぶよりも人の記録を測ったり奇麗に砂を均したりして、短距離の練習では真剣な顔で何度もスタートダッシュをしていた。

 どの種目をしていても、必ず周りの人と朗らかに話をして、柔らかな笑顔で周りを和まし、男子には時々肩を組んだりしてじゃれ合ったりしていた。遠目からでも、彼の纏う空気は柔らかく、人を優しく包みこんでいた。

 その笑顔を私にも向けて欲しい。その声で私にも話しかけて欲しい。その腕で私にも触れて欲しい。

 部活の見学が終わる頃には、恋の病を発症していた。その症状の進行は早く、今までの出会いを何度も思い返しては、「この人は、私の運命の人なんじゃ無いかな?」と真剣に考えてしまうほどだった。

 偶然の出会いを3回重ねた相手は、奇跡の出会いじゃ無くて、運命の出会いだって、どこかで誰かが言っていた気がする。

 一度そう思ってしまったら、もう何をしてても消えなくて。翌朝起きた時から、同級生の彼は、私の運命の人になってしまった。

 運動神経だけは自慢できるほどにいい私は、いろんな運動部から熱心な勧誘を受けて、全て断る代わりに、どうしても試合の人数が足りない時だけ、助っ人に入るという約束をして、いろんな部活を転々とすることになり、陸上部に入部はしなかった。そうなると、クラスも違い部活も一緒ではないので、私たちを繋ぐ接点は無く。私は運命の人の情報を集める為、用も無いのに運命の人のクラスに足を運んでさりげなく情報を収集した。

 運命の人やその周りの人に笑顔で挨拶をしたり、運命の人が友達と話している内容に耳を清ませたりしていると、「藤本さんには自然と目が行っちゃうんだよね。何か見てるだけで面白いってうか、微笑ましいっていうか、懐かない猫ちゃんを遠くから見て癒される気分になるんだよね」と話しているのを聞いて、運命の人の視界に入るためには、藤本の周りをうろつけばいいのだと閃いた私は、我が道を行き、他人とのコミュニケーションが極端に少ない、独特の個性を持った藤本に下心を持って纏わりついた。

 高2になっても運命の人はまだ、私をその他大勢の同級生の一人としか認識しておらず、毎日のように藤本の周りをうろついても、私の恋の病は一方的に進行するばかりだった。そんな最中、校内マラソン大会で、トップを捉える位置で走る私に食らい付いていた藤本が足をつってうずくまった。私は思わず藤本に駆け寄ったが、私よりも早く、運命の人の友達で陸上部の男子が藤本の足を伸ばしていた。何とか応急措置をしてもらい立てるようになった藤本は、金縛りにあったように固まっていたが、その様子を見ていた運命の人が藤本に肩を貸そうとしている事に気が付いた私は、急に沸き起こった焼きもちからそれを阻止するため、自ら藤本の腕を肩に回し、ゴールまで付き添った。恋愛対象では無いと分かっている藤本にまで焼きもちを焼いてしまうとは、私の恋の病はかなり重症であると自覚したが、治す方法はまだ見るけられないでいた。

 しかし、恋の病は気まぐれにご褒美を与える。運命の人が図書委員になったと知った時から、私は密かに図書室に足を運んでいた。私と同じクラスの図書委員に用事がある振りをして隣に座る運命の人にも話しかけたりして。そんな小さな努力が形になって表れたのは、運命の人に、2学期の学年のイベントを手伝って欲しい。と頼まれた事だった。何でも「2年生クラス対抗ディベート大会」を企画しているらしく、藤本と芦屋にそれぞれのクラス代表として出て来てもらいたいけれど、変わり者の二人は友達である私が説得しなければ出てくれないのではないかと心配しているとの事。

 私は二つ返事で引き受けて、二人を半ば強引に「2年生クラス対抗ディベート大会」に出場させた。普段の藤本と芦屋は、言葉は少ないのに悪目立ちしており、みんなからは稀有な存在として遠巻きにしか認識されていなかったのだが。ディベート大会に出場すると、与えられたテーマに独自の物差しで講釈を垂れる藤本と、正論を真正面からぶつける芦屋は、お互いの揚げ足しか取っていないのに、さも高尚な言葉をキャッチボールしているかのように見え、今まで二人を見て見ぬふりをしてきた人たちの視線を一身に集めた。

 特に芦屋は、童顔で可愛い顔をしているのに辛辣な言葉を吐く、ちょっとダークなゆるキャラのようだと一部の女子から好意を向けられ始めた。

 私が協力した「2年生クラス対抗ディベート大会」は、ほぼ藤本と芦屋の口喧嘩で終わったのにも関わらず生徒たちには好評で、私のおかげだと運命の人からお礼を言われて、舞い上がった。

 けれど、運命の人は私に運命を感じてはいないようで、2学期最後の図書当番の日に私が図書室を訪れても気づかずに、私のクラスの図書委員に、お正月にどこかの商店街であるコスプレ撮影会の話をしていて、「陸上部の仲間と行くんだ」と、また柔らかな笑顔で笑っていた。

 「待て、城崎。城崎の恋の話を聞いていると、端々に引っかかる個所が出てくるのだが、確認してもいいか?」

 私が運命の恋を気持ち良く語っていたのに、藤本が、行列のできる店の行列に無理やり割り込む客のような強引さで私の話に割り込んできた。

 「いいけど、全部聞いてからでも良くない?」

 「イヤ、この調子で全部聞いていては、私の忍耐力が持たない」

 「そうだ、城崎。俺も聞きたいことが山ほどあるぞ」

 芦屋まで藤本に便乗して来た。

 「全く、自己中なんだから二人は」

 「イヤイヤ。もはやどの口が言ってるんだと言いたい」

 「そうだ、そうだ。コミ力お化けの仮面を被ったエゴイストめっ!」

 「はいはい。私の運命の恋に興奮するのは分かるけど、言葉のチョイスがちょっとおかしいよ。でも、心の広い私は受け流してあげる」

 「イヤ、運命の人の視界に入りたくて、入学早々私に絡んで来た姑息な人間の心が広いとは思えない」

 「あら、こんな個性の塊の藤本と、最初からまともに会話が出来たのは、私くらいだったでしょ」

 「確かに、今思えば、芦屋以外の人間が私に話しかけてくることなんて、あの頃は城崎しかいなかった」

 「丸め込まれるな藤本。城崎は、運命の人が怪我をした藤本に優しく肩を貸そうとしたのを嫉妬して、自らの肩をねじ込んだにも関わらず、優勝よりも友達を優先したと思わせた策士なんだぞ!」

 「嫉妬したのは事実だけど、私の行動が美談になったのは、私の日頃の行いがいいからよ」

 「むむっ。すれ違う人たちと笑顔で挨拶をして、頼まれごとは基本的に引き受ける城崎を知っているだけに、反論できねーな」

 「イヤ、待て芦屋。芦屋の理想の君が芦屋に好意を寄せるきっかけになったのは、ディベート大会で辛辣な言葉を吐く芦屋を見たからであったな。もし、城崎のおだてに乗らず、ディベート大会に出ていなければ、こんな天邪鬼な恋の駆け引きをして苦しむことなんて無かったんじゃないか?」

 「それは否めないけど、ディベート大会に出場していなければ、理想の君の視界に芦屋が入ることなんて無かったんじゃ無い?慣れない恋の駆け引きは苦しいけど、苦しくない恋なんて、無いんだよ」

 「そう!そうなのだ城崎。一方的な片思いも苦しいのだ。でも、苦しい恋も共に涙を流してくれる友達がいれば、乗り越えられる」

 「そうだよな!恋に悩んで苦しいときは、いつも城崎が励ましてくれてるじゃねーか」

 「私が失恋の涙を流した時も、一緒に泣きながらカラオケで歌ってくれた」

 「俺が恋の駆け引きにくじけそうになった時も、一緒に泣きながらカラオケで歌ってくれたよな」

 「出会いや過程に下心があっても、今、私が感じている友情は本物だ」

 「これからも、運命の人との繋がりの為に俺たちを利用しても、喜んで道化になってやるよ。それが友達ってもんだろ」

 いつの間にか二人は清々しい顔をして、私の肩にそれぞれの手を置いて友情を伝えている。

 「分かってくれたのね、嬉しい」

 私は結果だけを受け入れて、二人に笑いかけた。

 「城崎の話を聞いてたら、思い出したことがある。あれは、高校に入学してしばらくたった日の事だった。教室でクラスメイトの男子に話しかけられた事があった。『城崎さんは陸上部には入らないのかな』と。私が『多数の部からも勧誘を受けているので、一つに絞れないらしい』と答えたら、その男子はボソッと呟いた。『一緒に走りたかったな』と。あの男子は城崎の運命の人だったように思う」 

 「そう言えば、コスプレ撮影会の時。男子更衣室で動物の着ぐるみを着ている集団がいて、その中の一人に城崎の運命の人がいたような気がする。その中のウサギの着ぐるみが、俺たちが写真を撮る前にしゃべっていた後ろで『制服姿可愛い、ヤバい、ヤバい』って言ってたな。あれは、城崎の事だったんじゃないか?」

 「芦屋の理想の君を探して図書室に行った時、カウンターに座っていたのは城崎の運命の人だったな。あの時、図書室で議論する私と芦屋の手取って連れ出しただろう。カウンターの前を通った時、運命の人は芦屋と城崎が繋ぐ手を見て、ショックを受けた顔をしていたぞ」

 怒涛の回想ラッシュに、「もしかして」の期待が否応なしに膨らみだし、運命だと感じたのは私の勘違いかもしれないという不安を飲み込んだ。

 「ねぇ、それって。私と運命の人は、本当に運命の赤い糸で結ばれているかもしれないってことだよね?」

 「総合的に考えたら、そう言う事になるのではないか?」

 「希望的観測だとしても、倍速で破滅には向かわねーだろ」

 二人が珍しく肯定的な言葉を口にするから、私の不安は泡と消えた。

 「だったら、恋は熱いうちに告れ。だよね」

 「鉄は熱いうちに打て。みたいに言うけど、私も同意見だ」

 「思い通じるのは告白。しかないよね」

 「思い立ったが吉日。みたいに言ってるけど、俺も同感だ」

 二人に背中を押されて、私は告白のスタートラインに着き、部活が終わりったばかりのグランドへ駆けて行った。

 

 

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