改名しろっ

そうざ

Change Your Name

 新連載第一回分の下描きを終えた頃にはもう夜が明けていた。

 編集者に送ったネームにはまだGOサインが出ていないが、俺は創作の衝動を抑えられなかった。

 今度こそ代表作が生まれると満悦で床に就いたその一時間後、不意に掛かって来た担当編集者の電話に、俺の寝惚け眼は見開いた。

『編集会議で満場一致になりまして、そういう事なのでどうかご斟酌の程を』

「今回で三度目だぞっ、二度ある事は三度あるを実践してんじゃねぇよっ」

『この場合は三度目の正直の方がしっくり来ると思いますが』

「んな事はどうでも良いっ!」

 電話口の向こうが騒がしい。テレビの報道番組が流れているのか、現場から中継です、と微かに聴こえた。


              ◇


 メジャーな漫画賞で大賞を受賞し、鳴り物入りでデビューを果たした三年前、俺は初連載から行き成り手応えを得た。

 架空の連続殺人をテーマに据えながらも、犯罪関係の資料を読み込み、専門家に取材を重ねた上でプロットを練ったリアリティー重視のエンタメ作品だった。

 連載から程なく、俺にとって初めての単行本、第一巻が出版される事になった。

 漫画家は単行本が売れてやっと纏った収入を得られる。紙とペンがあれば稼げる仕事のように思われ勝ちだが、週刊連載を熟すのにアシスタントの人件費は馬鹿にならない。

 アニメ化、映画化、キャラクター商品化すると笑いが止まらなくなるらしいが、俺はまだそんな恩恵に与った事はない。一日も早く主役キャラの瞳を描き入れるだけで後はアシスタント任せの域に達したいものだ、と夢見る新進気鋭の三十歳だった。


 ところが、である。

 出版直前のタイミングで発生した凄惨な無差別殺人事件が、寝耳に水の波紋を投げ掛けた。

 犯行の舞台や手口、犯人像や被害者の属性に至るまで、余りにも俺の作品に酷似していたのだ。

 作品の構想は事件の遥か以前から温めていたものだったし、犯人の供述にも俺の作品名は登場していないようだったが、巷では事件への影響が実しやかに囁やかれた。同時に、遺族感情を鑑みればこのまま連載を継続するのは不謹慎ではないのか、この時期に単行本を出版するのは便乗商法ではないのか、などの声が頻発した。

 勿論、作品に罪はないとの論調も聞こえたが、多勢に無勢の大波に敢えなく藻屑と消えた。

 編集部は、連載の一時休載、そして単行本の出版を無期限延期する決定を下した。

 人の噂も七十五日とはどんな統計に基づいているのかは知らないが、メディアの熱狂が治まれば人々の関心も薄れるという法則は経験値として存在している。

 遅れ馳せながらの数ヶ月後、単行本は晴れて出版となり、連載も漸く再開と相成った。

 が、七十五日の法則は作品の人気自体にも適用されたようだった。売れ行きは芳しくなく、連載の方も蠟燭が燃え尽きるように終了した。

 果たして、本当に自粛をする必要などあったのだろうか。俺は、担当編集者を相手に憂さを晴らす事くらいしか出来なかった。

「お前は直ぐにコトナカレ・シュギに改名しろっ」

『嫌ですよぉ、私は長男じゃないですしぃ』


              ◇


 起死回生の連載第二弾は、歪な欲望が綾なすどろどろとした人間関係をテーマに、過激な性描写にも挑戦したスキャンダラスなラブロマンスだった。

 これも忽ち評判となった。

 だが、連載がいよいよ佳境に入ろうとした矢先、作品内に登場する団体が実在の大企業を想起させると問題視された。

 今回も特定のモデルなど存在しない飽くまでも架空の物語なのだ。ところが、データの改竄や政権党との癒着、創業者一族の下半身事情等々、真に迫る生々しいリアリティーがまたしても偶然の一致を引き起こしたのだ。

 不運な事に、当該企業はライバル漫画誌の筆頭広告主だった。それが妙な憶測を呼び込む要因になった事は否めない。

 これは名誉棄損に繋がり兼ねないと憂慮した編集部は、公式謝罪文を発表したのみならず、作品の休載まで即決した。

 俺は、後々設定をがらりと変えて描き直す事も考えた。が、既に機を逸した感があった。またしても人の噂や人気は七十五日の法則だ。忸怩たる思いを抱きながら、俺は作品をお蔵入りにした。

「お前はもうナガイ・モノニハ・マカレと改名してしまえっ」

『ミドルネームまであるんですかぁ、それに僕は次男でもありませんよぉ』


              ◇


 これまでは現実に起こり得る事柄をテーマにし、確固たる下調べに基づき、リアリティーを重視してやって来た。それが読者に受ける大きな要因だと自負していた。荒唐無稽なご都合主義の物語はどうぞ余所でやってくれと思っていた。

 しかし、立て続けの理不尽な経験は、俺に考え方を改めさせる契機となった。

 敢えて現実に起こり得ない事柄を用い、想像の翼を大いに羽搏はばたかせつつ、そこに現実を重ね合わせる事で導き出されるリアリティーこそが、本質的且つ普遍的との結論に至ったのだ。

 それに、このやり方ならば世間も、事ある毎に現実の事象に関連付け、不謹慎だの、自粛しろだのと文句は言えまい。

 一気呵成に作り上げた物語は、これまでの作品にはない壮大なスケールと華麗なるスペクタルとで展開する会心の出来映えになった。三作目にして遂に真の代表作にして大ヒット作が誕生すると確信する俺だった。


              ◇


 相変わらず電話口の向こうは、ニューヨークがどうとか、パリがどうとかと騒がしい。

 担当編集者はそれを気にもせず、手元のネームを確認しながら言う。

『宇宙人が地球を侵略っていうのは……』

「王道をどう料理するかがクリエーターの手腕だろうが」

『宇宙エネルギーで飛ぶ円盤型UFOが飛来、怪光線で次々に街を破壊……』

「お前は温故知新って言葉を知らんのか?」

『宇宙人は蛸みたいな姿で、ワレワレハウチュウジンダって自己紹介……』

「もう下書きは出来てるっ」

『凶悪な宇宙人から母なる地球を守るヒーロー達の群像劇ねぇ……』

「今回は一切リテイクを受け付けないっ、直ぐにペン入れだっ、忖度も自粛も糞食らえだっ!」

『あのぅ……』

「何だよ」

『まさかぁ……』

「何なんだよ」

『もしかしてぇ……』

「はっきり言えよっ」

『ニュースをご覧になってませんね?』

 さっきまで寝ていたのだから当然だ。

 急かされるがままスマホでニュースサイトを開くと、速報が目に飛び込んだ。


 日本時間午前7時32分、世界主要都市上空に未確認飛行物体が同時出現し、一斉攻撃を開始した。

 死傷者は現時点で数千から数万に上ると見られているが、はっきりとした人数は把握出来ていない。

 尚、各地の主要な軍事基地は逸早く奇襲を受けており、展開中だった外洋艦隊も音信不通になった事から、最早、反転攻勢は絶望的との見方が大勢を占めている。

 また、逃げ遅れた市民が次々に捕虜にされているとの未確認情報も――。


『日本がやられるのも時間の問題だと思いますよ』

 どう考えても地球外からの侵略者だろう。何なら蛸みたいな奴等かも知れない。俺の最新作を単なる与太話として笑って許してくれる度量の深さがあるかどうか。

「……不謹慎?」

『はい』

「……自粛しろと?」

『はい』

「……七十五日も待てない?」

『はい』

「お前はまたしても改名だっ、ヨラバタイジュノ・カゲだっ」

「はい、確かに私は三男ですよぉ」

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