第7話 思いがけない告白

 私の席の固定電話が再び鋭い着信音をあげている。固定電話にかけてくる人間は限られているので、博士は私のリークをまだ疑っていて電話をかけてきたのだろうと思ったが、着信表示は市川の電話番号だった。暁烏博士の電話から数時間後のことで今日は珍しい日だと思った。市川も私を疑っているのだろうか。

「私はリークなんてしていないですよ。」

電話に出ると早計に私はこう切り出した。

「何のことを言っているの。」

電話口からは冷め切った市川の声が聞こえた。

「市川です。リークってなんのことですか。私は何も知らないのですが。」

「すみません。そのことは忘れてください。先程まで暁烏博士と電話で話をしていたものですから。どうかしましたか。」

間違いの恥ずかしさから市川は敬語になってしまう。 市川は新聞記者としての取材ではなく個人的に研究所のことを相談したいということだった。研究所のことなど、私には市川や暁烏博士から教えてもらったこと以外は何も知らないのだから私が相談に乗れることなんて何もないと何度も伝えたが市川はどうしても私に相談したいことがあるといって頑なだった。それに電話だと言いづらいから空いている日程を教えてくれとのことであった。それならメールでもよいだろうにと私は内心思ったが、ざっと手帳をめくり、空いている日を電話口で伝えた。市川は急いでいるらしく、もっと早い日程は立てられないか、直接自宅に来てもらっても構わないとか言ってきたので、明日市川の住むマンションに行くことを伝えた。こんなにも慌てた市川の様子は初めてだった。


          *

あくる日、私は市川の住むマンションへ向かった。独身女性の住居にしがない独身男性が入り込むという事実に一抹の期待とよからぬことを考えているわけではないのに何かを咎められているような不安を感じながら電車に乗った。電車の中で不安を感じているのは市川の方かと一人で笑ってしまった。ただ市川から相談したいことがあるといっているのだから特に問題はないだろうといったことをループして考え続けていたが答えはでなかった。市川のマンションに着いたのは夕方だった。住所は事前に知らされていたので迷うことはなかった。JMEAの本部から三十分程の駅近くに立つ単身者用のマンションで、八階建てマンションの七階の角部屋に市川は住んでいた。

現在の立場の違いはあれ、大学時代の先輩、後輩の関係はなかなか抜けないものである。今は出世した市川と脇道に逸れながらも、何とか生き延びてきた私。卑屈になる必要はないと思えば思う程、私の顔はこわばっていった。私のなかにそんな卑屈な感情が残っていたのかということに自分でも驚いていた。前回、JMEA内で数十年ぶりに顔を合わせた時はこんなにも緊張はしなかった。仕事の時は仕事のため新聞記者という仮面をかぶり話すことができるため気が楽だった。だが今回は仕事ではなく個人的な相談とのことで、どんな仮面をかぶっていけばよいのか私は考えあぐねていた。市川と私の間に個人的な関係などこれまで一度も築かれていない。関係があるとすれば大学の先輩後輩で同じ研究室に二年間在籍していたというだけの薄い関係なのである。そんな薄い関係の市川に対し私はどんな仮面を被っていけばよいのか。市川のマンション前でそんなことを考えてチャイムを押すタイミングを計っていると急にドアが開いたので私は驚いた。はっとした市川の顔の三倍くらい私は驚いていただろう、そしてとても間抜けな顔をしていただろうと思われる。

市川に案内されて玄関に入ると玄関からは長い廊下が続いており、廊下の先に大きな窓と窓の外には月明かりが煌々と照らされていた。突き当りのリビングは間接照明でやや薄暗かったが、ぼんやりとした照明が洒落ていた。私は突き当りの小奇麗なリビングに通されて、市川に指示されるままにダイニングテーブルの椅子に腰かけた。

「急なお願いで申し訳なかったです。わざわざ来て頂き、ありがとうございました。」

市川は仕事着のような普段着のようにも見えるような、パリッとしたストライプのシャツにチノパンを履いていた。大学時代の市川の姿容しか私の記憶にはない。目の前にいる市川に対し、大学時代の既視感も違和感もあった。今の市川は十数年という年月が経っているのを感じさせるには十分な程、年を取ったように見えた。照明のせいだけではないのだろうが、十数年の期間に見合った責任感や諦めや積年の経験が単にクールで美しかった市川に豊潤な艶やかさを与えているのではないかと私には感じられた。情熱を失いただ生き延びているだけの私とは違うのだと再び自分を責めた。

「それは問題ありませんよ。ここは私の会社からもあまり遠くないし、会社帰りに立ち寄っただけだから。君から相談を受けるなんで大学時代以来だよ。私が光学顕微鏡での鉱物鑑定を君に教えていたなんて今となっては恥ずかしい話だ。君は研究者になったのだから。」

私は冗談めかして話しているつもりだったが、うまく話せていたのだろうか。

「実は数日前に暁烏博士からある疑いをかけられてね。先日皆さんに取材をした時に、暁烏博士からMCLPで起きた事故のことを教えてもらったんだ。そしてそのことは口外するなって言われていたから、もちろん僕は誰にもそのことは話していない。内部にいる君は知っていることだろうからそのことを話すけれど。その事故のことが様々なメディアでニュースになっているらしく、僕が博士から聞いた事故の話を新聞社でリークしたのでないかと疑われてしまったんだ。そんなことを僕がするわけがないと博士に伝えたけれどまだ僕のことを疑っているかもしれない。」

「そうなんですか。暁烏博士はそんなことを言っているのですね。それは災難でしたね。」市川は他人事のように話した。

「濡れ衣を着せられて僕も驚いているんだ。それで昨日君から電話がかかってきて、暁烏博士がまた僕を問い詰めるために電話をかけてきたのかと思ったんだけど君からの電話だったということなんだ。」

「私の電話の理由はあなたを咎めるものではありません。ただそのことと相談したいことは関係があるものです。」

「なんだい。弱小新聞社が情報提供者を裏切ることなんてできないことは明らかなのにね。情報提供者の信頼を得られないと記事など書けない。私達は単なる口伝伝承者の一人で、永遠に当事者にはなれないのだからね。」

「今日相談したかったのはあなたを咎めることではありませんので安心してください。実はマグマ溜りの冷却計算を誤り、上部の『蓋』が閉まりかけたこと、そして冷却で増厚する上部境界層から逃げ出すために、有人掘削船が危機的な状況に陥ったことをマスコミにリークしたのは瀬尾なのではないかと私は思っています。そのことを今日、個人的に相談したかったのです。」

「事故が発生したことを暁烏博士から教えてもらったけど、マグマ溜りの『蓋』とか、上部境界層の増厚とか、有人掘削船の危機的な状況とかは今日初めて聞いたな。」

「それはそうでしょうね。JMEA内のトップシークレットですから。」

「トップシークレットを僕に話してもいいのかい。それに一番気になっていたのは、なぜ瀬尾さんがこの事実をリークしたと市川は思ったの?何か証拠があるのかい?瀬尾さんがリークしたと主張するにはそれなりの証拠が必要でしょう。」

「もちろん証拠がないと何も主張できない。この前あなたがJMEA本部に取材に来た後、瀬尾の様子がおかしかった。あの日、瀬尾が居室にしている研究室に顔を出した時なぜか恐ろしく青白い顔をしていた。普段は色白でとても血色のいい女性なのにね。」

「証拠はそれだけ? それだけだと証拠としてはめっぽう弱いね。大前提としてこの事故をJMEAが公表しなかったのはなぜなの?この事故で誰かが死去したとか、有人掘削船そのものに大規模な損害が出たわけでもないのになぜこの事故をJMEAは公表していないのだろう。」

「あなたがそういう疑問を持つことはしかるべきだと思います。事故があったのはご存じだと思いますが、事故の詳細は知らないですよね。」

そう言って市川は事故の詳細を語り始めた。照明の穏やかな明かりが美しい市川の半顔を柔和に照らした。

―あれは想定外の事故だったのです―

これは有人掘削計画の関係者が作成した報告書や搭乗者からヒアリングした結果をまとめた報告書ですと言って、市川は分厚い冊子を私に渡した。

―私達が富士山頂火口上空に巨大なやぐらを立て、その中心部からボーリングマシン、つまり有人掘削船を設置してマグマ溜りへと潜っていったのは世間の知っている通りであなたもご存じだと思います。事件が起きたのは約十㎞掘削が進んだ時で、掘削船はマグマ溜りの底と呼ばれる箇所まで到達し、搭乗者もJMEAに待機している管制員たちも到達の事実を把握していました。事前の地震探査により、深部約十㎞のところで物性が明らかに変化することはわかっており、その時、有人掘削船は上部マントルと地殻の境界、いわゆるモホ面まで到達していたのです。地震探査で見積もっていたモホ面の深さと実際に掘削して到達した時の誤差は十数メートルで地震波探査の精度の高さに皆驚いていました。掘削前に決められていたスケジュールでは上部マントルまで到達したら、そこからは有人掘削船を上昇させて地表へ戻ってくることになっていました。そこまで行けば私達が将来居住する空間は十分に確保できるし、エネルギー抽出も効率的にできる。計画通りにモホ面に達した有人掘削船は浮上を開始する準備段階に入っていました。掘削船は有人のボーリングマシンですから、先端には固い地盤を掘り進むための刃が付いています。掘削船が他のボーリングマシンと異なるのは先端だけではなく、後端にも刃が付いているということです。通常のボーリングは固体の中を掘り進んでいきますから、掘り進んだ後は穴が空きます。そしてその穴を通って行けば、ボーリングマシンは地上まで戻って来られます。ただ今回は掘り進んでいるマグマは粘性を持った連続体ですから、掘り進んでいった後にボーリングホールがマグマによって自然に埋没します。それは事前に想定されていたことでした。流体としては当たり前のことですから。そのため掘削船の先端だけでなく後端にも刃が付いたモジュールが設置されており、モホ面まで到達後は掘りながら上昇していくことを事前に想定していました。今回のミッションでは四か月かけて掘り進み、二か月かけて上昇してくる計画だったのです。事故が起きたのは上部マントルからの上昇を開始してすぐの頃でした。ドリリングモジュールの刃は上昇方向で動作しているにもかかわらず、掘削船が浮上しなくなったのです。JMEAのスタッフは慌てました。私もその一人です。それは搭乗者達も富士山頂にいる管制員達も同じでした。掘削船中の搭乗者は富士山頂にある研究施設と密接に連絡を取りながら、研究所からの指示に従い、掘削船をオペレーションしていました。私もその時富士山頂にいましたが、搭乗者達の慌てぶりは手に取るようにわかりました。地上管制員らも慌てていましたが、特に搭乗者達の慌てぶりは相当なものでした。極地環境という意味で宇宙も地下深部も同じだと思っていたのですが、宇宙という未知の領域に比べ、地下深部という環境はその場に立ち会うまでは恐怖を抱かせるものではなかったのかもしれません。ただその場の恐怖は宇宙と同等かそれ以上のものだったのでしょう。それにそんなことが起きるなんてことを彼らは心得ていなかったのです。地上に戻れなければ、彼らはマグマ溜りの底の上部マントル境界で生き埋めになってしまいます。地下十数㎞に五体の即身仏が出来上がってしまうわけです。モジュール後端のドリルの回転数は想定通りなのにもかかわらず、掘削船は浮上しませんでした。結果からいうとその原因は上部分化境界層の冷却速度が想定していたよりも早く、マグマの粘性、剛性が思いのほか高くなったため、ドリルの出力が不十分になってしまったことでした。言葉通りに上部境界層に私達は『蓋』されてしまったわけです。ただ搭乗者達はこの事故を解決し無事に地上に戻ってきました。解決方法は偶然の産物であり、単純なものでした。搭乗者達が絶望していた時マグマ溜まり内に高温流体が入り込んできたのです。それは自然がもたらした偶然の現象でした。高温流体の流入により一時的にマグマの融点が下がり、マグマの粘性が下がった瞬間に掘削ドリルを最高速で逆回転させたのです。逆回転による推進力を得て、上部境界層からエスケープできました―

「事故の顛末は以上です。私達はこの不愉快な事実を公表することをやめることを決めました。」

私は延々とはなし続ける市川を止めずに、ただただ驚き、耳を傾け続けた。それはすべて初めて聞く話だった。

「事故の顛末は今話した通りですが、ただ今回あなたに本当にご相談したかったことは別のことなのです。今までの話はこれから話すことを理解していただくための事前情報にすぎません。私が相談したいのは、もしかしたら瀬尾はこれ以外の他の事実についても何かリークしようとしている可能性があるのかもしれないということです。」

「それはどういうことですか。瀬尾さんがあなたに何かを伝えたのですか。」

私がそういうと、市川はどうしたもんだろうかといった悩ましい表情を浮かべ、眉間に皺を寄せた。

「私は瀬尾から個人的に相談を受けていました。瀬尾から研究所は腐敗している、こんな重大な事実を世間から隠して都合の良いことだけを公表していて、暁烏博士は隠ぺいを率先している筆頭だけれど、あなたは違う。この事実を世間に知らしめたいと主張していました。でも私はこの事実を世間に公表するつもりはありません。公表しないからといって研究所が腐敗しているなんてこともはない。このことを公表しないことは罪でもなんでもないのだから。」

瀬尾の主張の意味がわからないが、市川の主張も筋が通らないというのが私の第一印象だった。

「ところで市川は私に何を相談したかったの?瀬尾さんの主張が誤っていることを私に伝えたかったのか、それともこの事故について瀬尾さんから私が事実を聞いていたかもしれないと考えたあなたは私がそれを公表することを止めたかったのか?それともまた他の何かを私に伝えたいのか。」

「いいえ。私があなたに相談したかったのは、あなたが瀬尾から何か聞いていたとすれば、あなたがそれを記事にすることは阻止したかっただけです。個人的にもちょっと昔が懐かしくて、あなたと昔みたいに話したかったのかもしれません。」

市川は寂しげな表情をして、遠く窓の外を眺めた。

「そういうことならば、私も何となく私も納得できるよ。瀬尾さんから私はなにも聞いていないですよ。あなたから今日教えてもらった情報以上の情報は持っていません。一新聞記者ですから、詳しいことはわからない。市川に教えてもらった情報が僕の持っている情報のすべてだ。」

自分で放ったその言葉に私は一新聞記者の無力さをかみしめながら、市川のマンションを去った。市川が出してくれて紅茶に添えられたレモンをかじった時の酸っぱさが今になって胃に滲みた。

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