電話が切れた後も、シュンはじっとベッドにうつ伏せになり、枕に額を押し付けていた。昔から、この格好が一番落ち着くのだ。子供みたいだけれど、こうしていれば怖いことは自分の身には起きないような気分になれる。もちろんそれはただの気分の問題で、そのまま背中に伸し掛かってきた母の恋人に、性玩具として扱われたことは、数え切れないくらいある。

 シュンはじっとしたまま、リビングの物音や気配を探っていた。

 どうやら健少年は目を覚ましているらしく、ぱたぱたと動き回る気配がかすかに感じられた。

 どうしたらいいのか、シュンは考える。

 健少年のためを思えば、多分自分は、ずっとここにいた方がいい。部屋からで行けば、それだけで彼への脅威になるだろうから。

 でも、だからといって本当にずっとここにいるわけにもいかない。シュンは、すでに空腹だったし、尿意を催してもいた。

 空腹の方は耐えればいいものの、尿意の方はどうにもならない。トイレに生きたければ、リビングを通って行くしか道はないのだ。

 さあ、どうしよう。自分はどんな顔をしてこの部屋を出ていけばいいんだろう。

 スマホを握りしめて考え込むシュンの尿意が限界まで達しそうになったところで、寝室のドアがノックされた。控えめに、けれど確かに三回。

 シュンはびくりとして、ドアの方を見た。

 湧き出した感情は、ほとんど恐怖に近かった。自分より10以上も年下の少年を、それでもそのとき、シュンははっきりと恐れたのだ。

 寝室のドアが、またノックされる。今度は、さっきよりもやや強く、やはり三回。

 シュンはスマホを右手に握りしめたまま、ゆっくりとベッドを降りた。

 そして、寝室のドアを開ける。

 「おはようございます。」

 健少年が言った。シュンのすぐ目の前で、曖昧に表情を曇らせながらも。

 「……おはよう。」

 返したシュンも、同じような表情をしていたと思う。つまり、二人とも、今この状況でどんな表情をしているのが正解なのか、まるで分かっていなかったのだ。

 「……朝飯。パン焼いて、インスタントのスープ作っただけですけど。」

 こわばった声で、健少年が言った。その声には、怒りや恐怖が明らかに底に沈められて存在していた。

 「……ありがとう。」

 シュンはそう応じて、慎重に一歩前へ踏み出した。慎重に、健少年との距離を取って。

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