シュンは泣かなかった。感情の揺れを隠すのは得意な方だった。だって、そうしなくては生きていけなかった。

 シュンの母は、シュンが泣いたり怒ったりすれば、容赦なく暴力を振るったし、宿主たちはシュンを見限った。だから、なにも考えていないふりをするのは得意だった。

 「そっか。じゃあ、ここにいさせてもらうね。」

 シュンが言うと、健少年は、ほっとしたように頷き、笑った。

 「よかった。姉ちゃん、一週間は出張でいないんですよね? そんなに長い間一人でいるの、俺、ちょっと不安だったし。」

 一人でいるのが不安。

 その言葉はシュンに、とうとう一人になった夜を思い出させた。死んでいった妹たちと、もう帰らないと言い残して去っていった母親。

 それ以来、シュンも一人は不安だった。この世には自分ひとりしか人間がいなくて、その他の人達は、もうすっかり死に絶えているのではないかと、そんな妙な想像が頭から離れてくれなくて。

 「俺、ソファで寝ますから。気にしないで下さい。」

 健少年は、座っているソファの座面をぽんぽん叩きながら言った。

 しかしそのソファは二人がけで、いくら健少年が発達途上の体格をしているにしても、さすがに狭すぎた。

 「ベッド使っていいよ。夏掛けの布団が押入れにあったはずだから、俺それ使うし。」

 シュンが空になった丼を手に立ち上がりながら言うと、健少年はシュンについて立ち上がりながら、ブンブンと首を振った。

 「俺がイレギュラーなんだから、俺が夏掛け使います。」

 「いや、きみはレギュラーでしょ。美沙子にとっては、イレギュラーなのは俺だよ。」

 美沙子の人生において、イレギュラーなのは、ふらりと現れてヒモなんかの座に収まっているシュンの方だ。血の繋がった弟の方がレギュラーに決まっている。

 うーん、と、考えるように腕を組んだ健少年は、じゃあこうしましょう、と、ぽんと手を打った。

 「寝室の床はラグが引いてあって柔らかいじゃないですか、そこに寝ましょう。交代で。」

 「交代?」

 「毎日床だと、身体おかしくなりますよ。」

 うん、そうね、とシュンが頷いたのは、健少年の理屈に同調したからではなかった。

 血が確かに繋がっていたのに、シュンの人生にとってレギュラーになり得ななかった妹たちと母親。その三人の顔を思い出そうとやっきになっていて、健少年の話を殆ど聞いていなかったのだ。

 妹たちの顔は、どうしても死に顔しか思い出せなかった。

 母親の顔は全く思い出せず、家を出ていく後ろ姿だけを思い出せた。

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