シュンは思い出していたのだ。昔、ヒモとしてのスキルが浅く、なにも理解していなかった頃、正気で子供みたいな男を抱いたことを。

 あの生活は、ろくなもんじゃなかった。

 嫉妬に狂った男に繋がれた鎖。泣きながらのセックス。嘘さえつけなくなった、ヒモの残骸。

 「……もう、二度と、正気で子供みたいな人は抱かないよ。男でも、女でも。」

 声は、トラウマからか少しだけ震えた。あれは、もうずっと昔のことであるのに、手首に今でもあの手錠の重さが残っているみたいで。

 電話の向こうで、美沙子が長い息を吐いた。それは、多分ため息ではなくて、煙草の煙を吐き出しただけだった。そういう、淡々とした温度のなさが滲み出ていた。

 「美沙子……、」

 頼むから、健くんを俺にぶつけて遊んだりしないで。逃げてもいいって言って。

 言葉が上手く出なかった。喉の皮が張り付いたみたいで。

 美沙子はそれでも、シュンの言いたいことをあらかた把握していたはずだ。だって、女というものはそもそもみんな千里眼だし、中でも美沙子はその精度が高い方だった。

 その証拠に美沙子は、嫌よ、と言った。

 『嫌よ。健をわざわざあんたのとこにやったんだから、逃げたりしないで。逃げたら私、あんたを許さない。』

 「なんで……、」

 健くんをわざわざ俺のところにやったりしたのか、なんで逃げたら許さないのか。

 聞きたいのはその2つで、両方ともが喉の奥に張り付いたままだった。

 千里眼のはずの美沙子は、聞きたいことくらい分かっているんだろうに、答えをくれはしなかった。

 電話の向こうではまた紫煙が吐き出され、美沙子は低く笑った。

 そのとき、シュンのいる寝室のドアが、こんこんと軽やかにノックされた。

 健だ。

 思ったのは、シュンも美沙子も一緒。

 『健ね。」

 美沙子が歌うように言った。

 「……だろうね。」

 シュンはそれ以上言葉がなくて、ただそれだけ呟いた。

 「シュンさん、晩飯どうしますー? 俺、なんか買ってきましょうかー?」

 太平楽な、健の声。

 『切るわね。』

 美沙子が素早く囁いた。

 待って、と、シュンは美沙子に縋った。健と二人で取り残されるのが怖かった。

 怖かったのだ。あんな、10以上も年下の子供が、本気で。

 美沙子が冷たく笑い、ぷつんと通話を切った。

 取り残されたシュンは、怖いものでも見るように寝室の扉を見つめた。

 「シュンさん? 寝ちゃいました?」

 シュンは自分を奮い立たせ、ベッドから降り、ドアを開けた。どうせ、一週間ここに閉じこもっているわけにもいかないのだ。

 「起きてるよ。……晩飯、どうしようね。」

 

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