デモンズマスター(仮)

腹巻チキン

第1話 キスケとミロク

一面の雲が太陽を隠し、大粒の雨がアスファルトの血を流す。

ブルーシートで囲われた新宿駅前の一画には十数人の死体と、一体の死骸があった。体長およそ三メートル。獅子と山羊の顔を持ち、雄は大蛇。

キメラと呼ばれるような化け物だ。


「しかし、こうも人の多いところに現れるとは。被害がこれだけで済んだのは奇跡ですね」


複数の銃痕をもつ化け物の死骸を前に一人の自衛官がそう言った。現場の確認に当たっていた警察官がそれに続く。


自衛隊あなたたちが偶然近くを移動中だったおかげですよ。コイツは人語を喋ってました?」


「いえ。鳴き声でしたよ」


「そりゃあ良かった。人型でなくても、最近は人語を喋ってただけで人権団体がうるさいんでね」


「どちらにせよ、コイツの場合は動物愛護がうるさいですよ」


お互いに軽く笑う。

しかし表情から楽しげな気は感じられない。

大雨の中、遺体を乗せた搬送車がまた一台出ていった。



***************



2035年は間違いなく人類史の大きな転換点だった。

突然、世界各地に様々な魔物が出現し始めたのだ。

陸海空を問わず現れる魔物に人々は怯え、世界規模で社会不安に陥る。

原因が明かされるのは最初の発見報告から二ヶ月後。

米軍が捕獲した知性を持つ魔物。その証言映像が各言語に訳され、インターネットを通して全世界に拡散された。


『オレたちの世界の人間が、最近新しい魔法を開発しやがったんだ。時間はかかるが、当たれば跡形もなく消えちまうっていう恐ろしい魔法だ。だが、どうやら消滅させる魔法じゃなく、この世界に転送させちまう魔法だったらしい。ハッ、まぁ使ってる側は気付けるわけねぇもんな』


数日後には、また別の魔物の証言が拡散される。


『私たち魔物の栄養源は「魔力」。生きるにも、傷を治すにも、力を使うにもそれがいる。しかしこの世界はどうも大気中の魔力が薄い。我々が生きるためには、生物が死んだ時に放出される体内魔力を、空気中に溶け切る前に摂取する必要がある。中でも人間は、保有する体内魔力が格段に多い。だから私は広場であのガキ共を殺した。それだけだ』


この機密映像を無断で世に放った将校は逮捕されたが、彼の働きによって世界は確信することとなった。

現れた魔物は生きるために、人間を含む他の生物を虐殺していくのだと。

そして魔物が突如現れるこの地獄は、別世界の人類がその過ちに気付かない限り、永遠に続くものなのだと。




*****************




「新宿の……東口か、これ。凄いな。死亡十七人か……」


真夜中の住宅街を歩く青年がネットニュースを見ながら呟いた。すぐさまSNSで検索をかけると、ブルーシート周辺の動画、けたたましく緊急車両が行き来する動画、しまいには通行人に食いかかろうとするキメラの映像が次々に目に入った。


「ガチじゃん。うわ……」


雨の中、片手は傘を持っているにもかかわらず慣れた手つきで映像をトークアプリのグループに共有し、テキストを添える。


『このニュース見た?こういうの見るとマジで魔物怖いなって思うわ。俺ちょくちょくここ来るし』


すぐに既読が二つ。応答が返る。


『それ見た』

『東京の中心に現れるとか、もっとヤバい魔物だったら何千人死んでてもおかしくないでしょこれ。ドラゴンとか』

『ドラゴンはどこに現れてもやばいだろ飛ぶんだから』


喜助も続けてメッセージを返す。


『日本で生涯魔物に遭遇する確率は0.001%って最近見たけど、なんか全然ありうる数字に思えてきたわ』


スマホをポケットにしまい、左へ曲って家に続く路地へ入っていく。

水溜まりを避けようと下を向いて歩いて行く中、何かを感じて顔を上げた。

そして、足が止まる。

街頭に照らされているのは、高さ三メートルほどの牛人間だった。


「ッ…………」


異常なまでに発達した筋骨と、理性を感じさせない真っ白な目。

そして全身から立ち上る覇気かオーラか、目に見えない威圧感がより一層魔物の体を重圧に見せる。

その魔物は人間の少女の脚を持ち、勢いよく道路脇の壁に投げつけた。

ゴちッ、と鈍い音が響く。


創作でよく描かれるミノタウロス。あれを怖いと思ったことは今まで無かった。

しかし、いざ上体が異様に発達した巨大なそれを前にすると話は別だ。

声が出ない。

うるさい雨音はもはや聞こえない。

瞬きすら忘れてしまった。

ミノタウロスは右足を上げ、少女を踏み潰そうとする。

壁にもたれて、血だらけで立つこともできない少女が避けられるはずがない。少女は死ぬ。火を見るより明らかだ。


────逃げなきゃ。魔物は生き物を殺して魔力を得るんだ、次は俺が殺される。逃げなきゃ、逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ────


世界がスローモーションになる。

降り注ぐ雨粒の輪郭すらハッキリとわかるほど時間の流れが遅い。


────助けるなんてもう無理なんだから。絶対勝てないし、そもそもあんな壁に叩きつけられてたらどの道もうすぐ死ぬに決まってる。意味ないって、こんなことしても意味ないって。……分かってるのに────


その静寂は、ミノタウロスの角にスマホが当たった音で破られた。


「何で……手が出ちゃうんだよ」


ミノタウロスの動きが止まり、その視線の先は、苦悶の表情を浮かべる青年の方へ向けられた。


「ォォォオオオオオ!!!」


癪に障ったのか雄叫びをあげるミノタウロス。

振り上げた右足を下ろし、圧倒的な威圧感をもって青年の方へ歩いて来る。

遠近法から段々とその大きさが増していく光景に心臓が縮こまるも、何とか体を動かし、傘とリュックを放って走り出す。

後ろではなく、前に。


「もう……どうにでもなれ!」


図体の割に動きは素早いミノタウロスだったが、その体格差ゆえ、伸ばした手は全速力で股下をくぐり抜ける青年に届かなかった。


「危なッ……!後は抱えて逃げる!それしか思いつかねぇ!」


倒れている少女の元に走る。

抱えて走るだけの力があるかは分からないが、とにかくやるしかない。

しかし。


「ッ……!」


突然右足が滑り、前方へ派手に倒れ込む。

傾く視界の端に映ったモノで全てを察した。


「さっき投げた……スマホ……!」


黒い画面がアスファルトの色と同化していて気付かなかった。

とっさに受身を取ろうとするも、勢い余ってアスファルトを転がっていく。

肘を打ち、鼻を打ち、頭を打つ。

そして幸か不幸か、壁に座り込む少女の前で止まった。


「……」


何とか顔を上げようとするも、アドレナリンが切れたのか、頭の打ちどころが悪かったのか、ふらついて少女の胸の辺りまでしか視界が上がらない。

しかし少女の口と手が動いていることに気がつくことは出来た。

────お、お、う、あ、え、お────

声は無いが口の形はそう告げていた。

指を折り、カウントダウンを伝えている。

どれも何を意味したものかは分からない。

ミノタウロスが青年の元に戻ってきた。


5、4、

ミノタウロスが青年の首を掴み上げ、口元まで持っていく。


3、2、

青年の頭が口腔内に差し掛かる。

手足を振り回し必死に抵抗するが虚しく、首を掴まれているため叫び声は声にならない。

恐怖で目をつむる。


1、0


「────【刺突】」


少女の声が発せられた瞬間、アスファルトを突き破り、巨大な槍がミノタウロスを貫通した。


「なッ……!」


脳天まで串刺しになったミノタウロスは即死したらしく、青年はその手からこぼれ落ちた。

落下の痛みは気にならず、それよりも首を抑えて何度も咳き込み、嘔吐く。

空気が喉を通る感覚に感謝し、目に涙を浮かべる。

そこでハッと顔を上げて少女の方を見た。

壁に座りかかった彼女は全身傷だらけで、未だに新鮮な血が雨水混じりで顔を流れる。

そしてその頭には、黒髪の隙間から伸びる赤い二本の角。片方は折れているが、間違いなくコスプレなどのそれではない。


「……お前も、魔物……かよ……」


「……そうじゃ」


容姿としては中学生か、いや、小学六年生言われても信じるような幼さ。しかし瀕死の状態ながらも、その紅い瞳には見る者を貫くような鋭さがある。


「……先の戦いで喉を潰されてな。そのうえ魔法でどこかに転移させられたかと思えば、今度は無礼なミノタウロスが襲って来よった」


少女はしかしぐったりとした様子で口を動かす。


「我は白兵戦において分が悪い。抵抗は諦め、魔力を全て喉の治癒に当て続け、今ようやく詠唱を行えたわけじゃ。しかし……クハっ。それを知らんかったとはいえ、わざわざ指で『五秒耐えよ』と教えてやったというのにポカンとした顔で食われかけおって。滑稽よな」


少女は血だらけの顔でニヤッと口角を上げる。


「……何が滑稽だ。俺が助けてなけれりゃ、喉の回復も間に合わず殺されてただろ」


「それが何じゃ。結果的に我が貴様を助けた」


「っ……この魔物野郎」


「野郎ではない娘子じゃ。だがそんな魔物に貴様は命を救われておる。その恩は返さねばな?」


「……は?」


青年はすっかり喉の調子を戻したが、少女の言葉に眉をひそめる。

咄嗟に体が動いたのが始まりとはいえ、これだけ死にかける思いをして助けたというのにこの態度。


「喉の回復と【刺突】で魔力をほとんど使い果たした。想定より傷を負いすぎたうえ、このミノタウロスから漏れた体内魔力も雨で散ってしまった。ちとまずい。……そこでな、不本意ながら……まぁ良いか、貴様と主従契約を結びたい」


「主従、契約?」


「そう。従者はその主から体内魔力の供給を受けられる。人間の従者たる名を冠するのは不愉快極まりないが、貴様を殺して体内魔力を得るだけの力ももう無い。背に腹はかえられぬ、契約せい」


瀕死だろうと上からの態度は崩さない。

青年はふと、アスファルトに転がるスマホを見た。

思い起こすのは、つい先程見たニュース。


「……魔物を生かすわけないだろ。この世界は大気中の魔力が薄いからって、体内魔力を目当てに今日も多くの人が魔物に殺されたんだぞ」


「『この世界』……なるほど、おおよそ把握した。ここは異世界であったか。しかし貴様、主従契約を果たせば我は貴様から魔力を得られ、人を殺す必要はなくなる。問題ないではないか」


「っ……そもそも、あっちの世界でも魔物は人間と対立してるんだろ!だったらこの世界でもどうせ同じように────」


「あれは領土争いに過ぎん。この世界でわざわざ対立する気はない。……まぁ人間が嫌いなのは間違いないがの」


「そ、そんな奴を助けて俺になんのメリットがあるんだよ!」


「無いかもしれぬな。じゃが貴様、目の前で死にかけた命を見捨てられぬじゃろう」


「っ……!」


追及に淡々と答えていく魔物の少女。

一方、選択権を持ち優位なはずの青年は考え込んでしまう。


────でも、だとしても魔物を生かすなんて危険すぎる。設備を備えた自衛隊ですら二体しか保有してないんだ。もし何かあって、今後この魔物が誰かを殺すようなことがあったら、腹切っても済まされないだろ。ここで見殺しにしなきゃダメだ。ダメだ、けど…………クソ。それをするだけの勇気もねぇ……!────


青年は俯き歯を食いしばる。

目の前の魔物が、人の言葉を話してなければ。

こうも人間に似ていなければ。

人権団体が人型の魔物の処分に反対する理由を思い知らされる。

このまま永遠の膠着が続くかと思われたその時、魔物の少女が何度か咳込んだ。

その音には何か液体が混じっている。


「……正直、もう体力の限界が近い。貴様の甘い良心が勝つことに賭けておったが、やむを得まい。ひとつ対価をくれてやる」


「対価?」


声の弱くなった少女が右手の人差し指を伸ばす。


「うむ。ひとつだけ、命令を聞いてやろう。『人を殺すな』と言うもよし、逆に『あいつを殺せ』と言うもよし。……我のような大悪魔を従者とできる上に、この対価。もうこれ以上の譲歩は無い」


一度うつむき、考える。

そして口を開いた。


「……わかった。じゃあ、今後誰も傷つけ────」


しかし、直前で止まる。

うつむいたことで胸ポケットから覗く黒いものが目に入ったのだ。

ほんの数秒の後、ほとんど何も考えずにそれを取り出し、ほとんど無意識で言い直した。



「……今後、この手帳に書かれたことに従え。嫌なら……俺はこの場でお前を見捨てる!」



「………………クハっ、甘く見ておったら勇気を出しおって。ええい、仕方ない」


もう交渉するだけの体力も無いか、少女は諦めたように笑い、青年の要求を呑んだ。


「我の名はミロク。悪魔と鬼の間に生まれし偉大なる魔物。貴様は?」


「喜助。岐部喜助きべきすけ


「よかろう。覚えたぞ、キスケ。……我が主よ」


そう言ってミロクが手を伸ばす。

血に染ったその小さな掌に、喜助の大きな手が添えられる。


主従契約がここに成立した。

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