自称探偵ハリー 特別編

たえこ

 また、憂鬱なイベントがやってくる。

 僕は、頬杖をつきながら、2人の女性の会話を聞いていた。

「明日、何人来ますかね?」

 この人は、一応、僕の上司。上司は、髪の長い小柄な女性に話しかけた。

「去年より多いといいですね」

 上司の質問に答えたのは、僕の先輩。何かと頼りになるし、尊敬できる先輩だ。

 その先輩がくるりと振り返り、僕を見た。

「ほらっ、ハリーも手伝って! 暇なんでしょ?」

 僕は頬杖をやめ、慌てて姿勢を正した。

「僕、必要ですか? 明日は、女性陣のイベントじゃないですか?」

「準備ぐらい、手伝ってくれたっていいのに」

 上司の言葉に、僕は、あからさまに不快な表情で抗議した。

「ハリー。ひょっとして、去年のこと、まだ、根に持ってるの?」 

 先輩が、やや大きな声で僕に言った。

「そ、そんなこと、ないですよっ」

 僕は思わず立ち上がってしまった。

「じゃ、手伝って」

 先輩の一言に、僕は小さく返事をした。そして、2人のところへ向かった。

「これを、そこの壁に貼って」

 上司から渡された模造紙を広げて、僕はため息をついた。

「今年も、やるんですか。これ……」

 僕は、「大義理チョコ」と書かれた模造紙を丁寧に壁に貼った。


 僕がこの部署に入った頃から、この部署では2月14日に「大義理チョコ」というものをやっている。この部署の女性が他部署の男性に義理チョコを配るのではなく、義理チョコがほしい他部署の男性がこの部署を訪れるのだ。

 大喜利と義理チョコを組み合わせた「大義理チョコ」は、当初、某演芸番組の名物コーナーのように、お題に面白い答えを出した男性へ座布団の代わりに義理チョコを渡す予定でいた。

 ところが、「ハリーのように、大喜利を知らない人がいるのではないか」という上司の一言で、この部署の女性2人が「うまい!」と思った話やパフォーマンスを披露した男性に、義理チョコを渡すことにしたのだ。

 義理チョコ欲しさにくだらない話をしたり、歌や踊りを披露する男性なんていないだろう。僕は、こんなバカバカしいイベントに参加するつもりはなかったし、参加する人がいるとも思わなかった。

 しかし、初めて開催された大義理チョコ。この部屋を訪れる男性が多く、用意した義理チョコが午前中で無くなってしまったのだ。この会社の男性は、義理チョコに飢えているのか。僕は、この結果を素直に受け止めることができなかった。

 翌年、義理チョコの数を増やしたら、前年を超える男性が集まった。

「義理チョコをもらうのではなく、取りに行くことに快感を覚える」

 目を輝かせて話す男性に、僕はなんて答えてよいかわからなかった。

 何度も部屋を訪れ、何個も義理チョコを獲得する者もいた。そんな男性を僕は彼らに気づかれないように、冷ややかな目で見ていた。

「ハリーもやってみなって」

 先輩にしつこく言われ、僕は昨年、しぶしぶ大義理チョコに挑戦してみた。飼い犬の話をしてみたところ、2人から「面白くない」と言われ、義理チョコをもらうことができなかった。

 義理チョコなんてもらっても意味がない、なんて思っていたが、もらえないとなると、心底悔しい。義理チョコを甘く見ることなかれ、だ。


「今年の大義理チョコは盛り上がると思う」

 大義理チョコと書かれた模造紙を見ながら、上司がつぶやいた。

「だって、今年はハリーが大活躍したからね」

 上司は僕の方をチラリと見た。

「まあ、今回は、僕のおかげで成功したようなものですよ」

 僕は上司に向かって答えた。

「ハリー、本番は明日だよ」

 先輩の一言に、上司が噴き出した。

「成功かどうかなんて、まだ、わからないって」

 先輩はそう言って笑った。僕は振り返り、先輩と向き合った。

「いやいやいや。まいさん、ここまで準備が整えば、明日は、成功したも同然じゃないですか」

「相変わらず、あんたって、自己評価が高いのね」

 先輩が苦笑いした。

「そこまで自信があるんだったら、明日は、去年のリベンジ、してもらわないとね」

 僕の背後で上司の声が聞こえた。上司の言葉に先輩が賛同した。

「明日のパフォーマンスが面白くなかったら、ハリーがもらったチョコレート、没収しちゃおうかなあ」

 上司の言葉に、僕はゆっくりと振り返った。

「お言葉を返すようですが、それは、ハラスメントです!」

 僕はきっぱりと上司に言い放った。

「ねえハリー、今年はチョコレート、もらえるの? 去年、1個ももらえなかったじゃん」

 先輩の言葉に、僕は慌てて振り返った。

「そっ、それも……ハラスメントです」

 小さな声で反撃した僕の横に、上司が並んだ。

「1個はもらえるわよ、ね?」

 そう話す上司の表情は、僕の目に意地悪に写った。

「彼女から」

 上司の言葉に一瞬、僕は言い返す言葉を失った。

「あー、リナちゃんね!」

 先輩が嬉しそうに笑う。

「彼女は……、その、彼女じゃ……ありません」

「ハリー、顔、赤くなってるー!」

 ああ。やはり、バレンタインデーは嫌いだ。

 また、憂鬱なイベントがやってくる。

 

 

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