あの瞬間を飛び越えろ

皐月墨華

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 坊やよろしく「飛び出し注意」の看板なんてどこにでもある。

 だから、気にしていなかった。

 欄干を過ぎて、ショートカット。公園の合間から歩道、そして完璧なルート。

 ここを下ればそこには駅の改札手前に躍り出る。

 クソガキ時代から変わらない時短ルート。

 今日こそは、遅れるわけにはいかないと走った。

 走りきったとすら、思った。

 と思ったのに。

「……っ!」

 眼の前に、人。

 おとな。

 ぶつかる! と思ったときには目の前が一瞬、暗くなった。

 う、と肩に変な感触がして、目を開ける。スーツ、らしきグレーのストライプ。濃い紺色のネクタイ。と、よくわからないマークのピン。

「滑り落ちるだろうが」

 オレはどうやら、そのひとに抱きとめられていたらしい。

 不意がすぎる。いや、飛び出したのはオレだ。オレのほうなんだが。

 いまのところ、ケガをお互いしていない。

 して、いない?

 さきほどこの人は、なんと、言ったか。

 滑る。

 落ちる……?

「さいっあく!」

 かっとなった自分は、浮かんだ言葉をそのまま口に出した。

 が、当然この男には何の意味を示しているのか理解されなかったらしい。

「……?」

「今から、試験……なのに」

 いわゆる試験前のNGワード。

 聞きたくなかった。

 よりによって、今後の将来を左右する入社試験前とか、クソだと思う。

 幸い面接じゃないし、企業に直接行くわけでもないから、ここで落ちたからどうというのもないだろう。

「……あー」

 オレの落胆が目に見えてひどかったのか、その人は言葉を濁したように思った。

「ところで、試験会場は?」

「山田台から徒歩5分……」

「お前、ちゃんとアプリ見てんのか」

「?」

 目の前のスーツ姿の男はため息とともに、俺の携帯で開きっぱなしのアプリの道案内を指さした。

「ここに書いてるだろ、逆方向。反対のホームだよ」

 ぺしんと嫌な音を立てて、背中というか腰というかを押された。

「ひ」

 音よりもびっくりしたことで、変な声が出た。出てしまった。

「がんばれよ、試験」

 ああ、こういうときにセクハラなる言葉を使うべきなんだ。

 でも、そもそも、自分がやんちゃなルートでここに辿り着かなければ遭遇すらしなかったわけで。

 つまり、自分の落ち度。

「クソが!」

 背負ったままの財布と筆記用具がカチャカチャと音を立てる。

 あの衝撃のせいか、なぜか冷静になった状態で試験を受けられたオレは、すらすらと問題を解けてしまった。時間も十二分にあり、復習や検算の余裕まであった。

 そういう効果効能は望んでいなかったのだけれど。

「なんか、見覚えあるんだよなぁ」

 どこかで見たことのあるエンブレムが、その会社の社章だと気づくのは、もう少しあとになってからだった。

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