第18話 オーロラ・アークゲートは決心する

 アークゲート家の馬車の中で私は頭を抱えて座り込んでいた。馬車に乗り込んでからというもの、周りの目を気にすることなくずっとこんな感じだ。とはいえ向かいにいる唯一の従者も同じように魂が抜けたような表情をしているけど。


「ど、どうするのよ……まさかノヴァさんだったなんて……お、お姉様にバレたら……」


 悩んでいるのはつい先ほど街で出会ったノヴァさんについてだ。まさかお姉様の想い人に会うなんて思ってもみなかった。


「お、お嬢様……ノヴァさんと当主様は会って話す間柄です……ノヴァさん経由で今日の事はバレるかと」


「こ、こんなことならノヴァさんに言わないでとお願いしておけば……いえ、どうせお姉様にはバレるわね……」


 ただ悩んでいるのはノヴァさんに出会ったことではなく、私の態度についてだ。いや私の勘違いで、ひょっとしたらそんなことは言っていないかもしれない。

 そんな縋るような思いを、目の前の従者に投げかける。


「……私、ものすごく失礼だったわよね?」


「貴族であることを鼻にかけるだけでなく、ノヴァさんを知らなかったとはいえあんた呼び……当主様の耳に入ればどうなることやら……お嬢様、今まで長い付き合いでしたが、楽しうございました」


「ちょっと、一人だけ助かろうとしてるんじゃないわよ!」


 自分の保身しか考えていないリサに怒鳴る。きっとリサはふざけて言ってるだけで、本心は違うんだよね? とちょっと思ったのはここだけの秘密。でもこれまでのリサを見ていると、本当にヤバいときは裏切ってもおかしくない気もするけど。


 裏切り候補のダメダメ従者のリサは一旦置いておくとして、ノヴァさんとお姉様の事を考える。でも考えても考えても、もうどうしようもなかった。こうなれば私が取れる手段は一つしかない。


「……今日あったことを正直にお姉様に話すわ。ノヴァさんから聞くよりも、その方がまだマシよ」


「流石お嬢様、生き残るために汚い」


 このダメダメ従者はなんてことを言うんだと、ちょっとだけイラっとした。


「なら他に良い案があるのかしら? 何の力も持たない侍女さんは」


「ないです! 一生ついていきますお嬢様!」


 深く頭を下げるリサ。くるくる返す手のひらに、大きくため息を吐いた。起こってしまったことは仕方ない。それにお姉様なら話せば分かってくれるはずだ。分かってくれるかなぁ……。


 カーテンの間から見える空を窓を通して見る。雲一つない空に月が輝いている。これからお姉様に今日の出来事を伝えに行くのは心が折れそうだけど、少しだけ心はうきうきとしていた。


あの人が……ノヴァさんなんだ……。


 お姉様が思いを寄せているノヴァ・フォルスというのがどんな人なのか気になってはいた。女帝、悪魔、冷血、たった二文字でここまで裏で言われているあのお姉様の想い人には興味と、ご愁傷様という気持ちを抱いていたくらい。

 彼はお姉様を越えるような化け物か、それともお姉様に玩具にされるような弱々しい男か、そんなことを思ったりもしていた。


 でも今日知り合ったノヴァさんは私が考えていたノヴァ・フォルスの像が吹っ飛ぶような強烈な人だった。私に対してあそこまで強く言ってくれる人は誰もいなかったのに、彼はそれをしてくれた。しかも他でもない私のためにやってくれたんだ。


 私のために強く怒ってくれた人は、お姉様を除けばノヴァさんが初めてだった。


 ふと私は思い出した。菓子屋の前で並んでいるときにノヴァさんは私の事を叱りつけた。「ダメだ」という三文字が耳を突き抜けたときに、体中が沸騰するようだった。それが一体何なのか分からないけど、心地よかった。


 あぁ、こんな風にまっすぐ目を見て、私を見つめて、私のために叱ってくれる男の人がまだ世の中にはいるんだって教えてくれた。

 彼とはきっとまた会う。お姉様はノヴァさんを決して逃がしはしない。だからその時、彼は家族になる。


 ノヴァお兄様になる。


 なんでか分からないけど、ノヴァさんの笑顔が頭に残り続けて消えなかった。けど消えないことが逆に嬉しかった。








 ×××






 数日かけて俺の屋敷へと戻ってきた。今のところはシアから連絡は来ていない。急いで帰ってくる必要はなかったなと思いつつ、俺は中庭で少しだけ剣の訓練をしていた。帰りの馬車で寝たので体力はまだあるけど、疲れているのに変わりはないのでこの日の訓練は軽めにして、後はゆっくりするつもりだった。


 中庭で訓練をしているときに合流したターニャを連れて自室へと戻り、彼女と別れてからあったことを話し始めた。


 サリアの街のみならずノーザンプションの街でもシアの事を聞いたけど、良いことばかりが返ってきたこと。

 街はサリアの街よりも賑わっていて、商店の品ぞろえも良かったこと。


 その全てをターニャは楽しそうに聞いていたけど、ミルキーウェイの店の前で出会った少女が実はシアの妹であるということを話したときは目を丸くしていた。


「本当に驚いたよ……でも、あのシアの妹ってだけあって賢くて優しくて、それでいて話しやすい子だったな。今はまだ子供だけど、成長が楽しみだよ」


「…………」


「……ターニャ?」


 驚くのは分かるが、驚きすぎではないだろうか。今だって彼女は目を見開いて銅像のように固まってしまっている。かと思えばハッとしたように我を取り戻した。


「よ、良かったですねノヴァ様。これでシアさんの実家に行ったときに知っている人が一人増えましたよ」


「あ、そういった意味では良かったのか」


「……というかまさかあの人、わざと妹をノヴァ様に会わせてもっと外堀を埋めるために……あっ!」


 何かボソボソと呟いていたターニャは、思い出したかのように大きな声を出した。俺の方を勢いよく振り向いて口を開く。


「ノヴァ様、お土産、買ってきてくれましたか?」


「あ、いや、さっきも話したけどオーロラちゃん達にあげちゃったから、もうないんだ」


「…………」


「いや、ショック受けすぎでしょ」


 この世の終わりのような顔をするターニャを見てちょっとだけ不憫に思ったけど、彼女はすぐに溜息を吐いて、別にいいですよ、と言った。


「今度持ってきてくれるように、知り合いに頼みますから」


「あ、ああ……ごめんな」


 よく分からないけど、彼女には彼女なりの伝手があるらしい。ノーザンプションの街に向かう商人の中に知り合いでもいるのだろうか。そんなことをふと思った昼間だった。

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