第17話 夕暮れ時、広場にて、貴族の少女と

 ミルキーウェイのお菓子屋での小さな事件――事件とも言えないけど――の後、街を適当に回り、夕方になった。今日の夜には馬車を借りて、自分の屋敷に戻る予定だ。このノーザンプションにゆっくりと滞在していてもいいんだけど、シアから連絡が来るかもしれないと考えると、シアについて聞き終えた今、なるべく早く屋敷に帰りたかったから。


そんなわけで馬車の時間を待っている間、俺は広場のような場所へ行って、備え付けのベンチに腰を下ろしていた。北の街が一望出来て、ポツリポツリと灯り始める明かりがどこか温かさを感じた。


 そうしてすることもなく、しばらく黄昏ていたときにその声は聞こえてきた。


「あ! あのときの」


「あ」


 振り返ってみれば、先ほどミルキーウェイのお店の前でひと悶着あった少女が立っていた。けどその手にはお菓子の袋はない。


「あれ? お菓子……」


 思わず尋ねてみれば、目の前の少女はみるみる不機嫌になった。


「売り切れで買えなかったのよ!」


 なるほど、それは不機嫌になるはずだ。チラリと彼女の横に立つリサという女性に目を向けると彼女は口に手を当てて、小声で教えてくれた。


「結構ギリギリでなくなってしまったらしく……」


 しかもかなり悔しいパターンだったようだ。少女は落胆しているし、本当に直前で在庫がなくなってしまったのだろう。がっくりと肩を落とす彼女を見て、放っておけない気持ちになった。


 ベンチに置いてある袋を手に取り、その中からお菓子の箱を取り出す。本来はターニャに買っていくものだったけど、彼女には我慢してもらうとしよう。丁寧に包装された箱を少女に差し出した。


「……え? くれるの?」


 目を丸くして、けれど物欲しそうにお菓子の箱を見るので、少し笑ってしまった。それをごまかすように口を開く。


「ちゃんと列に並んだから、そのご褒美ってことで」


 少女はおずおずと手を伸ばし、箱を受け取ってくれた。両手で大事そうに持って自分の胸元まで持ってきた後に俺の方を向いた。


「……ううん、半分だけもらう。だから、一緒に食べよう?」


「…………」


 優しい子なんだなと再認識した。俺は彼女の言葉が嬉しくなって、笑みが深くなってしまう。


「ああ、ありがとな」


「……ふふっ、あなたがお礼を言うのは変でしょ」


 初めて、少女の笑顔を見た気がした。髪の色も顔も違うのに、なぜかあの日のシアと被って見えた。


「えぇ!? お嬢様、私の分は!?」


 リサという名前の使用人はショックを受けた様子で少女に問いかける。尋ね方に、少女と彼女の間には長い付き合いがあるのかなと思った。それこそ俺とターニャみたいな関係性が。


「主人のものを欲しがるんじゃないわよ……と言いたいところだけど、どうせなら三人で分けましょ。それでもいい?」


「ああ、好きにするといいよ」


 そう言うと少女はもう一度花が咲くような笑みを浮かべて俺の座っているベンチの隣に腰を下ろした。リサさんも、じゃあ私はここで、とさらに少女の隣に腰を下ろす。


 少女が箱を開けば、砂糖に包まれた一口サイズのお菓子が出てきた。彼女は一つを摘まんでリサさんに渡し、もう一つを摘まんで俺に差し出してくる。それを受け取り、俺達はほぼ同時に口に菓子を入れた。


「んー! 美味しいですー!」


「ここのお菓子は本当に美味しいわね」


「おぉ、これは旨いな」


 三者三様の反応だけど、お菓子がおいしいことに変わりはなかった。三人でお菓子を摘まみながら舌鼓を打つ。甘味が口の中に広がり、それを堪能していると少女が不意に訪ねて来た。


「ねえ、聞いていい? どうして列に割り込むのを止めたの? いえ、止めてくれたのはあなたが正しかったと今は思うけど……私達の恰好を見れば貴族だって分かったはずだし……ひょっとしたら酷いことになるかも、とは思わなかったの?」


 彼女はおそらく、怖くなかったのかと聞きたいんだと思った。あるいは今日みたいに明確にダメだと言ってくれる人がいなかったから、初めての事だったのかもしれない。


「さっきも言ったけど、貴族だからとかで決まりを破るべきじゃないと俺は思うんだ。破った結果他の人が割を食うような決まりは特にね。でもそれ以上に、そうした方が君のためにもなると思った」


「私のため?」


「ああ、列に勝手に入られたら、嫌だと思うのが普通だろ? 今は君がまだ小さいから恨まれてはいない。けど大きくなった時にきっと君に返ってくる」


 今は亡き母の言葉だ。良いことをしなさい。相手の事を思いやりなさい。良いことは良いこととして、悪い事は悪い事として返ってくるのだから、と。世の中には母の言葉通りにならない人が沢山いる。俺の周りにもいる。けど俺だけは母の言葉を護りたいと思っている。


「だから、あの時大声で……」


「名前は憶えやすいからね。まあ、ちょっとした諍いになりかけてたから、あまり意味はなかったかもしれないけど」


「いえ、私のためだったのね。……ありがとう」


 深く頭を下げる少女に対して、俺は困ったように笑う。


「俺だけじゃないよ。きっとリサさんだって、それが分かっているから君を止めたんだ」


「リサも? いえ、きっとそうね。いつもリサは、正しくないことは正しくないって言ってくれていたもの」


 リサさんの方を向く少女に対して、リサさんは穏やかに微笑んだ。


「今日のお嬢様はご立派でしたよ。私の自慢です」


 えへんっと腰に手を当てて胸を張るリサさん。体は大きいものの、こうして見てみると少女と同じくらいの年に思えてしまうのはどうしてなんだろうか。そんな事を思っていると、少女は俺の方をもう一度向いた。


「改めて、ありがとう。あなたのような人があの時私の側にいて、良かった」


「そう言ってくれるなら、わざわざここまで来た甲斐があったよ」


 シアの事も知れたし、少女にも感謝された。本当に、ノーザンプションの街に来てよかった。


「そういえば見ない顔ね。この街出身じゃないみたいだし、どこに住んでいるの?」


「俺の出身は南のサリアって街だよ」


「え、もの凄く遠いわね。……ねえねえ、どうしてノーザンプションに?」


 身を乗り出して俺の顔を覗き込んでくる少女。ふと、彼女の瞳の色がシアと同じ灰色であることに気づいた。


「この町が良いところだって聞いて、来たくなったんだ。今日一日色々な場所を回ったり、いろんな人に会ったけど、確かにいい場所だね」


 そう言うと、彼女は得意げな顔をした。


「ええ、ノーザンプションは素晴らしいところよ……そ、そうだわ! この街に住むのはどうかしら!?」


「……え?」


 突然言われた一言に俺は思わず返してしまった。しかし少女は本気なようで、俺の返答を待っている。その後ろではリサさんが慌てていた。


「お、お嬢様! なにを言っているんですか!」


「えー、いいじゃない。仕事なら紹介できるし、いい考えだと思うんだけど」


「こちらの方の都合も考えてくださいよー」


 肩を落とすリサさんとむくれる少女。まだまだ子供かと思い、俺は微笑んで返答した。


「ごめんな。俺は今住んでる場所が気に入ってるから、それはちょっと無理かな」


 正確にはちょっとどころか、かなり無理だ。俺の領地は父上から賜ったものだし、シアとのこともある。ノーザンプションの街は魅力的だけど、今すぐに決められることではなかった。


「むー、こんな風に言ってくれる人、珍しいのに……」


「大人しく諦めてください、お嬢様」


 さっきのように少女を諫めるリサさんと不機嫌にむくれる少女。けどその理由が俺なのだから、ちょっと笑ってしまう。そんな二人を照らしていた茜色が暗くなっていく。日が沈もうとしている。それを見て、俺は大事なことを思い出した。


 馬車のことをすっかり忘れていた。時間的にはまだ間に合うが、そろそろ向かう方が良いかもしれない。


「ごめん、俺この後帰らないといけなくて。……残りの菓子は二人で楽しんでくれ」


「そうなの? 残念ね、もっと話したかったのに……あ、そういえば、あなた名前は何て言うの?」


「お嬢様、人に名前を尋ねるときは自分が先に名乗るべきですよ」


 自分の名前を返答しようと思ったらリサさんに先手を打たれてしまった。少女はぽかんとした顔をした後に「あぁ」と呟いた。


「そういえば言ってなかったわね。私の名前はオーロラ・アークゲートよ。親しい人はオーラって呼ぶわ」


 そう名乗った少女の名前を、頭の中で復唱する。オーロラ・アークゲート。つまり、家名はアークゲートなわけで。


 シアの妹!? と内心で叫び声をあげた。驚きすぎて声にしなかったのは助かった。けど思い返してみればここはノーザンプションの街で、そこの貴族と言えばアークゲート家になるのは普通だ。なんでその可能性に行きつかなかったのか、自分の考えが足りなかったと思った。


「……ちょっとどうしたのよ。まさかアークゲート家だから畏れ多いとかって言わないでよ。貴族とか関係ないってさっきはカッコよく言ってたのに」


「あー……えっと……俺の名前はノヴァ・フォルスだ」


 貴族のご令嬢とはいえ、まだ子供。同じアークゲート家とはいえ、ひょっとしたら俺の名前をシアから聞いていないかもしれないと一縷の望みをかけて名前を告げたのだけど。

 オーロラちゃんの顔が固まった。


「ま、まさかと思うけど……フォルス家の……三男……」


「あー……うん」


「……お姉様の……婚約者……」


 わなわなと震えるオーロラちゃんを見て、ちょっと不味いことになったかもしれないと思った。シアは言ってしまえば慈愛の塊のような存在だ。そんな彼女を姉に持てば、オーロラちゃんとてシスコンにもなるだろう。それこそ俺を目の敵にしかねない、と思ったのだが。


「えっと……その……こ、今後も会うかもしれないから……よ、よろしくね! これ以上は悪いから私達も行くわね! リサ!」


「は、はい! 行きましょうかお嬢様!」


 オーロラちゃんはぎこちない笑みを浮かべたままで震えているリサを連れて、その場をそそくさと立ち去って行った。とはいえ帰り際に手は振ってくれていたので、嫌われたわけではないようだ。


「……そりゃあ、ちょっと気まずい感じにはなるか」


 全く初対面の人と思っていたら姉の婚約者だったのだから無理もない。まだ婚約者じゃないけど。

 それにしても、今後シアと付き合う中でオーロラちゃんと会うこともあるだろう。その時にどんな顔をして会えばいいのか、少しだけ不安になるような別れ方だった。


「……行くか」


 日は沈みかけている。俺は踵を返して歩き出し、誰もいなくなったベンチを後にした。

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