婚約破棄を代理ですることになりました

村沢黒音

第1話




「『マリィ・ティロル。お前との婚約を破棄する……!』」




 ここは卒業パーティの会場。

 華やかさとお祝いムードに満ちた場で――。

 あまりに空気の読めない発言をしているのは、僕。


 周囲の視線は僕に集まった。

 そして、誰もが頭に疑問符を携えている。


「はい……?」


 それは僕に『婚約破棄』をされた伯爵令嬢も同様だった。


 彼女の名前は、マリィ様。


 僕の顔を見て、おっとりと首を傾げている。黄昏をたっぷりとまとったような、美しいハニーブロンドの髪が肩から零れた。透き通った春の泉のような瞳を大きく見開いている。


 彼女がまず抱いた疑問も、周囲が抱いた疑問も、きっと同じだったはずだ。


 すなわち――『この男、誰?』と。


 きらびやかな令息と令嬢に囲まれて、僕はあまりに場違いな地味な男だった。

 身にまとうのは執事服。焦げ茶色の髪と目は、素朴な雰囲気だとよく言われる。


 僕はあまりのいたたまれなさに、冷や汗をかきながら、言葉を付け足した。


「…………と、私の主人である、ジュール・ミュッセ様が申されていました」

「えっと……?」


 マリィ様は、おっとりとした眼差しで僕を見つめている。


「あなたは、ジュール様の従者のロイクさんでしたよね」


 何と!

 彼女の桜色の唇から、僕の名が紡がれる日が来るとは!

 彼女の形のいい頭の中に、僕の名前が記憶されていようとは!


 これはとんでもなく名誉なことである。僕は心の中でむせび泣きながらも、表面上は冷静に話を進めようとしていた。


「はい。従者のロイクです。このような祝いの場では大変不躾であることは承知しているのですが……ジュール様がどうしても今日告げてこいと……」

「はあ……」

「それで、その……ジュール様の代理で、婚約破棄をしに来ました」


 マリィ様は華奢で小柄な体格をされていて、例えるなら小動物のようなご令嬢だった。


「……まあ」


 彼女はまるでリスのように、目をまん丸くするのだった。




 事の発端は、パーティが開催される前のこと。

 僕の主人であるジュール様は、控室でぶつぶつと言いながら支度をしていた。どうやら、パーティに乗り気ではないらしい。


 僕の名はロイク。ジュール様の従者だ。彼とは同い年で、乳兄弟だった。

 ジュール様は態度こそ高慢ではあるが、小心者で人見知り体質だ。そのため、僕以外の従者をそばに置きたがらない。


 僕がどれだけへっぽこで、間抜けなドジを踏もうとも。たとえば、屋敷のツボをうっかり壊したり、婚約者への手紙を届ける前にうっかりと紛失してしまったりしようとも。


 その日、僕はまたやらかした。


 ジュール様にお茶を運ぶ途中で、うっかりと転んで、それを彼にひっかけてしまったのだ。パーティ用のタキシードには大きくシミがついた。 しかし、その日のジュール様は珍しく、僕のドジに目くじらを立てなかった。


「おお、見ろ、ロイク! 俺の衣装は台無しだ!」

「ああ、すみません、すみません……!」

「これで卒業パーティには出席しなくてよくなった……あ、いや、欠席するしかないようだな!」


 と、ジュール様はむしろ晴れ晴れとした顔で告げる。


「いつもお前のドジにはうんざりしているが、今日ばかりはよくやったと褒めてやろうではないか」

「わぁ~ありがとうございます!」

「皮肉も混ぜているんだ……いや、愚鈍なお前には、そんな高度なことは理解できないか。ところで、この高価な衣装を汚したとあっては、お前は父上にきつく叱られるだろうな」

「そんな……」


 ジュール様の父上――つまり、子爵家の現当主。彼はジュール様を更に高慢で塗りたくったかのような人で、金にがめつい。

 間違いなく僕は叱られるし、弁償代も五割り増しくらいで請求されるだろう。


「だが……もし、お前が俺の頼みを聞いてくれるというのなら、この衣装は俺が汚したということで、父上に報告してやってもよいのだぞ?」

「ジュール様、今日はどうしたんですか? そんなに寛大なことを……まさか、変なものでも飲みました?」

「紅茶を飲んだのは俺の服の方だ。それで、ロイク。頼みというのは他でもない。お前、俺の代わりに、マリィに婚約破棄を告げてきてくれないか」

「は……はい!?」


 想像の遥か先をいく頼みごとに、僕はぎょっとする。


「本来なら俺が自分で言うつもりだったのだが……仕方ない。もうパーティは始まる時間だ。そして、格式のあるパーティに、こんな格好で参加するわけにはいかないだろう」


 格式のあるパーティを、空気の読めない婚約破棄で白けさせてしまうことはいいんですかねえ……。


 『仕方ない』と口では言いつつ、ジュール様はにやにやとしている。

 この人は小心者だから、自分で言いに行くのが嫌だっただけだろうな……。


「そんなこと、僕にはとてもできませんよ!」

「ほう……それならいいのだな? 服の弁償代と、卒業パーティを欠席することになる慰謝料も上乗せでな」

「うぐ……! でも。婚約破棄って何をしたらいいんですか?」

「確かにお前は、おっちょこちょいな上に機転も利かないからな……。わかった。言うべき台詞はすべて教えておく。お前はそれを口にするだけでいい。それくらいなら、馬鹿なお前にもできるだろう?」

「はあ……」

「まず、お前はマリィを指さしながら、大きな声でこう告げるのだ。『マリィ・ティロル。お前との婚約を破棄する……!』」

「ちょっと待ってください。メモします」

「メモしないと、これくらいの台詞も覚えられないのか……。まあ、いい。次の台詞はこうだ。『俺は真実の愛を見つけた。マリィとの婚約は両家が取り決めたもの。それは金絡みの結婚だ。しかし、そんな結婚は御免だ』そこで髪をかきあげ、髪をなびかせながら、こう言うのだ。『俺は愛のために生きる』お、なかなかかっこいい台詞じゃないか、これは?」

「えーっと、お前との婚約を、はき、する……と」

「まだ始めの台詞をメモしているのか!? 早くしろ!」

「すみません」


 僕はジュール様に急かされて、メモ帳に慌てて続きを書いた。しかし、ジュール様の台詞が早いので、書きとれたのは断片的な言葉だけだった。


「婚約破棄をすることで、マリィは泣き喚くだろう。その姿を見たら、お前はあざ笑い、こう言ってやるがいい。『ふん、今さら俺にすがったところでもう遅いのだぞ』と」

「ええー……それはちょっと……。人としてどうなんですかねえ」

「ではこうしよう。いくら泣きすがられようと、お前は無視をすればいい」


 なるほど。

 僕は忘れっぽいので、台詞だけでなくて、どうやって行動すればいいかも書いておかなくちゃ。「泣きすがられようと……」とメモをしていると、更にジュール様は話を続けた。


「ところで、マリィは俺が見つけた『真実の愛の相手』が誰なのか、気になることだろう。俺は何も悪いことはしていないのだから、彼女の名前は告げてしまってもいいぞ。男爵家のアネット嬢だ」

「男爵家となると伯爵家より身分が低くなりますが……ジュール様のお父様は許してくれているのでしょうか」

「無論だ。父にはすでに話を通している」


 彼は自信満々に頷く。

 僕はそのことも一応メモしておこうと思って、「アドルフ・ミュッセ様(ジュール様のお父様の名前)」と書いた。しかし、それ以上をメモする前に、話が先に進んでしまった。


「きっと、そこでマリィは『なぜ、私ではなく彼女を選んだの……?』ということを気にするに違いない。お前はこう告げるのだ。『比較にもならない。伯爵令嬢という立場でありながら、お前はいつも地味な格好ばかりではないか。その点、俺の新しい婚約者はいつも美しく、華やかなドレス姿を披露して、俺を癒してくれるのだ』」

「なるほど」


 僕はその台詞もしっかりとメモをする。


「まあ、これで大筋は問題ないだろうな」


 いや、問題しかないような気がするんですけど……。


「ミュッセ家は伯爵家に借金がありましたよね。そちらの清算は大丈夫なのでしょうか」

「借金なら大方返し終わっていると聞いている。残りは1万Gほどか。それくらいのはした金は、手切れ金代わりにくれてやろう」

「わかりました。お金について聞かれたら、そう答えておきます。でも、ジュール様。今日は卒業パーティなんですよ? 皆、今日という日を楽しみにしてきたと思うんです。そのような場を壊してしまうことになっても、本当にいいんですか?」

「何を言っているのだ。卒業パーティでの婚約破棄は定番なのだぞ」

「そうなんですか……?」

「俺も、一度はやってみたかったのだ。マリィの憔悴しきった顔を想像すると、笑いが止まらない」


 はい。僕の主人は下種野郎でした。


「でも、パーティで騒ぎを起こしたら、ジュール様のお父様にもお叱りを受けるのでは……?」

「父には話を通している。パーティのいい余興になると、父も楽しみにしていた」


 はい。親子そろっての下種野郎でした。


「しかし、父はドレス代のことを嘆いていたな……。パーティでは婚約者のドレス代は、男持ちになるだろう? どうせ婚約破棄をするのなら、今日のマリィのドレス代は払い損ではないかと、その点だけは叱られたよ」


 はい。性格に強突張りもプラスしておきましょう。


「とにかく、婚約破棄はお前に任せた。きちんと俺が教えた通りのことを言ってくるのだぞ」

「わかりました」


 もうどうにでもなれ。

 という境地で、僕は答えるのだった。

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