ねがいがかなう店

御餅田あんこ

ねがいがかなう店

 バターに、砂糖に、チョコレート。甘いお菓子の匂いに、ふわっと香る紅茶の匂い。

 友人のミカは、地元じゃ知らない人はいないくらいの有名洋菓子店でパティシエとして働いている。持ち前の努力と、彼女曰く運が良かったとかで、複数いるパティシエの中でも今やチーフの肩書きを得ていた。

 リエとミカは中学校の時からの仲で、お互い社会に出てからは会うことは少なくなったが、ミカから相談や話したいことがあると「新作洋菓子試食会」などという大それた名目で呼び出された。ミカの製菓技術は、店の人気が何よりの証左である。新作が出れば地元の若者の間に瞬く間に広まり、店の外に列が続くのもいつものことだ。列に並んででも食べたいほどの味を、何の苦労も無くタダで食べられるのは、役得と有り難がるには美味しすぎる。そこでリエは紅茶係を買って出た。ちょっと値の張る茶葉を仕入れ、ちょっと凝ったティーセットを持参し、ハウツー本直伝の美味しい紅茶を淹れる。

 テーブルの上には華やかな洋菓子と、鮮やかなティーセットが並び揃い、今回の「新作洋菓子試食会」の準備が整った。

 ミカがキッチンから、ペーパーナプキンと皿とフォークを持ってきて、リエの向かいに座った。

「この前、不思議な体験をしちゃったんだ」

 シュークリーム、ショートケーキ、ミニタルト。新作の解説を挟みながら、ミカは先日自分の身に起きたことを話し始めた。


 *


 閑散とした駅舎を出て、シャッターの目立つアーケード街で、ミカはふと足を止めた。

 建物と建物の間にあるほんの小さな隙間に、ドア一枚分に少し足した程度の幅の建物がぴったりと収まっている。以前はただの暗い小径だったはずだが、ミカの目の前にあるのは、日差しを浴びて一層鮮やかなターコイズブルーのドアだった。片田舎の駅前にはびっくりするぐらい派手に思えた。一ヶ月前に通った時には何も無かったので、つい最近できたばかりなのだろう。

 よく周囲を見回しても店の看板らしいものは見当たらないが、ドアにはOPENと書かれた札が下がっている。普段なら用事のない店には立ち寄らないが、何故か無性に中が気になって、店に足を踏み入れた。

 外観からの予想通り、店内は異様に幅が狭い。人がやっとすれ違える程度の幅が、見通せないほど奥まで続いている。壁は打ちっぱなしのコンクリートで、狭さも相まって地下通路を思わせた。

 特に目に付くのは、天井から吊されたいくつものガラス玉だ。それぞれの中には、雑多な物が収められていた。ビスクドールにオルゴール、年季の入った腕時計や、凝った意匠の万年筆。ある玉からは精巧につくられた眼球がこちらを見下ろしている。しばらく進んで見上げた玉には、女性らしい輪郭の腕――上腕から指先までの両腕が、まるで玉の外へ出たがっているようにガラスの内壁に掌を押しつけている。

 ひどく不気味な場所だった。

 振り返ると、入り口はもう遠い。明度の低い照明のせいで、扉が暗く見えた。先はまだ続く。延々と打ちっぱなしの壁と、天井から吊されたガラス玉が続いている。未だにここが何の店なのか分からないまま、ガラス玉を見上げて歩いていた時、奥から声がした。

「いらっしゃい」

 落ち着いた感じの、やや嗄れた女性の声だった。

 奥に向かって歩きながら、ミカは女性に呼びかけた。

「こんにちは。ここはどういうお店なんですか?」

 やがて、女性の姿が薄暗い中に見てとれた。短髪の美女で、パンツスーツの出で立ちがよく似合っている。女性はさながら演劇の一幕のように、勿体ぶった仕草でミカに向かって一礼すると、胸を張って誇らしげに答えた。

「ここは、何でも願いが叶う店」

「……何でも、ですか?」

 ミカは苦笑して聞き返した。何でも願いが叶うなら、誰も神や仏に縋らない。怪しいところへ来てしまったと思った。

「ええ、ここでは相応の対価を支払えばどんな望みも叶います」

「例えば、宝くじを当てたいとかでも?」

 出来ないだろうと少し馬鹿にしたような態度で言ったミカに、女性は「ええ、できますよ」と当然のことのように答える。

「ただ、対価を支払うと言うことは、当てたい額の分、あなたはここで失うということになります。それがあなたの人生にとって必要な事ならば、ここで相応の物を支払えばいいでしょう。金銭だけが目的ならば、お薦めはしませんが」

「じゃあ、一億当てたかったら一億を払うって事ですか? 払う一億があるなら、誰もわざわざ手間を踏んで一億当てようとは思いませんよね」

「ここでは金銭の価値は額面では判断しませんので、その限りではありません。ゴールドならともかく、紙幣にはそれ自体に価値がありませんから。でも、あなたなら分かるはずです。扉を見つけたのなら、あなたには、お金では叶えられない願いがあるということでしょう?」

 ミカは内心ぎくりとした。ミカにはどうしても叶えたい夢があるが、金銭的事情ではなく、人間関係の問題によって未だに踏み切れずにいる。だが、大なり小なり、誰にでも金で解決しない問題くらい一つ二つあるものだ。

 女性は、天井から吊されたガラス玉を指し示す。

「ご覧下さい。これらの収蔵品は、願いの対価に支払われた物なのです。美しいでしょう。これらの金銭的な価値以上に、ひとつひとつに、込められた思いがあります。軽々しく差し出されるべきものなど一つも無かったというのに、望みのためならばとここに捨て去られていきました。私はこれまで、数々の願いと思いを秤に掛け、良い取引を行ってきました」

 恍惚とした表情で話す女が、まるで悪魔のように見えた。言葉の真偽はさておき、それならばあの目玉や腕もそうだということになる。精巧な作り物ではなくて、あれは、それなら――。考えると吐き気が込み上げた。

「すみませんが、どうやら私には荒唐無稽の話のようです」

 ここを出よう、そう思って踵を返した。視線を落としたミカの足下には、はじめからそんな模様があったのかどうか、天秤の絵図が描かれていた。ミカは銀色の皿の上に、もう一方には金の皿があり、その上には何も描かれていない。

「あなたは何を願いますか」

 女性の言葉を聞いた途端、目が眩んだ。床に描かれた金の皿の上で、何かが蠢くように見えた。背筋に悪寒が走る。まるで夢を見ているような、現実感の希薄な浮遊感があった。辛うじて足を動かし、振り返らずに入り口へ向かった。

 女性はミカを引き留めるでもなく、落ち着いた声音で「またお越し下さい」と言って送り出した。

 ドアを開けて、見慣れたアーケード街に出た時、ようやくミカは安心してドアを振り返った。今しがた通ったターコイズブルーのドアは、どこにもなかった。あったのは、以前から知っている建物に挟まれた狭い路地で、両脇の建物に日差しを遮られて、じっとりと陰鬱な気配を漂わせていた。そこを、まるで何も無かった、何も起きてはいなかったというように、老人の乗る自転車が走ってくるのが見えた。



「その時にもし何か願っていたら、私、どうなっていたのかな」

 どこか名残惜しそうにミカは笑った。

 ミカは嘘がつけない。冗談で作り話をさせると、あからさまに態度に出てしまう。リエは話を聞いて、少なくともミカはその不思議な経験が自分の身に起きたことだと信じているのだと分かった。

 ミカの夢は、独立して自分の店を持つことだ。どんな事情があるのかは知らないが、リエが早く独立しなよと言った時、ミカは困ったように笑ってはぐらかした。その理由も話そうとはしない。資金に困っているのなら協力できることはすると言ったが、お金じゃなくて、と、やはり言葉を濁した。ミカには、お金では叶えられない願いがあのは確かだった。

「もし次にその店を見つけたら、また入ってみようとか思ってないよね? それ、絶対関わっちゃダメなやつだって」

 真剣に釘を刺すつもりでリエは言った。

「私だって分かってるよ」

 ミカは、大丈夫だって、と軽く笑った。

 釘を刺したから安心だと思ったわけではないが、それから話題も変わり、ミカのいつもと変わらない明るい様子に、リエはなんとなくミカなら大丈夫だろうと安心しきっていた。

 これが、ミカと最後に「話した」日になった。


 次にミカの家に招かれた時、ミカは声を失っていた。調子が悪いとは少しも聞かなかったのに。どうしたのかと心配するリエに、ミカは経緯を説明するより先に、電子メモパッドに文字を並べていく。

『ようやく自分の店が持てる』

 踊るような筆致。心底嬉しそうに笑うミカは、話せなくなったことを不便そうにしつつも、悲嘆しているようには見えなかった。にこにこと楽しそうに微笑みながら、いつもと同じように新しい洋菓子を並べた。話せない代わりに、それぞれの菓子には可愛らしい説明のポップカードを付けて、仕草で自信作を紹介していく。

 よくよく問い糾すと、ミカは再びターコイズブルーのドアを見つけて、女性に会ったらしい。そして、願いと引き換えに声を置いてきたというのだ。

 その不思議な店のガラス玉の中では、もしかしたらミカの嬉しそうに笑う声が響いているのかもしれない。

 深い事情をミカが話さなかったから、リエもそれ以上彼女を責めることは出来なかった。けれど、そんなことをしなくても、美佳の気持ち一つで独立ぐらい出来たのではないだろうか。当のミカがあっけらかんとして嬉しそうにしているのが、リエにはやりきれなかった。

 それからしばらくして、ミカの務めていた有名洋菓子店は閉店することになったと聞いた。入れ替わるようにして隣町で開店したミカの店には、前職場の根強い固定客が足繁く通うようになったらしい。リエも客としてミカの店を訪れたが、ミカのつくる菓子の味は、声を失う前と後で少しも変わっていない。

 それなら、ミカはターコイズブルーのドアの奥で、声の代わりに何を得たのだろう――。

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