万病をなおす医者

城 龍太郎

万病をなおす医者

 エヌ氏は怪我を負っていた。今さっき、後ろから車にはねられたのだ。

 車とぶつかる直前に避けようとしたが、運悪く足が車輪に巻き込まれてしまった。しかも男を轢いた車はそのまま走り去ってしまったのだ。

「世の中にはとんでもないヤツがいるもんだ」

 幸い命に別状はなかったが、立ち上がることができない。どうやら両足の骨が折れているようだった。この辺りは普段から人通りが少なくどうしたものかと思ったが、丁度良いタイミングで人が向こうからやってきた。

「ちょっとすいません」

「どうかなさいましたか」

 通りかかった、身なりの整っている初老ほどの男がこちらに気付く。

「私はエヌといいますが、実はさっき……」

 今あったことを話し、足の骨が折れたようで動けないのだということを伝える。そこで男は少し考え込んでいたが、やがて口を開く。

「そうですか、私はアイといいまして、実は医者をやっております。良ければウチで診てさしあげましょうか。機材等は問題なく使えるので」

「ぜひお願いします」

 エヌ氏は痛みに耐えながら答えたが、そこで力尽き、意識が途切れた。



 次にエヌ氏が目を覚ましたのはベッドの上だった。

 しばらく記憶があいまいであったが、徐々に意識がはっきりして、自分が車に轢かれ、医者を名乗る男と会ったことを思い出した。

「目が覚めたようですね」

 エヌ氏が寝ていたベッドのすぐそばまで白衣を着たアイ氏が近づいてくる。

「どうですか、気分は」

「ええ、大丈夫です。そういえば足の方は……」

 エヌ氏は自分の足を見て、驚いた。何も手当てがなされていないように見えた。否、状態を正確に記述するのであれば、そこに傷一つなく、痛みはまるで元から無かったかのように消えていたのだ。

「あれ、俺の足はたしかに折れていたはずなのだが……」

 エヌ氏はアイ氏に尋ねる。

「ええ、私が治しましたよ」

「あなたは魔法でも使ったのですか。確かに私の足は折れていたはずです。とても、すぐには完治しそうにはないほどに」

 エヌ氏は戸惑っている。

「いえ、私はあくまでも医者です。そして私には、ほとんどの病気を一日で治すことができるのです」

「すごいですね。もしもこれが誰かから聞いた話であったら、冗談はよせと笑ってしまうところですが、実際治っているのをみると信じざるおえませんね」

「ええ。ですがこのことはあまり騒ぎたてないでいただきたい。私はひっそりと暮らしたいのです」

 しかしエヌ氏は今日の出来事を話したくて仕方がなかった。それもそのはず、こんな不思議な体験をすることは滅多にない。

 そしてエヌ氏は帰ってからこのことを何人かの友人に熱っぽく話した。アイ氏には悪いと思ったが、話したとしてもアイ氏には悪いことはないだろうと自分を納得させた。

 しかし、友人らはエヌ氏の話を冗談だと軽く受け流した。その反応をみてエヌ氏は、よく考えてみればこんな話を誰も信じるわけないと思い直し、このことを話すのをやめた。



 ところがその数日後、友人のエフ氏がエヌ氏のもとにやってきた。エフ氏は非常に深刻そうな顔をしていた。

「どうした、浮かない顔をして」

「それがきいてくれよ。娘が突然重い病気に罹ってしまったんだ。いくつも病院を訪ねたが、どの医者もどうすることもできないと言って匙を投げた。娘は今もひどく苦しんでいる。私たちは途方に暮れていた。しかしそこでおまえが万病を治すことのできる医者を知っているという話を思い出した。冗談だったのかもしれないが、こっちは藁にも縋る思いだ。その医者を紹介してはくれないか」

「いや、あれは本当のことだ。しかも必ず治せると言っていた。今から娘さんをあの人のところへ連れていこう」

 結論をいえば、アイ氏は、エフ氏の娘の病気を一日、しかもたった三時間ほどで治してしまった。アイ氏は治療前に少し悩むそぶりを見せていたが、エフ氏の必死な顔と衰弱しているエフ氏の娘をみて、治療することを引き受けた。治療のとき、外で待つように言われたため、どんなことが行われたのかは分からなかったが、娘がすっかり元気を取り戻した様子をみて、エフ氏は泣いて喜んだ。

「ありがとうございます、いくら感謝してもしきれません。謝礼はどれほど払えばいいでしょう」

「私は謝礼金のために、娘さんを治療したわけではない」

 アイ氏は本当にお金が要らないようだったが、その謙虚な姿勢を見て、エフ氏はますます感心した。

「あなたほどすばらしいお医者様は他におりません。ぜひあなたのことを皆に知ってもらい、困っている人を助けてあげてほしい」

 アイ氏は止めたが、エフ氏はこのことを自分のブログに書き、人々に話した。

 こうしてアイ氏の噂は少しずつ広がっていった。

 アイ氏はあまり騒がれるのを好まなかったが、やってきた病人は温かく迎え、次々と病気を治していった。

 それでも相変わらずその治療法はアイ氏以外誰も知らなかった。というのも患者は治療室のベッドで注射され、そのまま眠ってしまい、起きたときにはすでに治療は終わってしまっていた。だからどんな治療がなされているのかを知る余地がなかったのだ。

 そのうちにどんな病でも治してしまうことから、アイ氏は万病を治す医者と呼ばれるようになった。治してもらった人々はあらゆる場所でその話をして、ますます噂は広まった。

 そうして毎日のようにアイ氏の元には病人が大勢押しかけるようになった。アイ氏はすべての人を診察し、治療していった。



 しかし噂というものには必ず尾ひれがつくもので、それは決して良いものだけではなかった。

「どうやっているのか知らないけど、全部でっちあげなんでしょ」

「そもそもあなた、あらゆる病気を治せるというのなら、なんでその方法を皆に教えないの。金儲けのために独り占めしているのね、なんて卑怯な人なの」

 診察を受け付ける電話口で、このようなことを何人にも言われるようになった。アイ氏はわざわざ文句を言うために電話をしてくることに驚き、そしてうんざりした。

 また、ある時はテレビ局から取材を頼まれた。特集番組を組みたいと言ってきた。アイ氏はそういうのは本業に差し障るのでと丁重に断るが、するとインチキ野郎と罵られ、一方的に電話を切られた。もちろん応援してくれる人も少なからずいたが、治療している様子を見せないことに疑問を持つ人は多く、次第に非難の声は大きくなっていった。



「ちょっといいかな?」

 それは、アイ氏が今診ている患者の治療をして 、一日の仕事を終わりにしようとしていたときだった。男は返事も聞かずに勝手に入ってくる。

「ちょっと診てほしいんだが」

 男はつっけんどんにそう言った。

「今日はもう予約の方で終わりなのですが」

「あ? せっかく来たのに追い返すのか、医者のくせに」

 アイ氏はムッとするがそれでも表情を変えずに「では、どのようなご用件でしょうか」と診察に来た理由を訊く。

「頭が痛くてな、原因は分からん。さっさと診てくれよ」

 男は妙な笑みを浮かべていた。アイ氏は嫌な予感を感じたが、体調が悪いと訴える人を無碍にするわけにはいかなかった。

「わかりました、では奥の部屋へどうぞ」

 アイ氏は男を奥のベッドのある部屋に連れていく。

「ではそこに横たわってください」

 しかし男はその言葉には従わず、いきなり暴れだした。

「俺は雑誌の記者だ。胡散臭い医者がいると聞いたんでな、なんとかその秘密を暴いてやろうと思ってきたんだ。どうせ、裏では良からぬことをしているに決まっている。証拠をみつけて記事にしてやる」

 そう言って、アイ氏を思いっきり突き飛ばし、駆け出した。

 記者が秘密を見つけるのにそう時間はかからなかった。ベッドのある部屋の隣の部屋の扉を開けると、記者は中の光景に唖然とした。

「なんだこれは」

 その部屋には、現代では見たこともないような機械がずらりと並んでいた。色とりどりのランプが点滅し、ピロピロと何やら不思議な音も聞こえる。中でも記者が目を奪われたのは、オートメーションで動いているロボットが、眠っている患者を何人も運び、大きな装置の中に寝かせていたことだ。

「たまげた、いったい何をしてやがるんだ」

 記者は隠し持っていた小型のカメラでカシャカシャとフラッシュを焚いていく。

「これはとんでもねえ特ダネだぜ」

 装置を観察しては次々と写真を撮っていく。

 あまりに夢中になっていたため、ついに記者は後ろから人が近づいていることに気付くことはなく、そして音もなく彼は気を失った。



 次の日、誰も知らないうちにアイ氏は姿をくらませていた。アイ氏のいた建物内は好奇心旺盛な人々によって勝手に捜索されたが、すでにもぬけの殻で何一つ珍しいものは置いていなかった。押しかけた記者は、朝起きると近くの公園のベンチにいた。昨日のことを思い出し、カメラを探したがどこにもなかった。自分の勤めている出版社に行って、昨日のことを話したが、面白い作り話だと笑われただけだった。証拠は何一つ残っておらず、記事にすることを諦めた。アイ氏がいなくなったことは、それなりに話題となって様々なうわさが飛び交ったが、次第に話に上がらなくなり、しばらくすると人々の記憶から静かに消えていったのだった。



 アイ氏は手を動かしたまま電話で話をしている。

「しばらく休暇を取っていたようだね。タイムトラベルは楽しかったかい」

 電話口からは友人の声が聞こえてくる。

「ああ、実りのある旅だったよ。そうそう一つ面白い話があってな、ぜひ聞いてほしい」

「なんだ?」

「私が特殊な装置を開発し、大体の病気が数時間のうちに治せるようになったことは知っているだろ」

「もちろんさ。それの仕事が一段落したから休みを取ったんだろ。タイムマシンと並んで、世紀の大発明さ」

「それで話をもどすぞ。私が過去に旅行していたとき、たまたま道端で車に轢かれた人を見かけてしまってね。時間旅行では不用意にその時代の人間と関わるべきではないことはもちろん理解していたが、放っておくのも気分が悪いし、助けてやろうと思ったんだ。しかしその人は両足ともに複雑骨折していた。当時の医療技術だと治りそうにない。そこで例の装置を使おうと、わざわざ現在まで戻ってきて、例の装置を持ってきたんだ。しかしあの時代の人間にこの装置を見せるわけにはいかないし、いずれにせよ使うのはこの一回限りにしようと思っていた。また運よくその人の意識はなかった。それで治してやった。そこまでは良かったが、その人がそのことを話してしまって噂になってしまったんだ。一応周りには言いふらさないように頼んだのだが、面白いできごとを話したくなるのが人の性だ。しかもちょうどそのときタイムマシンが故障してしまい、しばらく未来に帰れなくなってしまった。仕方なく、その時滞在していた建物でしばらく病人を診てやることにした。しかし噂が広まっていくうちに、私のことを悪い奴だとか、根も葉もないことを言い出す奴まででてきた。本当に腹が立ったよ。結局、悪人に装置を見られてしまった。大事には至らなかったがね。タイムマシンの修理も終わっていたし、潮時だったんだな」

「そうか、なんだか大変だったみたいだな」

「まあな。実際あまりあの時代を観光できなかったが、おかげで新たに研究することを思いついたよ。確かに私は例の装置を発明したことで、ほとんどの病を治せるようになったと思っていた。しかしあの装置では人間の疑り深い性格までは治すことができなかった。だから私は、これから心をなおす装置を作ることにしたよ。これが開発できたらすごいぞ。人間の憎しみや嫉妬、利己的な心を根絶やしにし、お互いが傷つけあうことがなくなる。そうなれば、人間がもっと過ごしやすい世界を作ることができる。また危ない思想や考えを取り除くことで、この世のあらゆる犯罪を未然に防ぐことさえ可能になるのだ」

 そう熱っぽく語るアイ氏は、すでに友人の言葉も耳に入らない様子であり、新たな研究の計画をホワイトボードに書き込んでいくのだった。

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