エマージェンシー・アイスピック
LAST STAR
前編
アルベル市の北側。
その街は、イタリアの市街地を彷彿とさせる街並みと西側が海辺に面していることもあって、夕方になると幻想的な雰囲気を醸し出す観光明媚なスポットになっている。
そんな素敵な街の情景とは裏腹に、大通りから少し入った裏路地では、若き一人の青年が拳銃の撃鉄を下げ、40代半ばの男性の眉間に銃口を突きつけていた。
「おわりだ。せいぜい、死人に詫びて逝け」
「お、おれは悪くないんだ! 全部、ぜんぶ言われた通りに俺はやっただけで!」
しかし、青年が握った銀フレームの拳銃からは無情にも一発の弾丸が放出され、パシューンというサイレンサーで低減された射撃音が響く。その僅か数秒後には、男がドサッと力なく倒れた音が大きく響くが、青年にとっては全てが『計算』と『計画』の範囲内だったのだろう。動揺した様子も見せず、銃を内ポケットのホルスターへとしまい込む。
「依頼人の恨みを買ったのが運の尽きだったな。――いや、そもそも俺のターゲットになっちまった。その時点で運は決まっていたんだよ」
そう言いつつ、耳にイヤホンをはめ込んで手を当てる。
「聞こえるか。今、ターゲットを始末した。後金の支払いは――」
「おい、待て。クライエントとしてもう一つ頼みがある。そいつが俺らの経理書を持っているかもしれん。身体を漁ってくれ」
確かに、目の前で倒れている男の胸元はやや膨れている。きっとそれが依頼者の求めている資料だろう。それでも、彼は一流のヒットマンであって、泥棒ではない。
「どうだ、あるか?」
「話が違うぞ。俺は殺し屋であってアンタのケツ拭いまでする義理はないぞ。そんな物漁りまでさせたいなら、そういうプロを呼ぶことだ」
「そこを頼む。もしも、それがその場にあったらまずいんだ。警備隊がそれを手にすれば、捜査の手はきっと君にも及ぶ」
「だからどうした?」
「――わかった。では、こうしよう。その書類を私の元に届けてくれたら報酬を5%上乗せしよう」
既に高額な前金を貰っている。さらなる成功報酬の増額は非常に目が眩む。
そして、彼は決して犯してはならないはずの境界線に手を付けた。
「10%だ。それなら呑もう」
「……良いだろう。『デスボックス』を敵にはしたくないからな」
依頼人が口走ったデスボックスとは、暗殺を熟す青年『ニック』のコードネームだ。何人も彼に狙われたら最後、全員が息の根を止められ、棺の中に納まる。暗殺の確率は100%。生かすことを知らない冷血さをもつヒットマンとして揶揄されている。
そんな人間味の無いニックは金の為だけに、男の遺体から依頼人が探し求めるブツを探し出すために胸ポケットから膨らみのある物を引き抜いた。
しかし、冷血のヒットマンであるニックの動きがピタリと止まる。
「嘘……だ……。これは……こんな……こと」
暗殺者たるもの、ターゲットの内面に触れてはならない。それが鉄則だと彼も知っている。しかし、既に遅すぎた。求められている書類だと思い込んで引き抜いたモノは、小さなぬいぐるみとメッセージカードだった。
しかも、そのメッセージカードには――「リリア、5歳の誕生日おめでとう。来年にはお姉ちゃんだ。お母さんを頼むぞ」と書かれていた。
「そんな……そんな……俺は――――!」
ニックは今まで暗殺者として、殺した人間の内側には決して触れて来なかった。
暗殺者として『人を殺しまわる事』はアルベルで生き抜くための手立てでしかなかった。いつも人間が牛や豚の命を奪って命の糧とする事と同義のように――。
だが、ニックにとって今回の件は受容しきれなかった。彼は気付けば必死に走って現場から姿を消し、無我夢中で街中を駆けていた。しかしながら、永遠に走り切れる訳もなく、夕暮れ時の街路地で息を切らして足を止めた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
周囲を見渡してみれば、いつの間にかアルベル市街を一望できる噴水がある場所に出ていたらしい。ニックにとっては、この場所はお気に入りの場所だ。何か考えるときはここに来ることが多い。きっと、心を落ち着かせたくて無意識にここを目指していたのだろう。
「……俺はいったい、今まで何人を……この手で――」
でも、それが逆効果だった。考えれば考えるほど、自然と自分が犯してきた殺しを思い出し、吐き気を催す。とてもじゃないが、正常な精神で居られるような状況ではなかった。もう、日差しも落ち始め、人通りが少なくなり始める。
このままでは街の警備隊に怪しまれかねない。移動しなくては――
そう思っていた時、一人の少女がニックの横からひょいっと紙の袋に入ったコロッケを差し出した。
「お兄さん、大丈夫? お腹空いてる?」
「――!?」
ニックは胸ポケットに格納した銃に手を掛けながら少女に鋭い目を向ける。もしかしたら、自分に恨みを持つ人間から放たれた刺客かもしれない。しかし、眼前の少女は呆れたような顔でこっちを見続ける。
「うわぁ……怖い目。まるで関わってくれるな、みたいな!」
「分かっているなら関わるな。俺と関われば酷い目にあうぞ」
「そう? 私はむしろ、あなたをこのまま置いて行ったら、それこそ眠り心地が悪くて酷い目に遭うんだけど?」
「なん……だと……?」
天真爛漫な少女は少し長い透き通ったピンク色のおさげを耳にかけて、えへへと笑って見せる。そして、ほれほれとコロッケを持つように催促してくる。
「人の善意を無駄にしちゃ駄目だよ!」
「……要らん!」
「ああ! 分かった!! その目、さてはぁ~毒が入っているとか思ってるんだ! 失礼しちゃうな~毒なんて入ってません! ほら、はむっ! う~ん! おいしい」
「……たぁ、めんどくせぇ」
半分、自棄になっていたこともあって渋々、受け取る事にした。これで去ってくれるかと思ったのだが、それも束の間だった。図々しく彼女はニックの隣に座った。
「それで、あなた名前は?」
「名前を聞くなら自分から名乗るのが常識だろ」
「ああ、そっか! 私はリーゼ。で、あなたは?」
「名乗る名前はない」
「えぇ~人に聞いておいて、そんなこと言う!? まぁ、別にいいけどさ? あっ、言うの忘れたけどさ、それ暖かいうちに食べた方が良いよ? ちなみに、私の分はここに在るから! ふふん♪」
ニックはこの少女のことがよく分からなくなる。
この子――リーゼの見た目から見れば育ちの良さが分かるのだが、見ず知らずの人間に食事を恵んだり、あまつさえ女の子が一人、夜へと移り変わり始めた時刻に、一人で話し掛けてくるなんて不思議にしか思えない。むしろ、何かしらの犯罪の香りすら感じてしまう。
「金はないぞ?」
「あ~良いよ。お金なんて気にしない、気にしない! そっちの一個は元々、ご厚意でいただいたコロッケだから」
「そ、そうか……」
パシパシと肩を叩いたリーゼはニックに満面の笑みを見せながらグットサインを作って見せつける。すると、リーゼは考え深そうに自分のコロッケを見つめ始める。
「あ~しかしさぁ、このおいしさは反則だよ……はむっ」
「そんな、コロッケに違いなんてある訳ないだろ。具材が変わってるくらいで――」
「はぁ!? コロッケはね、油温とか上げる時間、衣に使っている材料でも変わるんだから! いいから黙って食べて見なさいよ~んんっ!」
「や、やめろ!」
「こら、逃げんな!」
この馬鹿正直に、めんどくさいほど絡んでくるリーゼに対して呆れながらもニックは警戒心を解きつつあった。それが原因だったのだろうか。自然と手に握ったコロッケが暖かさを帯びていて、揚げ物特有の美味しそうな香りを放っていることを今更、気付いた。
「……? あれ、そんな訳、ないはずなのに……」
「ふふん、いいから食べてみなって!」
「はむっ――おい、しい? あれ、あれ? おかしい、おかしいな……」
ニックの瞳からは自然と涙が溢れてくる。正直、そこに芽生えた感情は悲しみなのか後悔なのか、はたまた自分があやめた人に対しての謝罪なのか、複雑な感情が溢れだす。
「お、おぅ……あ~あ、そんなおいしすぎちゃった?」
「違う……ちがうんだ。俺は――おれは……」
「いいよ、それ以上は言わなくても」
そう言ってリーゼはニックの手を握る。
そして、少しの間合いを置いてギュッと抱きしめた。
「名無しさんみたいに悲しそうな人はコロッケの力には勝てないもん。悲しい事は全部、美味しいモノで飲み込んで消し去っちゃおう? それができるまでは胸を貸してあげるから」
「ちきしょう……ちきしょう……」
「うん、うん。最初はそんなんでいいよ。私で良ければ話くらいは聞いて上げれるからさ?」
ニックにとっては言葉に置き換えることができない情報が頭を埋め尽くし、泣くことしかできなかった。そして、気付けば計算が狂い、エラーをはじき出し続けたニックはリーゼを敵だと思い込み、人前にも関わらず、銃を引き抜いていた。
「お前は……誰に雇われたんだ? どうして……どうして、俺に話し掛けたんだ? どうして……どうして、俺に優しくする!?」
「――あなたが、死ぬ道を選ぼうとしているように思えたからだよ?」
そして、銃を眼前にしてもリーゼは動揺せず、胸元に銃口を押し付ける。
「今、あなたの心に宿っているのは恐怖だと思う。まるで、それは先が全く見えなくなるような感情――だから、誰か近くに居てあげないといけないって思ったの」
「ふ、ふざけんな! 俺は怖くなんてない!」
「じゃあ、その手は何? そんなんで私を撃てるの?」
ニックはそこに来て初めて気づいた。幾人もの人間を数年に渡って、葬り続けてきた愛銃が――いや、自分の手がカタカタと震えていることに。
「う、うそだ……こんなこと……」
「いいんだよ、それで。今のあなたにはこんな危ないものは必要ない。必要なのは話を聞いてくれる人――そう、私みたいなね?」
そして、リーゼは静かに銃を握って赤子から玩具を取り上げるように、ニックの手から銃を奪い取った。その刹那、気付けば周囲には街の警備隊が半円状に取り囲んでいた。
きっと誰かが詰め所に報告したのだろう。すべてはここで終わりだと思った。
けれど、リーゼは楽しそうに笑顔をのぞかせ、ニックに対してウィンクをかます。
「はーーい、カット!! んじゃあ、あとは私をあなたが抱っこして逃げればおしまい! エキストラの皆さんも帰っていただいて――え? エキストラじゃない? 本物? いやぁ~困ったなぁ~? 本物呼び出しちゃうとか、私、女優の才能ありすぎですよね~!」
とまぁ、こんな感じで警備隊を寄せ付けないリーゼの馬鹿みたいな発想とスピードトークで『誤報』ということで片付けられた。さすがにこの子の無茶ぶりには驚かされたが、今なら分かる。
ニックにとって、彼女は任務外の言葉を交わすことを許せる唯一無二の存在であり、自分で感じえない感情を溶かして、理解させてくれる人だ。
「……本当に君はすごいな」
「お~褒められた! すごい成長だよ、名無しさん!」
「そうだろうか?」
「うん。だってさ、出会ってすぐなんてさぁ? 右と言えば、左。左と言えば右だったじゃん。それに比べたら大きな成長だと思うよ?」
「嫌味か?」
「うーん、まぁね? でも、いいじゃない? 言われないより言われた方がさ?」
「ああ……そう、だな。……俺は――おれの名前はニックだ。さっきは銃を向けてすまなかった。なんというか……分からなくなって」
「うん、その件は大丈夫。まぁ? 怖かったけど……。それで、何が分からなくなったの? 何ならこういう紙に書いてみたら? そうしたらわかりやすくなるかもよ?」
「なる、ほど……」
「もしかして? 自分の思っている事を書くの、恥ずかしい?」
「よくわからない……」
聞くことに専念しつつ、考えさせようとするリーゼと自分なりに表現するニック。
そんな2人を静かな夜が歓迎するかのように星が煌めき続けていた。
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