テセウスの船に乗る

ねむるこ

第1話 テセウスの船に乗る

 一週間前、飼っていた猫のデオンが死んだ。


 わたしは子供部屋に引きこもって、ベッドの中でうずくまっていた。もう何日もご飯をまともに食べられていない。

 まだ扉の向こうから白地に灰色と黒のブチが入り混じったふわふわの姿が見えそうな気がして、すぐにそんなことはないのだと思い直す。

 そうしてまた、わたしの心は深く深く沈んでいった。


「ティア」


 お母さんが少しだけドアを開けて、顔を覗かせる。眉を八の字にして気の毒そうにわたしのことを見ていた。


「こっちへおいで。元気になるもの見せてあげるから……」


 いつも優しいわたしのお母さん。いつも心配そうにわたしのことを遠くから見守ってくれる。少し過保護なのかもしれない。

 そんなお母さんの鏡みたいなお母さんを困らせてしまうと罪悪感が湧いてくる。なのでわたしはなるべく良い子でいるように振舞った。

 本当はあまり乗り気でなかったけれど、わたしはタオルケットから抜け出した。





「……え?デオン?」


 思わずわたしは声を上げる。

 リビングにいたのは……デオンとそっくりの子猫だったから。白地に灰色と黒のブチの位置までそっくりそのままだ。

 リビングの隅っこで心細そうにみゃあみゃあと鳴いている。しっぽが後ろ足の間に入って怖がっていた。

 気が付いたらわたしは駆け出していた。


「かわいい」


 ゆっくり抱き上げると懐かしい、温かなぬくもりがわたしの腕から伝わってくる。ふわふわとした毛並みが気持ちいい。


「その子はデオンのクローンなんだ」


 リビングの奥でゆったりとソファに座っていたお父さんが言った。丸眼鏡が電灯に反射して優しい目が良く見えない。


「クローン?クローンってあれでしょう?ある生き物と同じ遺伝子を持った生き物のことでしょう?」


 わたしの答えにお父さんは目を丸くさせて、驚いているようだった。時々お父さんはこんな風に大袈裟に驚く。まるでわたしがそんなこと発言するなんて信じられないみたいに。

 子供だって馬鹿にしているのかな?もっと勉強して驚かせてやろうという気持ちにもなる。


「よく知ってるね……ティアは賢いんだ」

「えへへ。ということは……わたし、またデオンと一緒にいられるの?」


 わたしは子猫を頬ずりしながら声を張り上げた。


「そうよ。これで元気出た?ご飯もきちんと食べられるわね?」


 お母さんの柔らかな声にわたしは大きく頷く。


「うん!ありがとう、お母さんとお父さん!」


 わたしが満面の笑みでお礼を言うとお母さんとお父さんも顔を見合わせて優しく微笑んでくれた。



 

 それからデオンとわたしの新しい生活が始まった。

 気が付いたのだけれど、新しくやってきたクローンのデオンは全く昔のデオンとは違っている。

 わたしはリビングに飾られた写真たての中の家族写真を見下ろした。色褪せた、遙か過去に取られたような写真の中に小さな頃のわたしとお母さんとお父さん。そしてデオンがいる。たぶんわざと古めかしく見えるように加工したんだと思う。


 昔のデオンはわたしに心を開いてくれていたのに、新しいデオンはわたしのことを少し下に見ている気がする。

 「おいで」と言っても無視する。昔のデオンは「みゃあ」と返事をして来てくれたのに。

 好みのエサも違う。昔のデオンはカリカリとしたエサが好きだったのに、新しいデオンは缶詰系のびちゃびちゃとしたエサが好きだ。それしか食べない。

 おもちゃもねこじゃらしより紐が好きだった。だから洋服についた紐状のものはことごとくデオンによってボロボロに……。

 探せば他にも違うところは色々とある。


「あんたってば見た目はデオンなのに全然デオンじゃないんだね」


 そう言って背中を撫でてやると、デオンは目を細めて日の当たる窓際で丸くなった。

 それでわたしはがっかりしたか……と言われるとそうでもない。

 寧ろその違いを楽しめるようになっていた。


「デオンの名前、変えようかな」


 三人家族が揃った食卓でわたしは宣言する。お母さんとお父さんは驚いた顔をしていた。


「どうしたんだ。突然……」

「だって、新しいデオンは全然昔のデオンじゃないから」


 わたしの発言にお母さんとお父さんが凍りついた。お母さんなんか顔を青ざめさせている。

 わたしは何かまずいことでも言ってしまっただろうか?


「そんなことないでしょ?デオンの模様、そのままじゃない!」


 お母さんが焦ったように言う。やっぱりわたしの発言があまり良くなかったらしい。


「見た目はね。でも中身は全然違うもん。だからさ……新しいデオンに失礼じゃないかと思って」


 わたしは食卓から少し離れた猫用ベッドに座るデオンを眺めながら言った。


「昔のデオンと一緒にされたらきっと嫌だと思う。

でもね。わたしは『デオンの代わり』じゃなくて、デオンと同じように『あの子』として可愛がってあげたい。

デオンはだれの代わりにもならない、ただ一匹のデオンだから。あの子もかけがえのないただ一匹のあの子だよ。

だから明日、あの子の新しい名前考えるね」


 わたしの言葉にお母さんとお父さん黙り込む。いけない……悲しむわたしのために折角お母さんとお父さんがクローンの猫を連れてきてくれたのに。


「ごめんなさい……。わたしのために子猫連れてきてくれたのにわがまま言って」


 俯くわたしに、お母さんは慌てて言葉を繋いだ。


「いいえ!ティアは何も悪くないわ!うん。是非、新しい名前を考えてあげて!」

「やっぱりティアは賢い子なんだな」


 お父さんも目を潤ませながら答える。

 ふたりとも顔を見合わせ、涙目になっていた。わたしはそんな感動すること言ったかしら?


「ごめんなさい……。まさかティアがそんな風に深く物事を考えられる優しい子だと思わなくて……。成長が嬉しくて涙がでてきちゃった」

「もう。大袈裟なんだから……」


 こうしてわたしは温かな食卓を後にする。

 夜。布団に潜り込みながらデオンの新しい名前を考えた。

 どうしようかな……。あれもいいな。でもこっちの方がいいかも。明日、お母さんとお父さんが驚いてくれたらいいなあ……。

 そのままわたしは眠りに落ちた。




はあんなに思慮深くなかったよな」


 夜。ティアが眠った後の食卓でティアの父親が呟く。二階で眠る子供に聞こえぬよう小声で。


は元気でお転婆で。そもそも猫なんてあまり好きじゃなかった……」


 テーブルに座り、鼻声気味に答えるのはティアの母親だ。あの古めかしい家族写真を手元に置いて眺めている。


「どうしても比べて、違うって絶望してたけれど……。の言う通り。あの子はあの子として愛してやらなきゃね」

「俺達もと同じではないかもしれない。それでも家族と言っていいんだろうか?に失礼じゃないか?」


 父親の言葉に再び沈黙が訪れる。


「たとえ私達がでなくても私はティアも、あなたもデオンも愛してる。そのことに変わりはないわ」


 母親の言葉に父親は悲しそうな、寂しそうな笑顔を浮かべて頷いた。


「あの子が付けたデオンの新しい名前、楽しみだな」


 そう言って視線をリビングの隅っこに向けると、ペット用のベッドに座っていた子猫が目を光らせている。その後で「退屈な話だな」と言わんばかりに大きな欠伸あくびをしてみせた。



 

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