この後スタッフが美味しく…

明和里苳(Mehr Licht)

第1話 この後スタッフが美味しく(完結)

 4限が終わり、チャイムが鳴る。俺は鞄から包みをそっと取り出し、開いて見る。


「…」


 いつも言ってる。弁当包みはチェックのシンプルなヤツにしてくれって。だけど、良く言えば天然、悪く言えばお花畑の母は、そんなこと聞きゃしない。包みまでお花畑。中身もそうだ。色とりどりのおかずや野菜で、お花畑の宝石箱だ。中学時代から壮絶なバトル(という名の俺の一方的なブチギレ、そして暖簾に腕押し)を経て、やっとキャラ弁から卒業したものの、ハート型プチトマトに花の飾り切りをした人参、そして海苔で顔を描いた玉子焼き。


 そして何より、全てが薄味、もしくはほんのり甘い。いや、俺もこの味で育ったんだから、相当耐性があると思う。だけど晴れて高校生となり、友達と買い食いする機会が増えた今日この頃。うちの食事が如何に世間一般からかけ離れているかを、なおいっそう思い知った。


 せっかく無難な高校デビューを果たしたのだ。中学時代のような「お前の弁当キャラ弁」みたいな不名誉は、御免こうむりたい。幸い、「ランチは個食派」というレッテルは無事に獲得した。購買にパンを買いに走る級友にこっそり羨望の視線を送りつつ、今日も俺は、弁当箱を抱えて屋上を目指す。


 それにしても、高校の屋上が開放されてるって、ラノベの世界の話だと思ってた。小中ともに頑丈に施錠されていたし、他の高校に通うヤツにも「そんなの都市伝説だろ」なんて言われる。しかし、ここは俺のオアシスだ。そして同じような常連が、あと何人かいる。出入り口の影、フェンス側、消火器の横。それぞれのテリトリーで、背中を丸めて個食のグルメ。お互い不干渉を貫いているが、無言の中にも不思議な連帯感がある。強く生きよう。


 さて、今日は幸いお天気だ。荒天だとお昼どころじゃないのが、屋上の弱点。今日もフェンスの下のブロックで、せめて日向ぼっこでも楽しみながら、昼休みの優雅なひと時を———




 ———あれ?ここ屋上だよね?


 階段を上がり、ドアを開けると、そこは真っ暗だった。そして慌てて振り返ると、そこには階段もドアも無かった。え、何で?


 突如目の前に現れた、石造りの回廊。夜の学校の廊下のようだ。空気はひんやりして、トンネルの中みたいな。目が慣れて来ると、光源もないのにほのかに明るいことが分かる。てか、ここ、どこ。


「…すいませーん…。誰か、いませんかー…」


 俺は蚊の鳴くような声を発しながら、壁伝いにそろそろ歩いた。前も後ろもぽっかりと闇が続き、薄気味悪くて仕方ない。しかし誰の気配も感じられないということは、俺は誰にも気付かれず、ここで餓死してしまうかも知れないわけで。急に恐ろしくなり、足が震え出した。しかしその場に留まっているわけには行かない。どうにかして、出口を探さなければ。


 しばらく進むと、四つ角に行き着いた。どっちを向いても、同じようにしか見えない。これは迷いそうだ。とりあえず、石を拾って進んで来た方角の壁際に積み上げ、そろりそろりと右側の通路に顔を出してみたところ。


 フゴー…フゴー…


 通路の向こうで、紅いものが光った。何かの生物の息遣いが聞こえる。しかもどちらかというと、友好的ではなさそうだ。平たく言えば、大ピンチ。


「ヒッ…」


 俺は子鹿のような脚で、ずるずると後退あとずさりした。しかし、フゴフゴという荒い鼻息が、次第に近付いて来る。


「や…やだッ…誰か、助けてッ…」


 ヨロヨロ、ヨロヨロと後退すること数十メートル。そこで、四つ角から姿を現したのは、二足歩行の大きなイノシシ。


 オークだ。咄嗟とっさにそう思った。


「ゴアアアアア!」


 オークは大きく吠え、俺の方へ突進してきた。南無三。俺の人生も、ここまでか。


 ———しかし。


「グオウ!」


 頭を抱えてうずくまる俺の上を、ヒュッと別の気配が横切った。そして幾度かドス、ドスッと物騒な音とともに、「ギャアオオオウ!!」という獣の断末魔の声がする。やがて声が止み、恐る恐る頭を上げて振り返ると、そこには血まみれで倒れ伏すオークと、オークと同じくらい巨大な、二足歩行のオオカミがいた。


 俺、死んだ。




『んでェ、何でお前ェみてェな人間族がこんなトコに居んだァ?』


 ハイイロオオカミは、獣人だった。使い込まれた鎧、ゴツい戦斧、塊のオーク肉。彼はこの迷宮に、狩に来たらしい。そう、迷宮。ここはよくある迷宮で、オークは彼らのポピュラーな食糧。俺はよくある異世界転移をしたようだ。


 あるかボケ!


 しかし、彼のお陰で命拾いしたのは確かだ。本当に、危機一髪ってとこだった。彼からすれば、気配を消して獲物を追っていたところ、奇妙な服を着たひょろっこい人間族に出くわした訳だが。


『それにしても、美味そうな匂いがするじゃねェか。腹ァ減ってんだ、俺はよォ』


 彼が興味を示しているのは、俺が握りしめたままだった弁当箱。あんな命の危機にあって、肌身離さず握りしめていた俺。相当テンパってたんだろう。


「お礼になるか分かんないッスけど、こんで良ければ」


 俺も腹が減ってるが、非常食のシリアルバーがあるから大丈夫。てか、こっちが俺のメインディッシュだ。母上様の「美味しい」お弁当を勢いで平らげてから、お口直しにしみじみ味わう用の。


『んめェェェッ!何じゃコレはァァッ!』


 しかし、オオカミ獣人の口には合ったようで、彼は瞬く間に弁当箱を空にしてしまった。


「いや、お口に合ったなら何よりで」


『こんなうめェモン、喰ったことねェ!人間族って、すんげェモン喰ってんだな!』


 餌付けしたせいか、彼は存外懐っこい。俺が譲った弁当がいかに美味かったか、乏しい語彙力で興奮気味に繰り返す。こういう友好的だけどしつっこいところは、犬と同じだ。「いえ」「それほどでも」なんて繰り返していた俺も、ついに爆発してしまった。


「そんなモン美味ェわけねェだらあ!!!」


 ごめん母上。彼女に悪気は一切無いのだが、俺の口には合わなかったんだ。




 何だかんだ仲良くなった俺たちは、揃って地上に出た。どうやら俺の予想通り、俺が迷い込んだのはダンジョン。そしてダンジョンの外は、獣人が住む国、ベスティー王国。街は活気に満ちていて、通りには耳と尻尾だけが生えた人間のような者から、獣がそのまま二足歩行しているような者、下半身だけが獣であったり蛇であったり、様々。


 俺を助けてくれた彼は、ヴェルフィン。二足歩行する巨大なハイイロオオカミだ。俺も170はあるんだが、頭ひとつ大きい。2メートルはあるんじゃないか。彼の話し言葉は、俺の耳には「ウォンウォン」と聞こえるんだが、ちゃんと頭では言ってる事が理解出来る。これが異世界言語理解スキルってヤツか。


 彼は、俺が何の前触れもなくいきなりあの迷宮に迷い込んだこと、そして行く当てもないことを打ち明けた。すると彼は、『そんじゃウチ来いよ』と気軽に背中を叩いた。出会ったばかりの見ず知らずの他人を信用していいのかどうか俺には計りかねたが、他に頼る相手もいない。そして彼が、俺を陥れるタイプの人間(オオカミ?)にも見えなかった。


『お前ェ、あれよりうめぇモン作れるって、本当かァ?』


 彼は狩りを切り上げて、俺を市場に連れて行ってくれた。市場はまるでヨーロッパの写真で見るような、木造の屋台街のようなところ。野菜、果物、肉のような食材から、ファストフード、惣菜まで並ぶ。


 幼い頃こそ、母の料理に疑問を抱いたことはなかった。凝ったキャラ弁は、幼稚園では羨ましがられたものだ。しかし小、中と進む中、周囲の弁当との差が浮き彫りになってくる。いつまでもファンシーな弁当、そして交換したおかずとの味のギャップ。しかし直接指摘すると、


「何でそんなこと言うの?好き嫌いしちゃダメでしょ?」


 目に涙を溜めながら説教をする母上。彼女の外見はいつまでも少女のようで、性格も至って善良。ただ味覚が少しアレなだけなんだ。


 というわけで、俺は自炊を覚えた。母の目を盗んで、レシピサイトを覗きながら試作を繰り返し、俺の腕はめきめきと上達した。もちろん、冷蔵庫の中の材料は減るわけで、自炊はすぐにバレてしまったが、「いつかお母さんの手伝いが出来るように」と言い訳すると、逆に俺の株は上昇した。困ったのは、「母の味を伝授する」と彼女のやる気に火を注ぎ、かえって料理と弁当に気合いが入るようになってしまったことだ。しかし俺は、めげずに自炊の腕を磨いて来た。


 その自炊料理だが、果たしてこの獣人の口に合うかどうかは分からない。なんせ、あの弁当を美味い美味いと平らげた程だし。そう断ったが、『いいからいいから』と、彼は惜しげもなく、俺に食材を買い与えてくれた。何ていい奴なんだろう。見ず知らずの世界に飛ばされて来たのは不幸だったが、彼に拾われたのは、当たりの異世界転移ってことで間違いない。




「美味いかどうかは分からんが、召し上がれ」


 俺は早速、彼の狩ったオーク肉で生姜焼き丼を作った。迷宮のドロップ品って、不思議なもんだ。あの猪を倒した時、確かにそこには死体があったはずなのに、落ちていたのは精肉店で見るような、立派な肉の塊。それとコイン。魔物の血液はみるみる石畳に吸われて行き、跡形もなく元通りになった。ヴェルフィンの斧に返り血が残っていなければ、そこで戦闘があったなんて、誰も分からないだろう。


 市場には、残念ながら醤油はなかった。しかし、甘辛いソースと生姜、そして米を見つけた。玉ねぎってオオカミが食って大丈夫か確認したが、好き嫌いなく何でも食えるとのこと。とりあえずそんだけ調達して、俺はヴェルフィンの家に招かれた。


 オーク肉の塊を豪快にスライスして玉ねぎと共に焼き付け、甘辛いソースとすりおろした生姜でガッツリ味付け。厳密に言うと、生姜焼きのあの味とは違うけど、かなり近いものが出来たと思う。鍋で炊いた米は、日本で手に入るものより少しパサっとしていたが、生姜焼きのタレを吸っていい感じだ。


『ンンンンめェ〜〜〜!!!なんつーうまさだ!!!』


 ヴェルフィンはガツガツとカッ込んでいる。まるで漫画のようだ。目分量で五合ほど炊いた米が足りない。俺は急いで追加で炊きつつ、残りの肉も全て生姜焼きに加工した。


『ふえ〜〜〜、喰った喰った。こんなンめぇモン作れるなんて、人間ってなぁスゲェな!』


 大きな舌で口の周りをベロベロと舐めまわしつつ、ヴェルフィンは腹をさすっている。途中、市場にも美味しそうな屋台はあったんだけど、それでも美味いと言ってもらえたら、やっぱり嬉しい。


「良かったよ。つーわけで、もしこっちで仕事見つけて独り立ちするまで、ここに置いてくれると助かるんだけど…」


 厚かましいお願いだとは思うが、俺はこっちに身寄りもなければ後見もない。どんな仕事があるか分からないが、とりあえず家事手伝いなら出来ると思う。住み込みで雇ってもらえるところがあればいいんだが。


『何言ってんだよ。お前はずっとここに居りゃいいんだって』


 ヴェルフィンの瞳がギラリと光ったと思うと、目にも止まらぬ速さで、俺はソファーに押し倒されていた。


「…えっと?」


『のこのこと俺ンまで着いて来て、せっせと給餌たァ、お前にもその気があったんだろ?』


 え?え?


「いや、俺にはそのは」


『ヘヘッ、往生際が悪いぜ。いい子にしてなァ…』


 そう言いながら、ヴェルフィンは鎧の下に着ていたチュニックを脱ぎ捨てた。見事なモフモフ。だけど胸にはふっくらとした膨らみが…?


「ヴェ、ヴェルフィン、女だったの?!」


『んなモン、匂いで分かんだろ?』


「人間だから分かんねェよ!てか、女の子がはしたないことしちゃダメ!」


『ンだよォ、俺をメス扱いとか、オス臭いとこあんじゃねェか』


 ヴェルフィンは、ハフハフと荒い息で俺の上にのしかかり、ヨダレを垂らしている。


『天井のシミでも数えてなァ。すぅぐ終わっからよォ…』


 ピンチ。ピンチだ。オークん時より、絶体絶命のピンチ。俺、喰われちゃう…ッ!




 この後、俺はヴェルフィンに美味しく頂かれた。

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この後スタッフが美味しく… 明和里苳(Mehr Licht) @dunsinane

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