きみとキセキのある所以
佐藤アサ
第1話【宝飾雑貨店】
「ずっと、待っていたのかもしれない」
ひたすら流れていく日々が悪いなんて考えてはいない。
ただ、ひとつでも望みを抱けるなら、それは素晴らしいことなのだと思う。
西大陸の北側に位置する国。
最北端の港の手前にあるこの街は、外から訪れた者、内から出ていく者、彼らを相手に暮らす者らでいつも騒々しい。
港の、国境としての厳しい警備や監視を通り抜け、羽を伸ばしたり英気を養ったりするにはお誂え向きの土地。
船が港に着く前後は特に人出が多く、今日も街の中央通りは宿屋や食事処の呼び込み、屋台、行商人、大道芸の一座などで溢れている。
けれど脇道へ二区画も進めば、書物や日用道具を売る店が並び、定住者の家が増え、日常生活が見えてくる。
ニレは、休憩中の札を下げた、裏の角地に構える宝飾雑貨店にいた。
「今日の納品分、確かめてくれ」
「よし来た、拝見」
「指輪用の金と、あと、銀糸は入荷してるか?」
外観から想像するより、店の中はずっと狭い。
商談用の丸机と椅子、勘定台がある他は、出窓にも壁際にも所狭しと裸石そのものや石を使った飾り細工が置かれている。
多くは値も高くなく庶民が日々身に着ける安価な装飾だが、ときには贅を追求した宝飾品もあり、密かに買い付けに来る貴族もいるようだ。
昼日中は射し込む陽で細工がちらちらと光をはじき、店内を彩っている。
洗練された空気よりも雑多な親しみが勝る、こどもの道具箱のような店。主はトマルといい、齢は五十過ぎ、ずんぐりとした身体つきに愛嬌のある男だ。
丸机を挟んで向かい合い、ニレは鞄から取り出した石を置いていく。
「裸石は紫水晶が三、翡翠が一。四等級の指輪は二。特別注文の首飾りは黄玉だったよな」
「そうそう。今度の船で海に出る船員がね、仲間からにいさんの細工の評判を聞いたらしい。嵐に沈まず凪でも進む、無尽の加護があるとさ」
「なんだそりゃ。背びれがつきすぎだろ」
「はは、ついでに尾びれがついたってまだ足りないね。単なる術の類じゃない、『護る者』の手業だからな、品質は天地が保証してる」
少し、この世界の成り立ちを説いておこう。
始まりは空と大地と海、光によって陰があり、昼と夜とを繰り返して、出でた草木が色彩と実りをもたらした。
草木から熟して落ちる恵みは、獣と魚と鳥を呼び、ヒトを作り、大いに育むこととなる。
世界は均衡を保つべく、それぞれに爪や鱗や翼、違う姿と寿命、知恵を与え、役割も負わせた。
唯一の強者が統べることのないよう、天敵を、ただし絶することもないよう、拮抗できる業を。
そうしてヒトの括りの中では、長寿と特異な力を生まれながらに持つ血筋が現れる。
ヒトでありながらヒトを狩って『獲る者』、ヒトを助け永らえさせる『護る者』。
天災や疫病と同じに恐れられ、また、切望をもって縋られた者たち。
しかし、ヒトは授けられた知恵でもって、着実に文明を発達させ、凡庸なヒトであっても扱える様々な術式を発達させた。
ヒトの術式は平面に描き連ねる図形や文字、紡ぐ言葉から、世界のあらゆる現象へ働きかけ、もしくは力を借りて形と成す。
火や道具を扱うのと同じ、生き抜くための攻防の方法を見出して、ヒトは特異な血と対峙し、または頼らず、手ずから得た安寧で暮らしていくようになる。
脅威は鳴りを潜め、守護への祈りは減った。
特異者も根底は同じヒトであり、『獲る者』、『護る者』、自然と淘汰されて消えていった血筋もあるという。
海で分かたれた八つの大陸のそこかしこで小さな集落から国ができ、争いや災いはあれど営みが途絶える懸念は最早ない。
ただ、辿って行き着く最古の記録から今に至るまで、人々はその存在を忘れてはいない。
「にいさんが一言だって許してくれりゃ、大声で宣伝するってのにな。今からでも遅くないぞ?」
「しないよ。おれの性分じゃない」
ニレは、貴石を生む『護る者』の末裔だ。
『護る者』の貴石は、所有する者の厄災を払う。
ただし、貴石の『護る者』は他の特異者に比べて存在を知られていない。
各大陸の歴史を編纂した古典には、節目や事変のあるときに『獲る者』『護る者』が誰かしら現れた記述が残っている。現実よりも神話やお伽話に近いが、彼らについては善にしろ悪にしろ圧倒的な力を誇り、今も広く知られている血筋の逸話もある。
そんな中で貴石の『護る者』は、どこぞの祭壇に石を祀った、くらいのもので歴史上にほぼ登場しない。
ニレの知る限り、自分から生じる貴石は確かに加護を持つが、大きさや質で強さも違い、力が尽きた石はすぐさま砕けてしまう。万能でも永遠でもなければ、そもそも誰かの傍に置かれなければ無意味だ。
宝飾用の石自体は昔から商売や工芸の一分野として確立され、鉱山が日々掘られている。石は長い時間を経ても正しく扱えば大きく変質しないことと、身に着けても美しいから、古くから様々な術式を籠めて飾りや御守に加工されてきた。
職人も数多く、ニレはそこに紛れて裸石や細工をトマルのような仲介者に流し、己の役割をひっそりと果たしつつ、暮らしにかかる金銭も稼いでいる。
「それに言っただろ。春頃にはこの街を出るって」
「……、そうかい。気が変わらないかと願ってたが」
「出ていくのは、ここに来たときから決まってたことだよ」
「にいさんは会った頃から全然変わらないしなあ。こっちばっかり禿げ頭になって、不公平なもんさ」
ふざけるときの、口角を片方だけ上げるトマルの笑い方。
出会ってから二十と数年が経つが、青年だった頃の面影が未だ消えずにあって、おまえだって全然変わらないとニレは心の中で思う。
ニレは西大陸の南側の国で産まれた。故郷を出てから各地を転々として、この街に辿り着いたのは、実年齢では三十代も半ばのあたりだったか。
特異者は寿命が長く、十代から二十代で身体の成長が概ね終わると、老化が極端に遅くなるという。人間ゆえ首を切り落とされたり心臓を貫かれたりすれば死ぬが、怪我や病には強く、普通の人々より格段に丈夫だ。
ゆっくりとしか変わらない姿は普通に考えれば異端や化物だし、価値のある鉱物を延々と出すことができる能力も容易く混乱を招くだろう。自分のため、周囲のため、同じ土地に永住しないことを、ニレは力を発揮したときに決めていた。
「ミナセがいて、おまえみたいにずっと気を遣ってくれるやつもいて……、長すぎたくらいだな。甘えさせてもらったよ」
「ミナセ様、だろ。まあ、にいさんの件は、いい儲け話だったからな」
ミナセはこの街を含む界隈一帯の領主だ。
ニレが自分は『護る者』であると明かした数少ない相手であり、生活の助けになるだろうと数名の協力者を根回ししてくれた恩人でもある。
トマルもそのひとりで、もともとはミナセと古くから付き合いがあった商人一家の三男だ。長兄が家業を引き継ぎ次兄が助役についた後、家を出て自力で小さな店を立ち上げたところで、声をかけられたらしい。商売ついでに少し手伝え、見合った報酬は払う、と後から聞いたところによれば随分即物的な誘い文句ではあったものの、ミナセの見る目は確かだったということだ。
実益は積み重なっており、使用人を雇って大通りにもっと立派な店を持つことだってできるだろうに、住居を少し離れた場所に置き、ひとりで店を切り盛りし頑としてこの区画にいるのも、訪れるニレの都合を考えてくれているのだろう。
大きな店は気疲れする、こじんまりと好き勝手にやって金を貯めたいからだとトマルは嘯くが、儲けだ稼ぎだと言う口以上に快く手を貸してくれている。
おかげで秘密は守られ、ニレは長い年月をここで過ごすことができた。
「でも、そうさな、にいさんの手足をしてた分、少し返してもらうとするかな」
「うん? おれにできることなら言ってくれ」
「それならちょいと頼まれてくれるか? 末の娘の腹にな、できたんだよ。まあ、わかったばっかりでまだ神のみぞってところだが。蛍石がいいか。にいさんの加護を分けてやってくれ」
「えっ、本当か! 娘さん、もうそんな歳になったんだな」
「そうだよ、恐ろしいだろ?」
しばらく、ニレはトマルとの雑談を楽しんだ。
先月の船から降ろされた酒が上等だった話、北の大陸で戦が終わったらしい話、近くの菓子屋が代替わりした話、世の中が動いた分だけ話題はある。
そうして陽が傾いてくる頃。
トマルが仕入れてくれた素材をまとめ、次の納品内容を確かめて、ニレが帰り仕度を終えるときだった。
「おっとそうだ、忘れるところだ。昨晩、依頼があってな。にいさん、受けてくれるか?」
「どんな依頼だ?」
「見た目、にいさんと同じくらいの若い男がね。蒼玉の耳飾りだが、加護の術式が消えるかもしれんから籠めてくれとさ」
「ああ、おれでいいなら預かるよ」
一般的な職人が作った護りの細工は、与えられた術式が消耗すると比例して力も弱まる。買い換えてもいいが、飾り自体に思い入れがあったり高価な貴石を使っていたりと持ち主の希望があれば、改めて籠めることも可能だ。
ニレも加護の術式については心得があるから、来た依頼は受けている。
「石の取り換えも提案してみたんだが……、大事なもんらしい」
「そうか。慎重に扱わないとだな」
勘定台の裏側から、トマルが布製の小袋を取り出してくる。
開いて中を覗いてみると、細い金細工の輪で縁取った、蒼玉が入っている。
耳に開けた穴に通す、輪飾りの装飾部分。美しい研磨にくすんだ風合いがあって、長い時間を経ているのがわかった。
「年季が入ってそうだな。古物か何かか……?」
ひとまず石の状態がどうか、軽く見てみようとニレが飾りを手のひらに置いた瞬間だった。
こつん、と幽かな音がした。
「え?」
何かを解き放つかのように内側から生じた亀裂。
蒼の貴石が、砕けた。
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