『ある人形の叙述』②
「──―ん……」
微睡みから意識が浮上し、意識が徐々に覚めてゆく感覚があった。しばらくベッドの上で動ける程度まで意識が覚めるのを待った。
動けるようになるとぼやけた視界の目をこすりながら身を起こす。霧がかった朧げな思考でベッドから立ち上がり、置かれた人形を蹴飛ばさないように洗面所へ行き、顔を洗って意識を覚ます。
それにしても、ずいぶんと懐かしい夢を見た物だ。
水を止め、タオルで水気をふき取り、鏡に映る己を見る。
風にたなびく髪は雄大な空そのもので、深い青の瞳は未知なる深海の如く妖しく、白く艶やかな肌は磨き抜かれた大理石であり、その顔は職人が丹精込めて作り上げた
飽きるほど聞かされた、美辞麗句。
あの頃よりも幾分か成長した顔は、なるほど。確かに、連中がそのように言うのも無理は無いのかもしれない。見る目があったというべきか。
「はん!」
私は鼻で笑った。だから何だというのか。
その時、備え付けのインターホンが鳴り、ぞろぞろと人形共が部屋に入り込んできた。
洗面所から出ると、丁度最後の一人が入り込んだところだった。4体の肉人形は直立不動の姿勢で、命令が下るのを待った。
「ふん」
私の前に並び立った人形共に鼻を鳴らして侮蔑してやったが、相も変わらず眉一つ動かさず、能面染みた顔には人間らしさの欠片も無い。
馬鹿馬鹿しいと首を振り、いつも通り椅子に座る。途端に人形共は動き出し、私の〝おめかし〟を始めた。
髪をとかす櫛の感触、寝間着を脱がされ外気に触れた肌寒さ、肌に塗られる美容液の感触をどこか他人事のように感じながら、今朝見た夢の意味を何とはなしに考えてみた。
これが夢見がちなごく普通の子供なら、何かしらの啓示を、何かしらの意味を、見いだせるのかもしれない。
だが私に言わせればあんなものは啓示でもなんでもなく、ただ自分がどれだけ無意味で醜い人生を歩んでいるかの再確認でしかない。
これから何かが起きるかもしれない? 素敵な出会いがあるかもしれない?
あぁ起きはするだろう。とびきり最低な事が。出会いはあるだろう。わたしに死を告げる光の尖兵との出会いが。
〝おめかし〟を終えた人形たちが用具を片付け、再び私の横に直立不動で並んだ。前が開け、置かれてあった姿見鏡に、『神代学園』の制服に身を包んだ私の姿が映った。
今年で私は16歳。
今日は入学式になる。
「出て行け」
正面を見たまま、人形共に退出を命じた。
「「かしこまりました千歳様」」
人形共は恭しく一礼し、統率された昆虫のようにぞろぞろと出て行った。ばたんと扉が閉じられ、再び部屋の中に静寂が満ちる。
鏡に映る己を注視する。鏡の中の私は瞬きせず、微動だにせずに私を見つめ返した。こうして見ていると、本当に等身大の人形にしか見えない。あるいは私が自覚していないだけで、もうとっくにそうなっているのかもしれない。
そんな事を考えているとピロリ、という音と共にポケットの中でスマホが震えた。取り出し、送られてきたメールを読む。差出人は我が父上だ。
『今日から学園への潜入任務だ。粛々と任務をこなすべし。利益を出すべし』
それだけだ。
「新しい門出を迎えるというのに、言う事は普段と変わりは無し。つまらない男」
元よりあの男に期待などしてはいない。読み終えて早々にメールを削除すると、まるで計っていたかのようなタイミングでドアが叩かれた。
「……」
私の部屋にはインターホンが備え付けられている。来る者は皆それを押し、要件を告げてから侵入してくるのだ。それをせず、あえてドアを叩いて入室の許可を取ろうとする者は、私が知る中ではただ一人だけ。
「……」
首を巡らし、無言でドアを睨みつけていると、再度ドアが叩かれた。今度は私がいるかという声の確認付きで。
「千歳様? 起きていらっしゃいますか? イミテーションです」
ドア越しに聞こえる、鈴の様に軽やかな声。私と同じようで、全く違う、穏やかな声。
「起きてる」
「それは良かったです。入ってもよろしいでしょうか?」
「好きにしろ」
苛立ち交じりに吐き捨てると、少し間をおいて、ドアが開かれた。そして、入ってきたのは、同じ容姿。同じ体格。同じ顔。違う服装の、鑑写しのような、女のような男だった。
イミテーションは私が普段身に着けている白を基調としたワンピースに身を包んでいた。
「おはようございます千歳様。おや、お着換えの方も済んでいるようですね。お似合いですよ」
「はっ!」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。それを機に、抑え込んでいた激情が後から後から燃え上がるように湧き出してきた。
立ち上がり、イミテーションが何か言うよりも早く、その頬を張った。白い肌に、醜い赤が残った。しかし、イミテーションは動じた様子もなく、私の目を逸らす事無く見返した。深海のような深い青の瞳からは、相変わらず何も読み取れ無い。
ギリっ……と、奥の歯から噛みしめる音が聞こえた。もう一度張った。さっきよりも強く、執拗に。濃くなった朱。表情は、やはり変わらない。
ギリギリッ……と、割れ砕けんばかりに噛みしめられた歯から聞こえる擦れ音が、嫌に大きく聞こえた。握り締めていた拳がぎりぎりと軋んだ。心の中で黒いものが蠢いた。私に中で脈動する『欠片』が早鐘を打つように活性化した。
その衝動に突き動かされる様に、握り締められた拳を、躊躇することなく頬に叩きつけた。
ガツンと、鈍い音が聞こえた。結構な強さで殴りつけたと思う。常人ならば、即死するであろう打撃。しかし、イミテーションはわずかに首を傾けただけだった。醜い朱は、悍ましい黒紫色に変色していた。口の端から血を流し、純白の衣服を、醜い赤で染め上げていた。
しかし、それでもやはりイミテーションは動じた様子もなく、私の目を逸らす事無く見返した。深海のような深い青の瞳からは何も読み取れず、表情は変わらず微笑みで固定されていた。
「──―このッ!!!」
何としてでもこの余裕を剥ぎ取りたかった。この優しい笑みを苦痛と恐怖に歪めてやりたかった。だが何度やっても、いついかなる時も、この影からその余裕と微笑みの牙城を突き崩すことができなかった。
そんな醜いわたしを嘲笑うかのように、それは起きた。逆上し、もう一度殴りつけようと踏み込もうとして、足を縺れさせて前のめりで転倒した。
気が付けば、私はイミテーションを押し倒す形で倒れていた。
ドクン、ドクンと、規則正しい鼓動の音が、耳元で聞こえた。
「──―」
丁度私の頭はイミテーションの胸のど真ん中にあった。恐らく、転倒の際に私を庇うべく抱きしめたからそうなったのだろう。
──────相変わらず、無駄な気遣いが、好きな奴だ。
私はイミテーションの胸に頭を乗せたまま、しばらく動けなかった。転倒の際に、体を痛めたのだろう。そうに違いない。
少しして、身を起こす。膝をつき、両手をイミテーションの両手の上に重ねる。腹立たしい程心地の良い熱が掌にゆっくりと
顔を近づけ、額と額を合わせる。腰まで伸びた髪が帳の様に私とイミテーションの顔を覆い隠す。
この世界にあって自由に操れる、数少ない自分だけの闇。この世界にいるのは、私とイミテーションの1人だけ。いつぞやの、焼き直し。
ずっと距離の縮まった視界の中で、改めて、目の前に映る影の事を見る。
同じ髪の色。同じ鼻の形。同じ唇の形。同じ瞳の色。同じ肌の色。……違う肌の色。どす黒い黒紫色の痣。私が付けた……傷跡。
胸の内ではいまだ黒い炎が猛り狂っている。それなのに、頭の中は信じられないほど冷え切っていた。
「お前は何だ」
「私は千歳様の模造品でございます」
間を置かずに返答は返ってきた。そこに疑問が入る余地はなく、こいつの中では、きっとそれが当然の事実であり、変わる事の無い真実なのだ。
あぁ、なんて可哀そうなんだろう。瞬きせずにイミテーションを凝視しながら、私は思う。
ただ私と似ているというだけで、こうまで無価値な存在として貶められなければならないのか。巡り合わせが悪いだけで、ここまで人は不幸になれるのか。
私の下で、微動だにせず凝視を受け止めるこいつは、果たして何を思うのだろうか。
同じ容姿。同じ体格。同じ顔。だが心は違う。魂は違う。こいつは私の全てを知った風に口を利くが、私はこいつの何もかもを知らない。
何だ? 何を考えている? なぜいつも何も返さない? その笑みの意図は何だ? 顔で笑って、心の中で私を乏しめているのか?
一度疑い始めれば、もう止まらない。負の感情は連鎖爆発的に燃え広がり、心は再び黒い炎で満たされた。
重ねられていた手を放し、イミテーションの白く細い喉へと両手を伸ばす。指を絡めて首を絞める。力を入れる。
そのままへし折ってしまえ!
耳の奥底から暗い衝動ががなり立てる。それに従う。従おうとして。
しかし。
「千歳様」
「──―」
思考が止まり、呼吸が止まる。ただ声をかけられたというだけなのに、私の機能はその瞬間に停止した。
「千歳様は不安なのですね。これから始まる新しい生活に」
悪魔は続ける。軽やかな鈴の音と共に。
「大丈夫です。千歳様が恐れるものは何もありません。貴方様はただ年相応に、限りある学生での生活を、楽しむと良いでしょう」
悪魔はそう言って、目を細めて、笑った。
「私は貴方様の影」
悪魔はそっと囁いた。
「大丈夫、きっと上手くいきますよ」
「……」
軽やかに紡ぎ出された声が、開け放たれた窓から入ってくる風の様に私の心に侵入し、ささくれだった胸の中をそっと撫でた。黒い炎はたちまち穴の中に引っ込み、心の大穴は蠟の蓋で閉ざされた。
「……お前は変わらないな」
絞り出すような声で吐き出された憎まれ口。悪魔は笑って、ただ受け入れた。
目を細め、それから体に力を入れ、立ち上がる。
悪魔に背を向けて歩き、ドアノブへ手をかける。背後で身動ぎする気配がする。振り返らず、ドアを開ける。
「千歳様」
声をかけられる。振り返らない。
「どうか、良い一日を」
「──―」
一瞬だけ、体が固まる。
己を強いて、体を動かす。振り返らずにドアを閉める。
「──―はぁ……」
途端に体から力が抜け、ドアに背を預けながら息を整える。早鐘を打つ心臓を宥める。数呼吸すれば、呼吸は安定し、鼓動は規則的に脈を打つ。
一歩歩を進める。今度はふらつかない。自分の歩調を確かめるように二歩、三歩と踏み出し、問題なく稼働する事を確かめれば、後は進むだけだった。
廊下を抜け、階段を降り、玄関を出て、門の前に止まる黒塗りの車に乗り込む。
私が乗り込むや、車は直ちに動き始めた。
車の中には私用のカバンが置かれてあったが、中身を改める気にはならなかった。窓に肘をつき、流れゆく街並みをぼんやりと眺めながら、これからの生活を思う。
〝大丈夫、きっと上手くいきますよ〟
悪魔の甘言が、脳裏に蘇る。
「……ふん」
鼻で笑う。何が上手くいくだ。分かった風な口をききやがって。お前が私の何を知るというのか。
「……ならば、精々楽しんでやろうじゃない」
良いだろう。その甘言、乗ってやろう。お前の言う通り、やってやろうじゃないか。私の恣に、私の好きなように。
「私は好きに振舞うぞ。精々指をくわえて見ていればいい。つけを払うのはお前なんだからな」
〝それが良いでしょう〟
どこか遠くで、悪魔の笑い声が聞こえたような気がした。
「……やっぱり、お前なんか嫌いだ」
私の呟きは、開け放たれたドアから流れ込んできた風にからめとられて消え去った。
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