プロローグ 『ある登場人物の憂鬱』③
がつん、と顔面に衝撃が走る。衝撃を受け流しきれずに、無様に地面をゴロゴロと転がる。
痛みに悶えている間もなく頭上にぞっとする圧がかかり、そのまま転がって圧から少しでも距離を取る。
その一瞬後に俺の頭があった地点に膝蹴りが突き刺さった!
「ヘャーハ―ハハハ!」
膝蹴りは地面をあっさりと割り、衝撃で周囲にクモの巣状の罅が広がった!あっぶねー!くらってたら頭蓋が弾けてたぞ!
「よくぞ避けた!褒美に今の一撃で気絶できなかったことを後悔させてやる!」
「それ褒美でも何でもありませんよね!?教官殿が私をイジメたいだけですよね!?」
「うん」
教官殿は真顔で頷き、次の瞬間俺の眼前に出現し、反応も間に合わず蹴り上げられた。
子供の軽い体である事を鑑みてもあり得ない勢いで俺の体は宙空へと跳ね飛ばされた。
((あぁ…どうしてこうなった……))
全身が激痛で軋み、度重なる圧に摩耗した精神はついに限界に達し、意識が薄れ始めた。
薄れゆく意識が最後に映し出した光景は、教官殿の繰り出した鉄拳の肌色一色であった。
((また…これかぁ…))
ガツンと顔面に衝撃が走り、意識は真っ暗闇へと落ちていった。
■
どうもイミテーションです。地獄に居ます。今日で1歳になります。
この1年はひたすら体を鍛えては教官殿と
ドリル付きルームランナーで地獄の無限ダッシュ!木人橙!高さ10メートルくらいの細い足場で馬鹿みたいにデカい振り子刃をかわしながら、しかも時折教官殿のありがたい
休み?ある訳ねーだろ!
ふざけんじゃねー!殺す気か!?死んだら元も子もねーだろーが!7歳のガキにやらせることじゃねーぞ!
段階を踏むって言ったのは何処のどいつだよ!テメ―だろーが!ちったあまもれや!舌の根も乾かぬうちに言ったこと反故にしてんじゃねーえええええええええ!!!
って叫べたら良かったんだけどね。
痛くてね、声を出すどころか指一本動かすだけでね、痛むからね、痛みが引くまで動けないの。
うん。
いてて…うん、引いて…きたぞ。うん、うん。
膝に手をついて、下半身全ての力を使って何とか立ち上がる。まだ足が震えているが、立っていられない程じゃない。
うん。奴はいつか必ず殺す。本編前には必ず殺す。うん。決めた。目標がまた一つ増えた。良いことだ。生きる気力が湧き…湧いて…わ………うん…。
上半身を難儀して起き上がらせ、周りを見る。組手用の大部屋のど真ん中に俺はいた。教官殿の姿はすでになく、大方アサシンとしての任務か、俺の経過報告に本部の方に行ってるんじゃないかな。訓練を開始してから丁度今日で1年だし。
報告するだけならFaxか電話で良いじゃんと思ったが、俺は仮にも幹部候補の影武者なのだから、直接支部長が幹部共に報告すべき重要事項になるのだろう。その幹部候補と影武者が送る末路を知っているので、あんまり重要とは思えないのだが。
はあっとため息を吐き(そのせいで切った口の中が猛烈に痛んだ)、世界への呪詛を脳内でひとしきり吐き出すと仕方なく部屋を出て、自分の足で医務室へ向かった。
俺以外の他に従業員はいない。みんな教官殿が殺してしまったからだ。その跡が今でも廊下にこびり付いている。まったく、一体誰が掃除すると思っているのか。
だから俺はへーこら言いながら食事も洗濯も怪我の治療も一人でやらなきゃいけない。ムカつくことに暴力のプロと豪語するだけあって、教官殿は痛みを与えこそすれ、傷が残るような怪我は加えてこなかった。だが自力で元に戻す訓練と称してプラモデル感覚で関節を外すのはやめてほしい。マジで。
怪我の治療だって最初は教授してくれたけど、『こういうのは自分でできる様にならなきゃダメ!』てことで、それ以降は全て自分でやらされている。
言い分はごもっともだが言い手がカスなので、なかなか素直に頷くことはできなかったが。
痛みは徐々に引いてきてはいるものの、飛んだり跳ねたりできる程ではないので、牛歩めいた速度で引きずるように移動すること数分、ようやく医務室の前までたどり着いた。
体全体の力を使ってドアを押し開く。とたんに鼻につく強い薬品の匂い顔を顰め、なるべく鼻を使わずに口で呼吸しながら棚をあさり、消毒液と包帯を手に取った。
ベッドに腰かけ、服を脱いで傷の確認をする。
「うぇ~…」
パンツ一丁になり、鏡で全身を確認してみれば、それはもうびっしりと痣だらけの見るも無残な自分の裸体が目に入った。
「っっったくあの野郎…マジで本当にふざけるなよ……」
怪我の具合を目にした途端に怒りが喉奥からせりだしてきたが、すんでのところで呑み込んだ。言った所で奴の調教に加減が為されることは無く、寧ろより一層苛烈さを増すことはすでに経験済みだ。
1年間で何度もキレて反撃しようとしたものの、捌かれて反撃を喰らうのが常で、一本を取れたことどころか驚かせたことすら一度としてなかった。
拷問じみた近接戦闘や射撃訓練のおかげで多少は戦えるようになりはしたが、あくまで多少でしかなく、原作で出てくる雑魚エネミーにすら今の自分ではかなわないだろう。実際雑魚エネミーに毛が生えた程度の存在にボコられているのだから。精々撃退できるのは痴漢か不審者が関の山だ。
この体には素質が無い。才能も無い。本当にない。ガチでこの体は
そりゃ1年前まで年相応の生活していたんだから、むしろ何かを期待する事の方がどうかしている。
戦闘技能はまるで駄目だが、ボコられ続けたおかげで耐久力と打たれ強さが相当に鍛えられた。はじめの一月はギャーギャーピーピー泣き喚きながら逃げ回るしかできなかったのに、次の月には曲がりなりにも反撃が出来るようになったのだ。尤もあっさりとかわされた上にサッカーボールみたいに蹴飛ばされたけど。
しかし、それ以前に驚かされたのが自分がここまで一方的な暴力に晒されたのにまるで心が折れる気配が無いのだ。
今まで暴力なんて一度たりとも受けたことが無かったから正直不安でしかたがなかったが、どうも俺は自分が思うよりもずっと頑丈らしい。
それが知れたのはなかなか良い収穫だったと言える。感謝なんてしないけど。
デカい絆創膏をべたりと張り付け、ようやく治療完了だ。一晩寝て、明日になればすべて元通り。つやつやすべすべの肌には傷一つなく、お餅めいたぷにぷにほっぺは健在である。そしてまたぞろ同じように痣だらけでここに飛び込むのだ。
やはり釈然としない。これもしかして虐待じゃない?児童相談所に訴えるぞくそたれめ。
「ファック!」
聖なるチャントを口に出し、そのまま傷ついた体をベッドに横たえる。
今日の訓練はすべて終えた。普段なら少し休憩したらすぐにでも自主練に移るものだが、今日はもうやる気になれなかった。そんな日があってもいいんじゃないかと思った。だって今日は1歳の誕生日なのだから。
ごろりと転がって仰向けになる。途端に広がる染みだらけの天井には死んだフィンが備え付けられており、時折息を吹き返してゆっくりと生前の動作を繰り返そうと健闘するも、結局何もできずに力尽きるのであった。
ぼんやりと天井を眺めて身を横たえていたのだが、適切な処理をし、鎮痛剤を打ったにもかかわらず体の節々が鈍く痛んだ。
((こんな体たらくで本編まで仕上がるのか?その前に死ぬんじゃねぇの?))
頭の中に今後の不安が鎌首をもたげるが、気まぐれな不安は睡魔という名の濁流がたやすく押し流し、俺は死んだように眠るのであった。
■
闇よりもなお暗い場所に、その男はいた。
光源は無く、自分が前を進んでいるのか、それとも後ろへ進んでいるのかすら分からない。だが男に不安は無い。自分はすでにその闇の欠片を身に宿し、物にし、それよりもなお尊き者と共に生きる事を許された選ばれし存在であるという自負があるからだ。
故に、この深淵を歩むことにいささかの不安も無し。ただ導きのもとに歩を進めればよいのだから。
やがて、視界の先が薄らぼんやりと見通すことができるようになり、ついには彼を鍾乳洞を彷彿とさせる洞窟の最奥へと導いた。
最奥の洞窟には黒紫色の火が燃える松明が等間隔で備え付けられており、それがかろうじて視界を確保してくれている。
天井には真っ黒な地球儀めいたものが四方八方から伸びた鎖でつるされていた。それはぶるぶると震えたかと思えば、突如として球体の中心にぎょろりとした一つ目が現れた。
見開かれた目はぎょろぎょろと動き、それから自らの下で跪く『小さな生き物』を凝視した。
「来たか」
それは天井の一つ目から発せられた言葉では無かった。一つ目からやや後方にある祭壇の傍らに立つ、背の高い鎧姿の人物から放たれたものであった。彼こそは教団のボスにして黒き神の副官『魔王』である。
「は、魔王閣下!それに黒き神もお久しぶりでございます!」
黒き神?然り。あの天井に吊られた黒い地球儀めいた物体こそが黒き神である。戦いに敗れ、力の大半を失った黒き神は、地の底に身を潜め、長い時をかけて虐げられし者達に夢として思念の残滓を送り付け自らの手駒としてきたのだ。
((…よき…に…はからえ………))
脳裏に超自然の声が響いた。男は喀血した。あまりにも強大な存在の思念がほんの少し発せられただけで、矮小な人間の精神は致命的なダメージを受けるのだ。しかし男は何ら苦しむことなく平然と顔を上げ、血にまみれた顔に恍惚と誇らしさに彩られた狂笑を浮かべながら、嬉々として報告を始めた。
「御二方は覚えておいででしょうか?数年前から実験的に始めていた我々アサシンの教育プログラムについてです」
「あぁ、あの年端もいかない子供を拉致して幼少期から英才教育を施すとかいうあの下らん育成計画か」
「そうでございます」
魔王は無言、視線だけで話の続きを促す。
「ところで話は変わりますが、鳳凰院コーポレーションが提供した幹部候補はご存じですかな?あれの影武者を担う
「まさか…生き延びたのか?あの正気の沙汰とは思えん訓練を?1年もの間?」
魔王がわずかに興味を持った様子で聞いた。男は頷いた。
「左様でございます。とはいえ、見た限りでは素質の方はからっきしで、とても幹部としては使い物にならないでしょう。本物の方は素質はありますが、まだ幼すぎます」
「いずれにしろ、あと何年かしなければ成果は出ない、か。やはり止めて正解だったな。そんな悠長に育てている暇など無い。使い捨ての駒など心の闇を増幅させた黒の者だけで十分だ」
「おっしゃる通りでございます」
男は恭しく頷いた。魔王は鼻を鳴らした。
「とはいえサンプルは必要だと考えます。あれをプログラムの最後の一人として、このまま訓練を継続したいのですが、よろしいですかな?」
「…まあよかろう。戦力の足しになるならば、こちらとしては何も言わぬ。精々育てて見せろ」
「ありがとう存じます」
両膝をつき、両手をつき、頭を深々と下げる男を魔王は無感情に一瞥する。
「分かっていると思うが、それらに与える予定の欠片は最終的に闇の神の贄として徴収する。それを忘れるな」
「勿論でございます。私は畑を耕す者。あれらは我らが主に捧げる貢物にすぎません」
「そうか。ならば行け」
野良犬でも払うように、魔王は手を振った。
去り行く男の背中を無感情に一瞥した後、魔王は闇の神を見上げる。
「もう間もなくでございます我が主。後ほんの数年ばかりのご辛抱で、あなた様は完全に復活し、忌々しき光の神を打ち倒し、この世を完全に闇に包む事ができるのです!」
感極まって両腕を掲げる魔王を、闇の神はすでに見ていなかった。
闇の神はただ単に自分の領域に入ってきた小さなものに反応して反射的に目を開けたに過ぎない。話など、ほぼほぼ耳になど入ってはいなかった。
魔王はそれを察していたが、それでも良かったのだ。少なくとも反応した。今までは身動ぎすればいい所だったのに、今では
今まで散っていった闇の眷属たちの願いが成就しつつある。魔王はいつか起きるその瞬間を想起し、身を震わせた。
そんな魔王をちらりと一瞥した後、神は目を閉じ、再び微睡み、深い眠りへと落ちていった。
闇の神が眠りについたのに呼応して、燃え盛っていた松明が一斉に消えた。世界は再び黒く閉ざされ、堕ちていった。
暗く、深く、闇よりもなお暗い暗黒の奥底へと。遠く、遠く……。
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