プロローグ 『ある登場人物の憂鬱』②

 鳳凰院コーポレーション本社ビル。最上階、社長室プレジデントルームにて、一人の男と一人の少女のような少年が対峙していた。



 一人は、黒塗りのデスクの上に腕を組み、その上に顎を乗せながら、目の前で縮こまる子供を無言で目踏みしていた。彼こそはこの暗黒の城の主、鳳凰院社長その人であった。



 年齢的にはまだ30代にも拘らず深い皺の刻まれた顔は能面めいて黙して語らず、彼の目に感情と呼べるようなものは無く、、脳内で高速シュミレートしていた。足元で蹲り、痛みで呻き声を上げる黒服など気にも留めない。



 対する子供の顔は、鳳凰院社長とは正反対のように分かりやすく顔をこわばらせていた。つきたての餅のような白い頬は蒼白となってなお白くなり、艶やかな肌には冷汗が尽きる事無く流れてゆく。



 シャツにプリントされたアニメキャラクターが、虚無的な笑顔で目の前の存在に愛想を振りまいていたが、通じているかどうかは怪しい。



「お前、名は何という?」

「……え?」



 張り詰めた空気の中、唐突に鳳凰院社長は口を開いた。少年は思わず聞き返した。彼の名は吉田健太郎。この物語の主人公にしてすでに詰みかけている哀れな転生者である。



「お、俺…私めの名は―――」

「ふうむ、それにしてもそっくりだな。なる程、これほどまで似通っていては、この愚物が見間違えることも、さもありなんと言った所か」



 健太郎の返答を遮って、鳳凰院社長は一人納得していた。もとより彼の答えなど待っているつもりは無かったからだ。



「良し決めた。お前は今日から『イミテーション(注釈:模造品の意)』と名乗るが良い」

「へ?で、でも私は」

「お前の返答なぞ聞いてはいない。ワシがそう言った。ならばお前が言うべきはワシへの異議申し立てではない」



 あまりにも無茶苦茶な要求であった。しかし、社長の有無を言わさぬ物言いと、これから辿る運命を考え、これ以上何も言わず従っていた方がマシだという結論を出し、健太郎は片膝をつき、首を垂れた。



「ありがとうございます鳳凰院社長閣下。私はかつての名を捨て、これより閣下より賜った新しき名、イミテーションを名乗り、御社に献上する事をここに誓いまする」

「愚物がお前を連れてきた時は何事かと思ったが、なかなかどうして、礼節を弁えているじゃないか。良いぞ。話が速いのは嫌いじゃない」



 鳳凰院社長は虚無的に笑い、手を叩いた。外界の音から隔離された静寂の中、黒服の苦痛の呻き声と拍手が悪夢的なコラージュを果たし、社長室を満たした。



「うん」



 社長は拍手を止めた。



 それと同時に、健太郎の両肩に重みが加わった。



「ッ!?」



 驚愕に目を見開き、思わず左右を見る。いつの間にかフードを目深にかぶった黒ずくめの怪しい男2名が両脇を固めていた。



「そいつを教育して、の影武者として使い物になる様にしろ。そうすればお前たちの計画、闇の神復活のエネルギータンクの足しにはなるだろう」

「「はっ」」

「え?いや、あの…は、話が速―――」



 連れていかれる健太郎…イミテーションを、鳳凰院社長はすでに見ていなかった。デスクに備え付けられたパソコンのモニターに映る株価チャートを眺めては、つまらなそうに鼻を鳴らしていた。



 イミテーションはまだ言い足らなさそうに口をもごもごと動かしたが、誰も気にかける事はせず、あまりにも無慈悲に背後で扉は閉ざされた。





 ■





 はい、無事連れ去られましたでございますでございもんじゃ。



 吉田健太郎、現イミテーションです。



 ダメ元で社長に意見して家に帰してもらおうとしたけど、取り付く島もありませんでした。



 だったら表向き従って力をつけて、しかる後に死んだことにして脱走した方がマシってもんだ。



 教団のアサシン二名に両脇を固められ、社長室から連れ去られた俺は、現在教団のアサシン育成所の支部に連れてこられた。



 ゲーム本編でも黒い者(アサシン)を殲滅するというサブクエストでこの施設に訪れる事があり、序盤の経験値稼ぎで良く蹴散らしていったものだ。



 しかし今度は蹴散らされる側に回るとは、何という因果応報か…。やったの俺じゃないんですけど!?操作していたのは俺だからダメ?そっか。



 俺が今いる部屋は、アサシン育成のためのトレーニングルームだ。



 俺を攫ったアサシン2名はここで待っていろと一方的に言いつけて、そそくさと出て行ったっきり戻ってこない。



 手持無沙汰になった俺は、何とはなしに、かつてゲーム画面の向こう側でしか見る事の無かったトレーニングルームを何とはなしに観察した。



 スパーリング用のサンドバック、血の染みついたマットレス(洗えよ。もしくは変えろ)、様々な重量のバーベル、背後に危険なドリルが備え付けられたルームランナーなどなど、一般的なものから本当に人間用?と言いたくなるようなものまでより取り見取りのラインナップであった。



 画面越しに見た風景がそっくりそのまま目の前にある事に、これから行われる言うを憚られるような残虐な未来を想起させながらも、俺は感動していた。現実逃避ともいう。



 ていうか遅いな。何やっているんだろう。それにしてもこの部屋の匂いときたら!ちゃんと換気しろよ!あんたらは慣れているから気にならないんだろうけど、初めて来ていきなりこんな臭いを嗅がされるこっちの身にもなって欲しい!これから嫌でも慣れる?そう。



 いい加減臭いと退屈に我慢が限界に達し、気を紛らわせるためにトレーニング器具をペタペタと触っていると、遠くから足音がし、ドアの前で足音が止まったかと思えば、激しい音を立てながらドアが蹴破られた。



「ほあッ!?」



 突然の轟音に鹿めいて棒立ちになった俺など気にも留めずに、ドアを蹴破ってエントリーしてきた者、黒の者(アサシン)が両手で何かを引きずりながらずかずかと俺へと迫ってきた。



 滅茶苦茶迷いなくずんずん来る黒の者に恐れをなして後退ったが、背後の壁に行き当たり、これ以上離れられない事に絶望した。



「ドーモ!ドーモ!お前が新しい奴隷ペットチャンか!俺がここの支部のボスゴッドにしてお前の訓練を担当する教官だ!ドゥーユーアンダースタン?」

「アッハイ」



 教官殿はお構いなしに近づき、俺のすぐ目の前まで来て、顔をずいっと近づけながらそう言った。俺は恐怖のあまり堅苦しい定型でしか答えられなかったが、教官殿はそれで満足そうだった。



 恐らく俺の返事じゃなくて、俺の恐怖した顔に満足したのだろうと思う。



「話はから聞いてるぜ!にしても本当にそっくりだな!確かにこれならお前がと入れ替わっても誰も気にならなそうだな!もっともあれを気にかけてる奴なんか誰もいないんだけどね!ぎゃはははは!」



 教官殿ゴッドが何かいろいろ言っていたけれど、俺は彼が両手に持っていたものに初めて目が行き、それがなんであるか分かってしまって愕然としていて、話なんかこれっぽっちも耳に入ってこなかった



 教官殿が両腕に持っていたのは、俺をここに拉致してきた黒き者(アサシン)のなれの果てであった。



 一体いかような手段を用いればそのような有様になるのかというほど損壊した肉体はクズ肉めいており、かつて頭であったであろう部分に残っている眼球は絶望に見開かれ、空しく虚空を睨むばかりだ。



 パクパクと魚のように口を開く俺を一瞬訝り、それから視線の先を把握すると、納得したように頷いた。



「あぁこれ?んふっ死体を見るのは初めて?ひひひ!どうだ?初めての死体を見た感想は?ねえねえねえ?どう?どんな感じだ?」



 どう?と聞かれたところで、答えられるはずも無し。むせ返る血と臓物の匂いも、虚ろに見開かれた目も、何から何まで初めての出来事で、ただでさえ追いついていない脳はたやすく白旗を上げた。



 俺は失神した。



 そのすぐ後に頬に強烈な衝撃が走ったかと思えば、目の前に床が広がり、顔面にぶち当たった。失いかけた意識は一瞬で引き戻され、頭の中は混乱で滅茶苦茶に乱れた。



 次第に頬と顔面に物凄い熱を持ち始め、次の瞬間痛みが間欠泉のように湧きあがり、顔を押さえて芋虫のように身悶えた。



「ダメダメダメ!そんな程度で失神するなんて許しませんよ!?これからこんなもの比じゃないくらいの酷い目に合うんだから!ね?だから慣らしてコ?ん?」



 しゃがみ込んで俺の目を覗き込む教官殿の目は弱者をいたぶる喜悦に滲んでおり、絞り出すように口にした傷になったらどうするんだという訴えも、軽く受け流してしまった。



「そりゃ心配ご無用さ!何たって俺は『暴力のプロ』だからね!ちゃんと傷にならないように心がけていますとも!それはそうと、もう痛み退いてきてるでしょ?何たってプロだからね!早く立て」



 それまでの異常に高いテンションとは一転して、底凍えするような声で起立を促してきた。



 ぞくりと肌が粟立った。立たねば死ぬと、本能が理解した。



 震える足に鞭打って、無理やり体を起こして立ち上がる。



「やればできるじゃない!そうだ、それでいい!物事には順序ってものがある!インストラクションワンクリアだ!この調子でガンバロ!」



 再び狂ったテンションに戻った教官殿は俺の背中をバンバン叩き、上機嫌に励ましの言葉を口にした。



 あまりに早い切り替えの早さに、俺は戦慄した。



 とはいえ、あまりにも無茶苦茶なこの男の態度が、かえって俺の頭を冷静にさせてくれた。



 ……このクソカスの言い分を認めるのは癪だが、確かに、この程度で根を上げているようじゃこの先やっていけない。



 碌でも無い死の未来を回避するには、それ以上に碌でもない経験を積むほか無いのだ。



 物事には順序があるというのもそう。まずは酷い現実を受け入れるところからだ。原作の恐ろしい出来事が起きるまでまだ時間がある。



 準備できる!敵の動向を事前に知れる!これはむしろラッキーだ。俺はツイてる。うん。そう思おう。でなきゃやっていられない。



 俺はもう敵の懐にいる。ならば、精々利用して強くなってやる!



((畜生舐めやがって!))



 朗らかに笑う教官殿に愛想笑いを返しながら胸中で吐き捨てる。



 俺の事を虫だと思っているんだろう?顔見りゃ分かるぜ?なめるなよ糞野郎!俺はただの虫じゃなくて、獅子を蝕む蟲であるという事を思い知らせてやるぜ!



「はい教官殿!力の限り鍛錬します!」

「うん、良い心がけだね!」

「それで一つお願いがあります!いいでしょうか?」

「イイぜ!」



 サムズアップで歯を見せて快諾する教官殿に、俺は一つ深呼吸し呼吸と心を整える。



 これを口に出せば、俺の地獄が始まる。しかしこれは必要な地獄なのだ。



 あらかじめ地獄を見ておけば、後々どんな状況に叩き込まれようが心が折れて諦める事なんてないはずだ。



 だから、言う。あえて地獄に落ちる。



 その決心がつき、一息に言った!



「力いっぱい死ぬほどでお願いします!」

「……」



 俺の言葉に、教官殿は呆けたように口をぽかんと開けて無言となり、その意味を吟味しているようだった。それから黄色い歯を剥き出しにして凄惨に笑った。



「良いね!」



 教官殿の浮かべる凄惨な笑みに、たちまち萎えそうになる心を叱咤して、逸らそうとする顔を無理やり固定して、真正面から見た。



((…やっぱ怖いー!))



 俺は自分の運命を、心の底から憎悪した。俺の地獄が始まった。



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