大精霊と谷の国のマイア
遠野月
前編
◇ ◇ ◇
そこは谷の国、プラムトリ。
高い山に囲われていますが、豊かで美しい国です。
プラムトリを治める領主は、とても優しい領主でした。
誰にでも分け隔てなく優しかったので、臣民にとても慕われていました。
ところが優しい領主には、ずる賢い家臣がいました。
ずる賢い家臣は野心家で、不思議な力を持っていました。
ずる賢い家臣は、その不思議な力で少しずつ権力を得ていきました。
そうしてついに、優しい領主から領主の座を奪い取ったのです。
新しい領主は、元領主にあられもない罪を着せました。
さらには元領主を城から追い出し、プラムトリの外れに住まわせました。
追い出された元領主には、一人の娘がいました。
二人はプラムトリの外れで、なんとか暮らしていました。
しかしその生活は長くつづきませんでした。
元領主は、失意により病を患いました。
そうして三か月前。ついに元領主は、一人娘マイアを残して亡くなってしまったのです。
◇ ◇ ◇
すべての枝葉の影に、光が宿っていた。
深い森の中であるに、暗闇などどこにもない。
どちらへ進んでも迷わないでいられるのではないかと、マイアに思わせた。
「やあ、人間の女」
光を生んでいる何者かが、マイアを見て言った。
「どうしてここに来たんだい」
光を生んでいる者の声は、まるで嘲笑っているようであった。
しかしそれはマイアを嘲笑っているわけではない。
自分自身と、それを取り巻くすべてを嘲笑っているようであった。
「迷ったのです」
「ほう。それは森にかい? それとも人生に?」
「森にです」
「それなら回れ右だ。そして真っ直ぐ進んで、大きな岩に突き当たったら右に。道中に咲く三十三輪の白い花を越えて左。白兎を見かけたら、七回高く跳ねるまで追いかけて右だ。お達者で!」
「……え、え?」
「もう一度聞く?」
「あ、いえ。……ありがとうございます」
マイアは光を生んでいる者にお辞儀をした。
光を生んでいる者も仰々しくマイアに返礼した。
マイアは回れ右をした。
深い森に、淡い光を宿らせた道ができていた。
この道を辿れば帰れるのだろう。
マイアは目を丸くさせ、光の道を数歩進んだ。
しかしすぐに足が止まる。
マイアは振り返った。
枝葉の向こうに、光を生んでいる者が佇んでいる。
振り返ったマイアを、寂しそうな目で見ている気がした。
「あの」
「なんだい? 忘れ物?」
「はい。その、言い忘れていて。私はマイアといいます」
「ほう。マイア。いい名前だ。じゃあ、達者でな、マイア!」
光を生んでいる者が片眉を上げて言った。
やはり、自らを嘲笑っているようであった。
「貴方のお名前も知りたいのですが」
「俺かい? 俺の名前は、ほらそこの木。『バルメモザの木のお隣さん』だ。いい名だろ?」
「素敵なお名前ですね」
「そうだろ? 気に入ってる。たった今気に入った。素敵な出会いに感謝だ」
「私も感謝を。『バルメモザのお隣様』。今度改めてお礼に参ります」
「また来るの? こんなところに?」
「必ず参ります。バルメモザを目印に」
「そいつは大変だ。また迷いそう」
「そうかもしれません。それではごきげんよう、バルメモザのお隣様」
「ああ。ごきげんよう、マイア」
バルメモザのお隣様が苦笑いする。
マイアは小さく笑い、翻った。
淡い光が宿る道を歩いていく。
教えられた通りに進んでいくと、いつの間にか森を出て、自宅の前に着いていたのだった。
それから七日後。
マイアは再び森の中へ入った。
バルメモザを探して、奥へ、奥へ。
陽が傾くまでバルメモザの木を見て回った。
しかしその日は、バルメモザのお隣様と出会うことはなかった。
二日置いて、マイアは森の中へ入った。
すると森の奥にかすかな光が見えた。
マイアは光を追ったが、その日もバルメモザのお隣様と出会うことはなかった。
三日置いて、マイアはまたも森の中へ入った。
迷うほどに深く深く、森の底へ入っていく。
すると森の奥底にかすかな光が見えた。
マイアは光を追うと、ついにバルメモザのお隣様の姿を見つけることができた。
「やあ、マイア」
「こんにちは。ところでここには、バルメモザの木はありませんね」
「改名したんだ。たった今。知りたい?」
「教えてください。出来れば、バルメモザのお隣様の前のお名前を」
「たくさんあるんだ。どれを教えるべきか悩むな。三年ほど待ってくれたら、マイアが気に入ってくれる名前を見つけておくよ」
「いいえ。もし宜しければ、一番最初のお名前を教えてください」
「最初の名前だって?」
バルメモザのお隣様が、苦い顔をした。
辺りを照らしていた淡い光が、ゆらりと揺れて弱くなる。
名を教えたくないのだと、マイアは分かっていた。
しかしどうしても確かめたかった。
目の前にいる、光を生んでいる者が何者なのか。
もしかすると、かつて城で見た、古い本に記録されているあの存在なのではないか。
「俺の名を教えたら、君はきっと嫌な顔をするに決まってる」
「どうしてですか?」
「どうしてもさ。今まで出会ってきた人間は皆そうだった。嫌そうな顔をしながら、俺に擦り寄ってくるんだ。身の毛がよだつって言葉、知ってる? 俺の場合はそれを通り越して身の毛が抜けちゃうってとこ。だからどうか、マイア。このまま回れ右をして。どうか、お達者で!」
「いいえ、大精霊様。私はそうしません」
「大精霊様だって!?」
大精霊と呼ばれたバルメモザのお隣様が驚きの声を上げた。
右を見て、左を見て。ぐるりと一回転したあと、マイアに近寄る。
「一体君は何者なんだい?」
「マイアです。ただのマイア」
マイアは近寄ってきたバルメモザのお隣様に臆せず言った。
「なるほど。ただのマイア!」
バルメモザのお隣様がさらにマイアへ近付き、叫んだ。
一拍置いて、とんと後ろへ跳ね飛ぶ。
そして天を仰いでみせた。
「それじゃあ、ただのマイアのために俺の名前を教えよう。だけどその前にひとつ決めておく。いいかい?」
「はい、大精霊様」
「ただのマイアがかすかにでも嫌な顔をしたら、俺は君の前から立ち去る。永遠に。これまでのようにどれほど探し回ってきても、気を利かせて出てきたりしてあげない。いいね?」
「もちろんです」
「決まりだ! それじゃあ教えよう。俺の名前は!」
バルメモザのお隣様が、もう一度とんと後ろへ跳ね飛んだ。
そして宙に浮きあがり、一回転する。
「俺の名前は、ロズイーヒム! このプラムトリだけでなく、剣の寝床ボラムでもっとも力のある大精霊だ!」
ロズイーヒムと名乗った大精霊が、両手をかかげて叫んだ。
それから間を置いて、ちらりとマイアの顔を覗きこんでくる。
瞬間、ロズイーヒムが半身後ろへ飛び退いた。
「嫌そうな顔をするはず」と決めつけていたマイアの表情が、華やかに輝いていたからだ。
「ああ、やっぱり!」
マイアは喜びに満ち、数歩前へ進み出た。
ロズイーヒムは、谷の国プラムトリを寝床にしている大精霊の名だ。
その名は、城の奥底に眠っていた古い本に記録されていた。
しかし悲しいことに、時代の流れによって大精霊という名は押し流されていた。
最近では、ロズイーヒムの名は大魔人として知られている。
悪人に加担し、人間を苦しめる存在だというのだ。
「こんな奇跡があるなんて!」
マイアはさらに進み出て、ロズイーヒムに向かって跪いた。
マイアの心の内では、大魔人ロズイーヒムの名など無いに等しかった。
大精霊ロズイーヒムの名のほうが正しいと、信じていたからだ。
しかしロズイーヒムはそんなこと知る由もない。
突然跪いたマイアに、ただただ慌てるのみであった。
「一体これはどういうことだ?」
ロズイーヒムが慌てて地面に降り、マイアに駆け寄る。
そうしてマイアの肩を掴み、何度も揺らした。
「気でも狂ったか」と声をかけつづけて。
しかし感極まっていたマイアは、肩を揺らされながらも跪きつづけるのだった。
◇ ◇ ◇
マイアの誘いを受けたロズイーヒムは、森を出てマイアの家へ訪れました。
家に着くや、ロズイーヒムは尋ねました。
「どうして昔の俺のことを知っているんだい?」
マイアは幼いころ、城に住んでいたことを明かしました。
「城に多くの本があるのよ。そこに大精霊様の名前が記されていたの」
そしてついに本物の大精霊に会うことができたと、喜びを伝えました。
大精霊ロズイ―ヒムは驚きました。
まさか千年も前の自分を知っている人間がいるとは、夢にも思わなかったからです。
ロズイーヒムはマイアと出会ったことで、自らの名誉を回復したいと思いました。
大魔人ではなく、大精霊でありたいと。
悪人に加担する悪者などではないと。
そのために協力してほしいと、マイアに願いました。
マイアもまた、ロズイーヒムに願いました。
あられもない罪を着せられた父の名誉を回復したいと。
◇ ◇ ◇
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