第6話

 

 馬はこちらに向かって、街道を駆けてくる。


「あれは」

 侍が顔を上げた。

 はるも顔を上げた。


「あ」

 馬上の侍は、柴田様だった。 

 供を引き連れている。

 数は二人。


「生きておるぞ!」

 そう叫ぶ声がした。


 ふいに、激しくはるの体は震えだした。

 柴田様は、はるがほんとうにむくろとなったか確かめに来たに違いない。


「おい!」

 かたわらの侍に、強く腕を掴まれる。


られる。逃げるぞ!」


 うなずき返し、はるは走り出した。


 街道を走れば、馬にすぐ追いつかれてしまう。 

 侍は林の中に逃げ込んだ。

 斜面を転がるように走り、闇雲に前に進む。


 馬も追いかけてきた。

 と、渇いた鋭い音がし、はるの耳元を何かがかすめた。


 弓だ。

 怖気おぞけが走った。柴田様は弓ではるをとうとしている!

 

 矢が雨のように降ってきた。

 そこかしこに矢が落ちる。鋭い音を立てて、地面に、木の幹に刺さる。


 それでも、侍の機転によって、木々の間をうまく走るせいだろう、矢はなかなか当たらない。


「わあぁ」

 ふいに、地面が傾斜した。


 侍もろともはるは滑り落ちだ。

 

 ザアッー! 

 ザザザッ!

 木の幹にぶつかり、低木の茂みをなぎ倒し、転がっていく。


 落ちた先は、沢だった。

 有難いことに、深くない。水は足首ほどしかない。


「あうっ」

 侍がうめいた。

 見ると、右の肩の肌が避け、血が噴き出している。

 矢が当たったのだ。

 ひどい痛みのようだ。侍は起き上がれない。


「構わん、逃げろ」

 侍が叫んだ。


 後ろを振り返ると、柴田様と共の二人が沢へ下りてきたのが見えた。

 馬を下りて、水の中に入ろうとしている。


 矢を抜かねば。

 はるは咄嗟に思ったが、人間に刺さった矢など抜いたことはない。


 おとうがイノシシを狩ったとき、矢を抜くのを見たことがあるだけだ。


 ええい!

 はるは瞬時に心を決めた。


 人間も獣と同じだ。


 はるは歯を食いしばり、侍の肩を刺した矢を抜いた。


「うっ」

 侍は顔を歪める。

 矢を抜いた場所から、おびただしい血が流れ出した。

 その血を侍の左手で抑えさせると、


「こっちへ」

 はるは侍の手を引いた。


 沢の上流に、大きな岩が転がっているのが見えた。

 大人の背丈ほどもある、山のような形の岩だ。


 せめて、あの場所へ隠れることができれば。


 侍を引きずりながら、はるは岩を目指した。黒装束から救ってくれた侍を置いて、自分一人で逃げることなど、はるにはできない。


 どうにか岩の後ろへ体を収めたとき、追っ手が沢へ入った水音がした。


 追っ手は近づいてくる。


「どこへ逃げた!」

 柴田様の声だった。


 はるは侍を岩陰に横たえ、自分も身を屈めた。

 岩陰は深みになっているようで、腰まで水に浸かった。刺すように冷たい水だ。


「こっちだ」

 供の一人が水しぶきを上げながら、上流へ進んでくるのがわかった。


拙者せっしゃはあちらを探す」


 もう一人は下流へ向かったようだ。


 水をく音が増えた。

 柴田様も上流に向かってくるようだ。


 岩のまわりの水が赤く染まって、はるは傷を負った侍をかえり見た。

 侍の肩から、さらに大量の血が流れている。


 はるは胸元の帯上げをほどき、侍の肩と脇の間に滑り込ませた。そうして肩口で強く結んだ。


 真っ白い帯揚げが、みるみるうちに赤く染まった。それでも、少しは血の流れを抑えられるだろう。


「かたじけない」

 侍は呟き、はるのされるがままになったが、その声に力はない。


拙者せっしゃのことは置いて逃げなさい」

「そうはまいりません」


「もう、拙者せっしゃはだめです。今、逃げれば、そなただけでも助かるかもしれない」


「弱気になってはいけません。最後まであきらめてはなりません」


 自分でもどこからこんな気力が湧いてくるのかわからなかった。

 ただ、飲み込めない悔しさが自分を突き動かしている。


 追っ手は近づいてくる。

 このままでは、すぐに見つかってしまうだろう。


 それならどうすべきか。


 はるは沢を見渡した。二間にけんほどの幅の狭い沢だ。

 いびつな形をした岩が、水の中からいたるところに顔を出し、急流を弱めている。


 沢のまわりは、丈の高い草で覆われている。

 そして、沢に影を落としているのは、山肌から伸びた木々だった。

 さわぐるみやとちの木がこんもりと沢を包んでいる。

 

 はるは頭上を見上げた。

 大木の枝が沢にせり出している。


 ごくりと唾を飲み込んで、はるは侍を振り返った。

「待っていてください。奴らを巻いてみせます!」

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