第6話 襲撃 3

 かまびすしい鳥の声がする。

 目を開けると、辺りは光に満ちていた。

 

 夜が開けたのだ。

 暗く絶望的だった夜は消え、光に満ちた朝が来ている。


 はるは傍らの青之進を見た。すううすぅうと、穏やかな息を繰り返している。

 生きている。

 たとえようのない喜びがはるの胸に溢れた。ゆっくりと上下する青之進の胸に、はるは優しく手を置いた。掌に、たしかに心ノ臟の鼓動が伝わって来る。どくんどくんと、頼もしい響きが伝わって来る。

「青之進様」

 はるが呼びかけると、青之進は目を開け、何度も瞬いた。

「朝……」

「そうです。夜が明けました。あなたさまは生きておられます」

「生きて……」

 起き上がろうとした青之進を、はるは抑え、その額に手をやった。熱は下がっていた。老爺のくれた薬が効いたのだ。

 小屋を出て、はるは青之進のために、竹筒に水を入れに沢へ下った。冷たい水をたっぷりと汲み、小屋へ戻る。

 だが、青之進はふたたび眠りに落ちていた。

 それから青之進は、どれぐらい眠っただろう。薄目を開け、目を覚ましてはまた眠る。その間、はるは口移しで水を与え、着物が汚れるたび、洗っては小屋の板に貼り付けて干した。

 目を覚ますと、青之進は傍らのはるにしがみついた。おそらく無意識でそうしているのだろう。はるの手を強く握って、ときには胸に顔を埋めたまま眠りについた。

 そんなことを繰り返して、青之進が起き上がれるようになったのは、三日目の朝だった。


「体が回復したのは、はる殿のおかげです」

 居住まいを正して、青之進ははるに向き直った。

「はる殿の介抱がなくては、わたしは生きられなかった」

「いえ、わたくしはただ」

 乳房に押し付けた青之進の顔を思い出して、はるは頬が赤くなった。

「どうしたのです」

「いえ、なんでも」

 青之進が憶えていないのが幸いだった。


 青之進はみるみる回復していった。一晩目では起き上がれるようになった。二晩目では、自分から沢へ下りて水を飲むようになった。

 その様子は、まるで若草がぐんぐんと伸びるようだった。

 回復するのを待つ間、はるは青之進についてくわしく知った。

 青之進は、はるより八つ年上の二十三歳。生まれははるの生まれたた村より北へ峠を二つほど越したところにある村だった。白木村という。家は地下人(じげにん)と呼ばれる村の長を務める家柄で、はるとは違い、貧しさを知らぬ暮らしぶりだったようだが、三男のため、早くに家を出、百姓にはならず城へ働き口を求めた。はじめは城の普請を行う職人たちの手伝いをさせられていたが、次第に認められて、戦になると槍を持たせてもらえるようになった。

 それからは、とんとん拍子に出世ができた。柴田様に目をかけられ、この度の御供衆にも、特別に声をかけられたという。


「今にして思えば、どうせ斬られる定め。それならわたしのような者が適任だったのでしょう」

 胸が痛んだ。はるも同じだ。

「もう、城へは帰れません。その覚悟はできました。だが、心配なのは」

 青之進には、三つ年下の妻と、生まれたばかりの子どもがいる

という。

「わたしは追っ手に歯向かってしまった。それは、柴田様方の知るところとなっているでしょう。とすれば、家族の命は……」

 そう言って口をつぐんだ青之進を、はるは慰める術を知らなかった。はるも同様に、村にいる両親や弟が心配だったが、おそらく彼らに咎は及ばないはずだ。なぜなら、追っ手に歯向い、殺めたのは、青之進はじめ、警護役の者たちだと推測されるからだ。まさか、御供衆の姫付きの侍女の小女が、殺戮を行ったとは思わない。

 その事実を、はる自身、信じられない。あれはあのときだけ、は

るに何かが憑いていたとしか思えない。

 

 体が回復するにつれて、青之進は饒舌になったが、二晩目の夜、何か深く考えるところがあるようで、目を閉じたまま何もしゃべらなくなった。

 眠りにつく頃、はるは我慢しきれなくなって、青之進に訊いた。


「これからどうなさるおつもりですか」

 いつまでも木地小屋にいるわけにはいかなかった。青之進が持っていた握り飯も二人で食べてしまった。

 すると、青之進は、いままでになく真剣な目で、はるを見た。

「わたしは逃げようとは思いません」

「でも、もう、城には戻れないと」

「城には戻りません。だが、御供衆の警護役を終えるつもりはな

いのです」

 青之進が何を言いたいのか、はるにはわからなかった。

「わたしは、初めの主旨どおり、てる姫をお守りして、押野城へお届けしたい」

「え」

 はるは目を見開いた。

「てる姫をお守りする?」

「そうです。わたしのお役目です」

「でも、てる姫などいないではありませんか」

 すると、青之進はうっすらと口元に皮肉な笑みを浮かべ、言い放った。

「ここにおわせられます」

「ここに、などと。わたくしが姫付きの小女だと、わたくしが籠を降りたときからご存知のはず」

「だから、てる姫になっていただく。柴田様がそなたにてる姫と同じ白無垢の小袖を着せた。そなたは、その白無垢の小袖で、押野城へ輿入れするのです。といってももう輿などありませんから、歩いて行く。当然です。てる姫さまは賊に襲われたんで

すから。てる姫さまは警護役の者と共に命からがら山野をさまよい、押野城へ到着するのです」

「そんな」

「姫さまを、拙者がお守りして城へ赴く。なんの不自然さもありません」

「無理です」

 はるは声を荒らげた。

「偽物のてる姫だと、すぐに知れてしまいます」

「そうでしょうか。押野城でてる姫の顔をよく知っている者はほとんどいないでしょう。婿となられる城主様も、てる姫の顔はご存知ないはずだ。その上」

 青之進は言葉を切って、おもしろいものを見るようにはるを見据

えた。

「そなたはてる姫と瓜二つ」

 思わず、はるは両手で顔を覆った。

「無理です。わたくしが本物の姫でないと、城主の利賀忠興様がすぐに見破ります」

 偽物とわかれば、即座に打ち首だろう。いや、それだけでなく、辱めを受け、残虐な殺され方をされるかもしれない。押野城城主は、非道な男だと聞いている。


「利賀方が、そなたをてる姫の偽物と言うことはありません」

「え、なぜです」

「利賀方は、この婚姻を推し進めたいからです」

 そして、青之進は声を落とした。

「この二日間、じっくり考えていました。なぜ、高堂様方は、輿入れの道中でてる姫さまを連れ去ろうとしたのかを」

「それは」

 考えてもみなかったが、はるは思いつくままを口にしてみる。

「道中のほうが、身代わりを立てやすかったからじゃありません

か」

「そうですね。城中ではそう簡単になりすますことはできないで

しょう。だが、拙者には、それだけではないと思える」

 はるは青之進の言葉を待った。

「輿入れの二日ほど前です。城下ですれ違った男から、ある噂を耳にしました。男は越中から塩漬けの魚を信濃へ運んできた帰りでしたが、その男が言うには、信濃のほうで、大豆が大量に買われていたというのです。戦には、米や大豆がいります。この話を思い出して、思ったのです。戦が始まるのではないかと。それも、大きな戦です」

「戦が?」

「利賀方も、我が城も、丹野方もすべて巻き込む大きな戦です。その戦が始まるからこそ、高堂様は急いでてる姫を丹野方に嫁がせ、味方につけたかったのではないか」

「いつ、戦が始まるというのですか」

「おそらく、十日もすれば」

「なぜ、十日後と」

「その頃には、稲の刈り取りが終わります。刈り取りを終え、体が空いた百姓たちを戦に駆り出すだろうからです」

 そういえば。

 はるは思い起こした。

 村の男たちが戦に駆り出されるのは、田んぼ仕事がないときだった。

「十日ほど。その間だけ、姫に成りすませば大きな戦が始まる。そのとき、我らにも機会がやって来る」

「機会」

「そうです。我らを陥れた高堂様方に報いを受けさせる機会です」

 はるは青之進の顔を見つめた。はるの全身が震え始めた。

 青之進がはるの手を取る。

「何を怖がっているのです。追っ手をたった一人で、しかも石工の鏨だけで倒したほどのそなたが」

 はるは激しく首を横に振った。

「無理です、無謀です。たった十日といえ、本物の姫になりすますなど、わたくしにはできません。輿の中では姫になりすますこともできました。輿の中ではわたくし一人でしたから。でも……でも、城に入れば、たくさんの目が向けられる」

 体の震えが激しくなった。どう思い描いても、うまくいくとは思えない。自分のような村の者にとって、お館の姫は天上人だ。

言葉も違えば、立ち振る舞いも違う。そう簡単になりすますことなどできるはずがない。


「拙者に考えがあります」

 青之進は、言った。

「考え?」

「そうです。今夜ずっとそのことを考えていました」

 急に押し黙ってしまった青之進は、これからの計画を練っていたのだ。

「押野城に着いたら、そなたには、唖になってもらいます」

「え」

 はるは耳を疑った。

「わたくしにしゃべるなとおっしゃるのですか」

 青之進は頷いた。

「で、でも、てる姫は唖ではありません」

「賊に襲われて、言葉を失ったとするのです。このとおり」

 青之進は、自分の体に掛けられたはるの小袖に目をやった。

「白無垢の小袖が血だらけだ。裾は破れ、糸屑が垂れている。姫であれば、衝撃で声を失ってもおかしくはない」

 そう言われても、すぐに納得できるはずもなかった。

「そんなまやかしで、押野城の人々を騙せるでしょうか」

「それを、やるのです」

 青之進は声を荒らげた。その気迫に、はるはたじろぐ。

「やらねばなりません。もう、我らには帰る場所がないのですよ」

 それはわかっている。だが。

「偽のてる姫になって、我らを陥れた奴らを懲らしめてやろうじゃありませんか」

「懲らしめる?」

「そうです。てる姫が嫁げば、我が城と押野城方は同盟関係を結ぶ。そうなれば、てる姫輿入れを計画した楠根様方の勢力は大きくなる。そして、柴田様方の勢力は弱まる」

「でも」

 はるはなかなか納得できない。

「てる姫はどうなるのです。ほんとうのてる姫のことです。本物のてる姫は生きているのですよ。わたくしが押野城に入ったら、てる姫が二人いることになります」

「おそらく」

 青之進は、ぎゅっと唇を噛んだ。

「本物のてる姫は、丹野方に匿われているでしょう。高堂様方の計画では、この十日の間に、賊から救い出したと、本物のてる姫を担ぎ出すつもりなのです。そして、自分たちが担いだてる姫を丹野方に輿入れさせるつもりです」

 はるには想像もつかなかった。侍女としてお城に上がっても、柴田様のお顔など見たことはなかった。ましてや、柴田様の上で糸を引いているという高堂様など、雲の上のまたずっと上の存在だ。

「我らが押野城へ行けば、きゃつらの謀がすべて無駄になる。痛快だと思いませんか」

「でも、もし知れたら」

 青之進は目を細めてはるを見つめた。

「我らは、どこへ行っても追っ手に追われる身となったのです。どうせ、斬られる身なら、高堂様方に一泡吹かせてから死にませんか」

 

 どこへ行っても追っ手に追われる身。

 

 そうか、そうなのか。

 もう自分には、逃げる場所も隠れる場所もないのか。柴田様を殺めた自分は、一生、高堂様方から追われるのだ。息の根がとまるまで。

 一か八か、やるしかないのだ。


「わかりました。てる姫に化けましょう」

 はるが決心を口にすると、青之進は城での段取りを聞かせてくれた。

 祝言、そのあとに待っているお床入れについて。

 残酷非道と噂される忠興との床入れを思い、はるの体は震えた。だが、もう後戻りはできない。どうせ、そう遠くないうちに、自分は誰かに斬られるのだ。

 はるは覚悟を決めた。

 青之進が青ざめた面持ちで、頷いた。


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