第4話 山路《やまじ》2

バスから最初に降りてきた数人の男たち。

彼らは足早にしながらその場を離れてどこかへと向かっていく。

竜雅はその男たちが何処に向かっているのかと目で追いだし、ある結論を導き出そうとしてみた。


(……なるほどね。 みんなあの安い宿がある方に向かっているということは『早い者勝ち』ということか。)


まともに考えれば、竜雅の憶測は正しいものと言えるだろう。

いくら安い宿があるといっても全盛時と比べて半数にも及ばない現在では宿泊人数には限りがある。 そのため、労働を終えた全員が千円という格安の宿に泊まれるわけではなかった。

それだけに足早になるのも自然なことだとは思うのだが、……人の流れを見ているうちに竜雅の中で不可解な違和感が芽生えだしている。


(…おかしい?……どうして後からバスを降りた人達は急ごうとしないんだ? 走れば彼らを追い越せそうだけど……むしろあきらめているような、それでいて冷めた顔をしているような気さえする。 ……だとしたら…何故?)


竜雅の目に映ったそれは『不自然』そのものであり、平等や競争というものからかけ離れているようにさえ感じ取れるのだが、

(もしかしたら…彼らは少し高めの宿を好んで選んでいるのかもしれない)

と、思い直し、再びバスから降りてくる人の姿を注視した。


(……もしかして……もうここにはいないのか?)


僅かな期待をもってこの場所に来たものの、バスから降りてきた最後の1人の顔を確認した竜雅は『この日はあきらめるしかない』と観念するしかなかった。


名残惜しそうに竜雅が目線を向けていると、労働者を乗せていたバスは降り口のドアを閉めるとゆっくりとUターンを始め、もと来た道へと走り出そうとしている。


「 !? あれは!!! 」


意外、いや、これは少々迂闊だったと竜雅は反省しながら、瞬時にして全力でバスに向かって走り出した。

あのバスを運転していた60歳半ばくらいに見える男こそが『山路』だと確信したからだ。


ドンドンドン!!!


バスがUターンを終え、勢いよく走り出そうとした矢先に竜雅は両拳で後部ドアを強く叩きだした。

危険を察した運転手はすぐさま緊急停車をしたが、竜雅はお構いなしにバスの後部ドアを叩き続ける。

まともな思考でこの暴挙の結末を考えるならばこれほど危険な行為はなく、警察沙汰になっても何ら不思議ではない悪質なものであると言えよう。

それは竜雅にも分かっている。

分かってはいるのだが、どうしてもこのバスの運転手と対面しなければ今後二度と会えないような不安が襲いかかり今に至っているのだ。


停車したバスの後部ドアが開くと、ようやく竜雅は手を止めた。


「おい! あんちゃん! さっきから何をしているんだ!」


(間違いではない!)竜雅は思わず口もとが緩んでしまった。

今、自分を怒鳴りつけている男の右目の横にある縦に深い4㎝ほどの切り傷の痕が、竜雅が探していた山路だということを証明していたからだ。

同時に、竜雅は我ながら運が良いと感じずにはいられなかった。

もし、このバスがUターンをしなかったら、おそらく永遠に山路を知らしめる傷痕を見つけることができなかっただろう……と。


「お久しぶりです。 山路さん……ですよね?」


予期せぬ返答を得たバスの運転手は一瞬ほど疑心暗鬼にかられたが、すぐに我を取り戻して目の前にいる若者を睨みつけた。


「お前は誰だ? 何故俺が山路とかいう奴だと思うんだ?」


「僕のことを覚えていなくても当然です。 あのとき僕はまだ10歳だったので。 僕は、三岐 竜雅です。」


「!?……あの三岐の息子か。 しかし……何故ここに?」


「山路さん、あなたに教えてほしいことがあってここに来ました。」


「……何故だ? 俺は政界から追放された身だぞ?」


「いいえ、あなたは追放されたのではないと父から聞かされています。 大金と引き換えに裏金問題の全ての責任を押しつけられた自連党の犠牲者であると。」


「フン。 犠牲者ね……。 それは少し違うが、まぁいい。 せっかく珍しいあんちゃんが訪ねてきたんだ。 で、俺から何を聞きたい。」


「人が生きる真実の社会です」


「そんなことを聞いてどうする? あんちゃんのような貴族育ちが知ったところでどうにかなるもんじゃないだろうが。 大人しく自分がいるべき世界でものごとを進めたほうが良いんじゃないか?」


「それではダメなんですっ! この国の活力となるはずの若者たちをすぐにでも救わなければ、いずれこの国は泥船と化して沈んでしまう。 それを防ぐにはここで生きる人達を知ることが重要なヒントとなるはずなんです。」


「ホ~~~。 何故そう思う?」


「それは、歴史が物語っているからです。 激流にも似た時代の変化に対してこの地に集まる人々の因果関係は切り離せないものがありました。 それは今でも続いているはずです。」


「何が続いていると言うんだ?」


「弱者が生きるための抗い……です。」


「オイオイ、あんちゃん、ここで生きる奴らを弱者と呼ぶのか?」


「……すみません。 つい、口がすぎました。」


「ハッハッハッハッ。 まぁ、いいさ。 よし、いいだろう。 あんちゃん、1時間後に『あし屋』という定食屋で会おう。 これでもいちおう仕事中なんでな。 一旦会社に帰らせてもらうぜ。」


「あ!? す…すみませんでした。 では、『あし屋』でお待ちしています。」


山路が運転するバスがゆっくりと動き出すと、竜雅はそれを見送るようにしながら次にするべき事を考えだした。


(…『あし屋』という定食やか。 携帯電話で検索できればいいけど……)


まともな商売をしている定食屋であればネットを通して検索することができるだろうが、もし、そうでなければ少々探すのに手間取るかも知れないと思いすぐにサーチしてみることにした。


結果として、大概の場合『悪い予感ほどよく当たるものはない』と再確認させられてしまうこととなった。

どうやら今回も漏れなくそれに当てはまったようで、竜雅は行き交う人に『あし屋』という定食屋の所在地を聞かなければそこに行きつくことができないと理解し、指定された1時間後ではなく、その店に自分が山路よりも先に行っていなければ失礼なことになるとも思い行動を急いだ。


「あの、すみません。『あし屋』という定食屋を探しているんですが、ご存じでしたら教えていただけますか?」


竜雅が声をかけたのは30代半ばで少々恰幅がよく眼鏡をかけた丸顔の男性なのだが、男は竜雅の顔を見たきり押し黙ったまま微動だにしないでいる。


(……聞こえなかったのかな?)


竜雅はもう一度男に聞き直してみた。……が、男は相変わらず微動だにしない。


(おかしいな。。。 ウンともスンとも言わないってどういうことだ? もしかして話ができないとか?)


「あ、なんかすみませんでした。」


竜雅が男に会釈をしてその場を離れようとしたその時、男の右手が背中を向けた竜雅の右肩をつかみ歩き去ろうとしていたその脚を止めた。

身の危険を咄嗟に感じるほどではなかったが、急なできごとに驚いた竜雅は振り返って男に問いただす。


「あの、何か?」


竜雅の問いに男は左の手のひらを竜雅の顔の真ん前に差し出しながら

「これ、ほら!」

と催促をしだした。


「これ???」

竜雅が見る限り男の手のひらの上には何もない。


(どういうことだ? いったいこの人は何がしたいんだ?)


竜雅が呆気にとられていると、男は業を煮やしたようで、

「分かんない奴だな! ったく…店を教えてやる代わりの情報料だよ」

と、ついに口にだして金を要求しだした。


「えっ!?……情報料?……ですか?」


「ああ。 当たり前だろう。 アメリカでいやぁチップみたいなもんだ」


なんとも理不尽な要求ではあるが、この男が『あし屋』という定食屋を知っているのならば無駄に時間を費やすよりはマシかもしれないと思い直し、財布から千円札を1枚取り出して男に渡してみたのだが……


「こんな少ない情報料じゃ教えられないな」


と、悪びれることなく更なる要求をされてしまった。


( マジか!? この界隈で道を尋ねるということはこういうことなのか? それともこの男だけが特別とか? )

「あの、店を教えてもらうのにいったいいくら必要なんですか?」


竜雅の問いに男は左手を大きく開いて答えた。


「5千円……ですか?」


頷いた男に要求された金額を渡すと、お世辞にも丁寧とは言えない口調で店のありかを教えてくれた。

その店はこの辺に1軒しかないカプセルホテルと小汚い連れ込みホテルの間にあり、暖簾のれんも看板もない普通の一軒家だという。

そこが『あし屋』だと見極められる目安として、『芦屋』という小さな表札が玄関前にかかっている家を探せばいいと竜雅に伝え終えると、男はソソクサとその場を後にしてしまった。


日が延び始めたとはいえさすがにこの時間となり冷え込み始めた頃、教えて貰ったとおりの場所へたどり着くまでに40分ほどかかった竜雅は、あらためてあの男が要求した金の価値を見直してしまった。


「これは!?……本当にこれが定食屋なのか? これではまともに探していても見つけられなかった……」


竜雅が驚くのも無理はない。

すぐ左側には爛々と輝く看板を掲げた7階建てのカプセルホテルが道を照らし、右側には一転したかのような古い連れ込みホテルがあり、何かカビ臭さいものが匂いそうで今にも灯りが消えそうな看板が妖しげな光を放っている。

この2つの建物の間に、この場所には似合わない一軒家がポツリとあったからだ。

古くからこの土地を守り、土地の買収を断り続けているようなそんな頑固ささえ垣間見える古い2階建ての一軒家、その玄関前の表札には確かに『芦屋』という名が掲げられていた。







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