第2話 燃ゆる血
都内でも有数の一等地と言われている場所に、
この三岐という名前はニュースや報道機関などでよく目にすることがあり、日本人であれば1度は聞いたことがあるというほど有名な家柄として広く知れ渡っている。
三岐の家系は鎌倉時代から続いていると言われており、また、先祖代々政治に携わってきた歴史があるということからしてみても、ただならぬ家柄といって差し支えないだろう。
そういうことからして、世間から【名門】と呼ばれてきている家柄であり、本家である竜雅の父もまた、その名に恥じることなく参議院議員として彼の職務を全うしている。
自然、竜雅もいずれは政治の道を辿ることになると自身で自覚していた。
『生まれた時から既に決められている人生』
そんな家に生まれてきたのだから、三岐家の次期当主としての宿命が彼の自覚を誘発していたのかもしれない。
また、三岐家が名門と呼ばれるには確たる大きな理由があった。
先祖代々政治家の家系……それだけを見るとこの国ではさほど珍しいことではないが、驚くべきは分家である血筋の縁者達も議員という職を代々務めているということであり、また、そういった体制が国内においての三岐家を確固たるものに押し上げている。
国会議員はもとより、知事・県議員・市議員・区議員と、日本全国に分散してはいるものの、その数は相当数に上るのだ。
それがどう言うことかといえば、民主主義において絶対的な力となるものが
それが是であろうが正義であろうがたとえ揺るがぬ真実であったとしても、圧倒的な数の力で封じることができるのが数の力であり、その力を持つ者こそが政治の世界でいう権力者を意味している。
三岐一族ではその強大な数の力が血族間で結ばれており、尚且つ意図的にして全国に分散しているのだ。
それは即ち、各地方の有力者や経団連と深い繋がりを持つ三岐家の政治家同士により、日本全国の経済を通じた太いパイプラインを作り上げることができるということに他ならない。
簡単に言えば、誰も逆らえないほどの巨大な金を動かす力を持つことができるということを意味している。
故に、単なる歴史の重みだけでなく十分な実力を兼ね備えていることから【名門】と呼ばれているのだ。
それに反して、貧困な野党の一部議員達から『政界の貴公子・
これは、力を持てぬ者の妬みひがみといったところにすぎないが、一応、少しだけ解説させていただきたい。
『貴公子』という言葉は聞こえは良い。
だが、実は様々な意味あいがあり、政界という特殊な場所においては陰口と捉えたほうがよいだろう。
何故なら、下々の生活を知らない一般社会とはかけ離れた者の呼称として使われているからだ。
上層社会をベースとして経済を考える与党に対して、貧困世帯を味方につけて政権を手中にしたい野党との見識から放たれている陰口となるものだが、三岐からすればまともな政策をうちだせない野党の陰口など空中に漂う埃のようなもので、全く意に介することはなかった。
その【名門】の跡継ぎとしてこれまで無難に育ってきた竜雅ではあるが、大学の卒業式を目前にして生まれて初めて自分の意志でやるべき事を見つけている。
そのやるべき事を実行するということが、初めて親に逆らうことになるかもしれないと承知しながら。。。
物心がつく前から次期三岐家の当主としてのしつけを受け、それが当たり前かのように感じながら人を動かす世界というものを見てきた竜雅ではあるが……
ついに、これまで教えられてきたものとはまるで異なっている社会の真実を目の当たりにしてしまったのだ。
(いったい…真の社会とは何だ?)
……それをこの目で確かめなくては友人の植村が言っていたように
【この国が泥船と化すかもしれない】と思え、同時に早い時期にこれを食い止めなければ取り返しのつかないことになりかねないとも考えはじめている。
なぜなら、社会という名の美しい上ずみの部分しか今まで知らなかったからである。
しかし、それに反するような、現実社会の闇といえるものの存在は竜雅の植付けられた固定観念を覆すに十分すぎるリアルだったのだ。
今も、新宿で出会ったあの少女の残影が竜雅の脳裏にこびりついたようにして離れない。
(環境が違うだけでこうも人の生き方は変わってしまうものなのか? 同じ人間だというのに、……この違いはどこからきているんだ…。 この国の政治とはいったい誰のために……)
矛盾と疑問が渦巻いている社会のリアルを知ることは、竜雅が三岐家という名門に生まれてきた本当の意味を示してくれるような気がしてならないでいる。
同時に沸々と湧き出てくる想いは止まることを知らない。
(この国を変えられるのは俺しかいない!)
口を揃えて『無謀・無駄・無知・無能』と常識ぶった大人達は言うだろう。
しかし、そんな事なかれ主義の大人達は一番大事なことを忘れている。
情熱を貫き通した者達だけが歴史を塗り替えてきたという揺るがぬ事実を。
竜雅の意はすでに決していた。
その為、このことを父母に報告しなければならないと考え、竜雅はやや緊張した面持ちで実家の門の前で脚を止めながら静かに息を整えているのだった。
(父と母には今日この家に来るということを伝えてはいない)
もし、事前に話しをすれば予め手を打たれてしまうことが予測できた。
だから、竜雅は奇襲をかけることにしたのだ。
政治家的思考を巡らせなければ、これまで自分が生きるレールを当たり前のように轢いてきた父母とまともにやり合えるとは思えなかったので、彼なりの奇策をうったということだ。
(…もしかしたら、しばらくはここに来られなくなるかもな。)
再び意を決し、竜雅はゆっくりとドアベルを鳴らす。
「……あっ!竜雅さん! いま開けますので少々お待ちください!」
応答したのはこの家に20年以上執事として仕えている和田という男だった。
普段は冷静な男だが、テレビカメラに映っていたのが思いもかけていなかった竜雅だったため少し慌ててしまったようだ。
門が開くと竜雅は迷うことなく母屋へと脚を運び始めた。
さすがに政界の貴公子と呼ばれるだけあって三岐家の家は御殿と見間違うほどに広い。
贅沢な平屋作りでありながら、どこか社殿を想わせるようなただならぬ威厳がこの邸宅からただよっているかのようだ。
もし見識者がこれを目にしたなら、『これが歴史の重みというものなのかもしれない』と、感慨深くなることだろう。
広い庭には四季を感じさせるような木々が、その身を整えながら交わりあい得もいえぬ【美の空間】を演出しているのが特徴的といえる凝った作りになっている。
竜雅は春の訪れを1枚の絵画のように醸し出している広い庭に目をやることなく、母がいると思われる母屋の中へと入ると一目散にリビングへと歩を進めた。
そこで待ち受けていたかのような身なりで落ち着き払っている母を目にすると、竜雅は少し頭を下げながら挨拶を交わし始める。
「母さん、ただいま帰りました。」
「急なお帰りでしたね。お元気そうでなによりです。」
竜雅の母である
雰囲気…ではあるが、彼女がどこかオットリしているように見えるのは、彼女が良家の出からきているという名家の気質からきているのかもしれない。
「今日、お父さんは国会ですか?」
「ええ。お帰りは遅くなると聞いています。」
「そうですか。今は大変な時期でもありますし、お父さんに会えるとは思っていませんでしたのでお母さんに話しておきます。」
「私にお話しですか?」
「ええ。実は、浪人することに決めました。」
「???……浪人?……ですか? もうすぐ卒業だというのに?」
「はい。就職浪人です。」
「……内定していた官僚職はどうするのですか?」
「取り消して貰うようにお願いするつもりです。」
「何故です? 竜雅は政治家としてこの家の後を継ぎたくないのかしら?」
オットリしているようで、実は竜雅の母はなかなかに芯のある女性といえる。
竜雅という手塩にかけて育ててきた息子が突然実家に現れ、まるで天地がひっくり返りそうな意表を突いた報告をしてきているというのに、眉1つ動かさず狼狽えるようなことをしないのだから恐れ入るくらいだ。
むしろ竜雅の目にはうっすらと母の口もとがほころんでいるかのようにさえ見えているくらいで、令美の口調と肝の太さは反比例しているかのようでもある。
「政治家にはなります。……ただ……この家を継げるかどうかは分からなくなりました。」
「どういうことかしら?」
「僕は、今日から3年という歳月をかけて真の社会を知ろうと決めています。 実は、僕がこれまでに勉強してきた教科書に疑問が生じました。 その原因として、先日友人に教えられ、現実の社会というものに触れることになったのです。……ですが、……そこはまるで異世界の住人達がいるかのような悲しみに溢れた場所でした。その時に僕の脳内に目が覚めるような電流が走ったのです。ここを知らずして政治家になったところで何の意味も成さないぞ…と、僕に呼びかけながら。ならば自ら飛び込んでその異世界の核となっているものを見つけてやろうと決心した次第です。ですから、僕が政治家になれた時にはお父さんとは真逆の政策を基本方針とした政党を立ち上げることになるかもしれません。」
「ライバルになるっていうことかしら?」
「ええ。おそらく。」
「……竜雅……良い目になりましたね。」
「えっ?」
「私は生まれた時からかごの中の鳥。画面から流れる報道では見るものの、外の世界というものを知りません。だから……竜雅、あなたが羨ましい。」
「……お母さん。」
「おやりなさい、竜雅。 例えあなたの父親が最大の敵となろうとも、あなたがやろうとしていることをやり遂げてみせなさい。」
「はい。 必ず。」
「ただし、あなたが政治家になるまで私はあなたの援護はしません。そこにたどり着くまでは自分だけの力で歩みなさい。……それに、あなたの父親は大反対するでしょう。もしかしたら勘当ということもあるかもしれません。 竜雅、あなたにはその覚悟はおありですか?」
「もちろんです。そのつもりでここに来ていますのでご安心してください。」
竜雅が3歳になる頃から彼に英才教育を徹底して施してきた母である令美。
彼女は1度たりとも社会とふれあうこと無く、大学生の時に親同士が決めた許嫁としてその後の人生を三岐家で過ごしてきていた。
初めて会った時の若き夫となる三岐家次期当主は野望に満ちており、迂闊に触れると火傷しそうなくらいの理想を追い求めている野心家のようにも見え、当時の令美の目にはそれが怖くもありとても刺激的でもあった。
同時に、心からこの男性を応援して行きたいという不思議な感情が芽生えたのも事実で、それ以降グチ1つ言わずにこの家の夫人として何事にも動じること無く冷静に家内を取り仕切ってきている。
また、唯一当主との間にこの世に生まれてきてくれた竜雅を、母である令美の手により次の後継者としてみじんの狂いも生じないくらい確実に育て上げようとしていた。
……だが……、竜雅が大学2年生の時に令美の気持ちに変化が起きた、いや、迷いが生じはじめたと言ったほうが正しいだろう。
(このままではこの子もかごの中の鳥ということでは?……それで……良いの?……もしかしたら、せめてもう少し外の世界を見せてあげることが私の務めでは……)
そう感じた令美は夫の了承を得ると竜雅に一人暮らしをするよう促し、男として一回り大きくなってくることを期待したのだ。
不思議と言えば不思議なもので、それは、夫に対するものとは全く異なる感情であった。 言いかえれば、シックスセンスに似ていのだ。
これは、特殊な人生を送ってきている令美という母親でしか持つことができない奇異な感情からでたものかもしれない。
その期待は、令美が予想していたものを大きく上回って帰ってきた。
その成長が正しいものかどうかは分からない。
……だが、力強い輝きをした目にみじんの迷いすら感じることのない息子をいまさら止めようとは思わない。
夫であるこの家の当主・三岐
(……これまでにない何かが動き出そうとしている。……この子は…三岐家を消滅させるか…それとも、新しい時代を作り上げるのか…。どうやら、有か無の2択になりそう。……そんな気がします。)
などと、心の中で呟きながら。
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