尽くしたがりなうちの嫁についてデレてもいいか?

斧名田マニマニ

第1話 学校一の美少女に逆プロポーズされた

 それはとても寒い二月のこと。

 マンションに二人きり、降り積もっていく雪を眺めていると彼女が言った。


新山湊人にいやまみなとくん……! わ、私を……っ、あなたのお嫁さんにしてくれませんか……?」


 意味が理解できなくて、聞き間違えかと思った。

 でも俺を見つめてくる彼女の瞳はとても真剣で、胸の前で握りしめられた小さな手はかすかに震えていたんだ。


「何言って――」

「待って……! ま、まだ断っちゃだめ……っ」


 すがるような目で見つめられ、思わず口をつぐむ。

 断ろうとしたわけじゃない。

 だってそもそも状況をまったく理解できていないのだ。

 そんな中で、いいも悪いもない。

 でも切羽詰まった表情の彼女は、俺に拒絶されると思い込んだらしく、必死な表情で訴えかけてきた。


「お料理は和洋中、どんなリクエストにも応えられるようにしてきました……! お掃除も好きだから、家事全般なんでも任せてください……! 何かの時に役に立つかもしれないので、DIYの知識も一通りあります。そっ、それから、あ! 虫が出た時もがんばってどうにかします! 蜘蛛はちょっと苦手だけど…でも湊人くんを守るためなら、戦えます……っ。メンタルケアと、リンパマッサージと、護身術と、栄養学と、漢方養生と、キャンドルマイスターは通信講座で習得済みです! 他にも必要なものがあったら、しっかり学ぶので!!」


 一息でまくしたてた彼女は苦しげに息を吸うと、消え入りそうな声で付け加えた。


「……だから……、お願いです……。湊人くん……どうか私と結婚してください……!」

「……っ」


 もはやどこから突っ込んでいいのかわからない。


 何かの冗談?

 もしくは賭けの罰ゲーム?


 筋金入りのコミュ障な俺は、そんなふうに笑って聞き返すことさえできず、口をあんぐりと開けた間抜けな顔でただただ彼女を見つめ返した。


「…………………………とりあえず」

「は、はいっ!」

「…………キャンドルマイスターってなに?」


 窓の外で雪の降る音が聞こえてきそうなほど静まりかえった部屋の中。

 少しずつ大きくなっていく心臓の鼓動に飲み込まれそうだったのを覚えている――。



 ◇◇◇



 地味な容姿と、平均的な学歴、クラスメイトにすら「新山? そんなやついたっけ?」と言われてしまう薄い存在感。

 人とコミュニケーションをとるのが苦手で、そのせいか彼女はおろか女友達すらできたことがない。

 つるむのは自分と同じように、教室の隅で肩身が狭そうにしている男子とだけ。

 休み時間に映画秘宝のバックナンバーを眺めて、ゾンビ特集で盛り上がったりなんかして、それを女子たちに「ゾンビではしゃぐとか男子意味不明なんですけど」などと大声で言われて、ますます居心地が悪くなる――そんな日々を過ごしてきた。


 そんな俺、新山湊人がまさか高校生で学生結婚するなんて、神様にだって予想できなかったんじゃないだろうか。


 しかも俺のお嫁さんになった相手は、なんと――。


「あっ、“花江はなえりこ”姫じゃん!」


 四限開始前の教室で、俺と雑談をしていたさわが窓の外を見ながら声を上げる。

 ちょうど花江りこのことを考えていた俺は、気まずさをごまかすように澤の視線を追いかけた。

 開け放たれた窓から吹き込む四月の風は若葉の匂いがする。


 グラウンドでは、これから体育の授業を受ける女子生徒たちが雑談をしている。

 体育は男女別だから、いつも二組合同で行われていて、だいたい五十人ぐらいで授業を受けることになるのだけれど、その人数の女子の中からでも瞬時に見つけだせるほど、花江りこは特別な存在だった。


 花江りこ。

 さらさらとした淡い茶色の肩にかかるかかからないかぐらいの髪、大きくてうるんだ瞳、愛らしい鼻と、ぷっくりした小さな唇を持つ美少女。

 そして何より、清涼飲料水のCMがめちゃくちゃ似合いそうな透明感が彼女にはある。


 入学当時から学校一の美少女だと騒がれてきたけれど、そんな容姿に反して、性格は控えめでどちらかというとおとなしいタイプだ。


 いつも女子たちに囲まれていて、口元に手を当てて小さな声でコロコロと笑っている。

 頭もよくて運動神経も抜群なのに、それを鼻にかけたりはしない。

 だから誰からも好かれた。

 男女問わず生徒たちは彼女に憧れと羨望のまなざしを向け続け、澤のように『姫』付けで呼ぶ輩も少なくはなかった。


「やっぱ目を引くよなあ。りこ姫は」


 澤も俺と同じことを思ったのか、しみじみとした口調でそう呟いた。


「なんつーの。華があるっての? ああいう子が芸能人になるんだろうな。湊人もそう思わねえ?」

「あーうん」

「なんだよそのやる気のない返事!」


 たしかに花江りこは可愛いと思う。

 でも、普段、女子から冷ややかな視線を浴びせられている陰キャとしては、彼女たちに対して強烈な苦手意識を持っている。


『無害そうだから仲良くしてあげたのに、勘違いするとか気持ち悪い』


 以前、ある女子から言われたトラウマセリフが蘇ってきて、ブルッと震え上がる。


 あの一件以来、俺は女子が苦手というか、正直怖いとさえ感じるようになった。

 それは花江りこだって例外じゃない。

 とにかく、できるだけ女子の視界に入りたくないし、関わりたくもない。

 ついうっかり目に留まりでもすれば、汚いものを見てしまった的な顔をされかねないし、運が悪ければ死にたくなるような陰口を大声で言われる可能性だってある。

 まさに触らぬ神に祟りなし。


 こんな精神でいたら、そりゃあ彼女なんてできっこない。

 だけど俺は別にそれで構わなかった。

 強がっているとかじゃなくて、女子に近づこうとして傷つけられるより、一人のほうが全然ましだと思うのだ。

 彼女なんて恐ろしいもの、まったくもって欲しくない。

 陽キャたちが味わっているような幸福を知らずに死んでいくのだとしても、心が平穏ならそれでいいじゃないか。


 そんなことをつらつら考えていると、なぜか澤が真顔で肩を組んできた。


「……なあ、新山」


 かわいそうなやつを見るような視線を向けてくるのはどういう意味だ。


「新山、花江りこの話になるといつにも増して口数減るよな。まさか女子に興味ないのか? もてなすぎて枯れちゃった?」

「枯れてるって……」


 興味があるかないかじゃない。

 ただ単にこの話題はまずい。

 そう思って話を逸らそうとしたのが、どうやら裏目に出てしまったようだ。

 困り果てて、逃げるようにもう一度グラウンドを見る。


 そのとき、なぜか一人だけ校舎のほうを見上げていた花江りこと目が合った――気がした。


「……うぉあっ!? ちょ、新山! 俺、今りこ姫と目が合っちゃったよ!?」

「あ! ……ああ、そっか、よ、よかったな」


 俺とじゃなくて、花江りこは澤と目が合ったのか。

 早とちりをしたことが死ぬほど恥ずかしい。


「いや、でもマジで驚いたわ……。だってりこ姫って普段男子のほう全然見ないじゃん? こんな奇跡的なことってあるんだなあ……」


 澤の言うとおりただでさえ大人しい花江りこは、モテまくっているというのに一向に男と話そうとしない。

 高校入学してすぐの頃など、昼休みのたびに彼女に告白する男子生徒たちが現れたが、まともに会話出来た人間は皆無。

 モテることで有名な三年の先輩、サッカー部のエース、バスケ部のキャプテン、野球部のルーキー、誰が挑んでも、怯えた表情で首を横に振られるばかりだった。


 そうやってイケメンたちを拒絶するほど、彼女の人気は増していった。

 もちろん男からしたら近寄りがたい高嶺の花という感じだけれど、多分誰か一人のものになるよりはましだと思ったのだろう。

 次第にみんな姫の静かな学園生活を守ろうと考えるようになったようで、今では安易に告白する輩も出現しなくなった。


『誰一人として学校一の美少女のハートを射止めることはできないだろう。それどころか会話を交わすことが許される異性が現れるとも思えない』


 そんな噂がまことしやかに囁かれ続けていたから、澤は目が合うだけで大騒ぎをしはじめたのだ。


「どうしよ、新山。もしかして窓から外を眺めていた俺に、りこ姫が一目ぼれしちゃったとかだったら……!?」

「……俺、おまえのそういうポジティブなところ尊敬するよ」

「イケメンたちをことごとく袖にしてるってことは、ノットイケメン好きな可能性だってあるじゃん!?」


 ハイテンションで叫ぶ澤の声があまりに大きかったせいで、近くの席の女子たちが一斉に俺たちのほうを振り返った。


「さっきから何言ってんの、澤。あんたみたいな微妙なのを花江さんが好きになるわけないじゃん。これだからもてない男子は」

「ひどっ……。女子辛辣すぎっ……」


 澤がガクリと肩を落とす。

 澤よりもっと微妙な男子だと自覚のある俺も、もれなく流れ弾に被弾して項垂れたのだった。


 ◇◇◇


 ――そんなことがあっても、家に帰れば俺には夢のような幸福が待っている。


 夕方六時半。

 大船駅から歩いて五分のところにあるマンションのエレベーターを昇って、七階に降り立つときの緊張感は、この生活がはじまって一か月が経った今でもまだ慣れなかった。

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