第8話 金に堕ちる

 

「こんにちは、初めまして。君と、友達になりにきたんだ」


 突然現れたその人は、にっこり笑ってそう言った。

 柔らかな午後の日差しのような、お日様みたいな人。金色の光に包まれているみたいに優しくて、ぽかぽかと温かい。

 ずっと真冬のようなこの部屋で、その人だけが優しく輝いてた。


 

 私はお城を持っている。

 大きな街からうんと離れたところに、広い広いお庭とお城がある。お城にはたくさんの「人じゃないもの」があって私を護るけど、人は誰もいない。ずーっといない。このお城にいるのは、いつも私ひとり。

 私は人の子がとても好き。

 でも人の中で暮らすのはとても苦手で、どうしても疲れてしまう。疲れるとトゲトゲして、好きなのに、人の子達に辛く当たってしまう。だから、なるべく傷付けないよう、いつもこうやって街から離れたお城で暮らし、人の子が見たい時だけ、夜にこっそり街に降りる。

 坂道をくだって、瓦斯灯の並んだ大きな道を横切れば、そこは人の子が暮らす大きな街。

 よく手入れのされた煉瓦敷きの道に、路面電車、ほんのりと明かりを灯した瓦斯の火が私はとっても好きだった。

 建物はどれも入口が飾られて、たくさん窓がついている。

 私はそこから、そっと窓を覗いて、大好きな人の子達の暮らしを眺めるんだ。

 ある窓では、年若い青年達が集まって楽しそうに遊びに興じている。ある窓では小さな子とともに、家族で食卓を囲んでいる。また別の窓では男の人が真剣な顔で女の人に何やらお願いをしているみたいだ。花で飾られた窓、お菓子が並べられた窓、音楽が聞こえる窓、歌声が聞こえる窓、たまにはケンカをしている窓もある。

 そうやって、たくさんの人の子の暮らしを眺めて、今日もみんなが幸せだっただろうかと問う。

 夜中そうして歩いて街を回って、夜明け前、人の子達が起き出す前に私はまた瓦斯灯の並んだ大きな道を横切って、坂道を登って、自分のお城へ帰るんだ。

 私はこの暮らし方を、随分と気に入っていた。

 直接会って、深く関わらなければ、お互いを傷付けることもないから。ほんの僅かにすれ違うだけの交流で、私は充分に幸せだった。今日もみんなが楽しそうで本当に良かったなって、そう思える。

 だから、お城には誰にも呼ばなかった。

 極たまに、きっと道に迷ってだろう。お城の庭に迷い込んでくる人の子がいない訳じゃない。けれどきっと間違って入ってしまっただけで、彼らはここがどこかも理解していないんだろうと思って、私はお城で暮らす「人じゃないもの」に頼んで、彼らをそっと街へ戻してもらう。

 なるべく、傷付けないように。

 そうやってずっと、独りきり。でも寂しいとは思わなかった。ここには「人」は居ないけど、人じゃないもの達はたくさんいる。それらはいつも私に優しい。だからずっと、そうやって過ごして行くんだと思っていた。人じゃないもの達と一緒に、人の暮らしからは遠ざかって。

 私のお城はとても大きいけれど、本当に必要なのは私が居るお部屋だけだ。

 天井には星空が映ってる。

 小さな窓があるけれど、外の様子はわからない。窓は凍てついたように薄く濁って、白い氷の結晶がこびりついているから。

 壁は本で埋め尽くされている。

 たくさんの本が、ここにある。

 整理はあまりされていなくて、大きさも背表紙の色もまちまちだ。一部は本棚からはみ出しているし、別の一部は、太く頑丈な鉄の鎖でぐるぐる巻きにされて錠前で閉じられている。鍵はとっくの昔にどこかで失くして、私にも、その本が「いつの、何の記憶」なのかがわからない。

 触りたくもない、そう思って遠ざけたり捨てたりするのに、あれはいつの間にか元の場所に戻ってくるものだから、その上や周辺に他の本をバサバサと落として紛れさせてしまっている。

 他に部屋にあるのは暖炉ぐらい。

 ソファもなければ、テーブルもないし、絨毯も見当たらない。天井はいつも星空が瞬いて綺麗だから、眠くなれば毛布に丸まって暖炉の前で眠る。

 そういう、部屋だ。

 だから、暇を持て余したらクレヨンで絵を描いていた。別に描きたいものがあった訳じゃない。暇だったから。誰か、街の人が時折「描いて」とお手紙をくれることがあったから、そういう時に描いていた。それ以外の絵は、描いては消して、描いては消して、そうやって繰り返して結局完成しないまま、紙がよれてボロボロになって、そのうち捨ててしまっていた。

 完成したって、頼まれた絵じゃないから、誰に見せるものでもなかったから。

 そうやって過ごしていた。


 なのに。


 小さな木製のドアが少し軋んで開いた気がした。

 パチパチとはぜる暖炉の火が、外からの風にゆらりと揺れる。

 ドアの隙間から顔をのぞかせたその人は、どうやって入ってきたのか、難なく部屋に入って来た。

 絵を描いていた手をとめて、私はバカみたいにくちをポカンと開けてそれを眺めていた。

 凍てついた、黒と青しかないこの部屋で、その人はまるでお日様みたいな優しい金の光に包まれている。

 大きな体で膝をついて、その人は私に視線を合わせて微笑んだ。


「やあ、おチビさん。こんにちは、初めまして。君と、友達になりに来たんだ」


 柔らかで優しい声で、その人は言った。

 そうして大きな手を差し出した。

 警報装置はどうして何も鳴らないの。私を護る「人じゃないもの」達は一体どこで何をして、いいえ、それよりもこの人はここまでどうやって入って来たの。なぜこんなところまで、何でもないような顔をして入って来れたの。

 次から次へと疑問が湧いて、しばらく、ポカンとしていた。

 その、お日様みたいな人はあまりに私が茫然としているものだから、少し困ったように笑った。その顔がとても優しくて、眩しくて。

「どうして、ここにいるの」

 そう問いかけるのが精一杯だった。

「言ったでしょう、君と友達になりに来たんだ」

 さあ、と促すように大きな手が握手を求めるように向けられる。

 手を取っては駄目だ、と最初からわかっていた。人の子と一緒には、暮らせないから。人の中で暮らすのは、とてもとても疲れるから。

 首を横に振りたかったのに。

 誰か、私を護る人じゃないものを呼んで、いつものように街へ戻してもらうつもりだったのに。

 握っていたクレヨンを床に落として、大きくて温かな手を握る。

 その人は、私が手を握って、そして自ら近寄るまで、決して動こうとしなかった。怖がらせてはいけない、驚かせてもいけない、そうやってとても優しく、とても真摯にただじっと待っていた。

 手を握って、近寄った。

 膝をつく、その人の前に。

 金色の光がとても強くなって、細い金の髪が暖炉の明かりを受けてキラキラと煌いている。お日様みたいなのに、お星さまみたいに瞬く、そんな不思議な人。

 目線の高さを合わせたまま、その人はにっこり微笑んだ。

「大丈夫だよ、こわくないよ」

 不思議と、全然こわくなかった。

 大きな広い肩が、自分とは違う、男の人なのだとはっきりわかるのに、ちっとも怖くない。


 その人は、それから何度もやって来た。私の機嫌が悪くて帰って欲しくて、踏み込んで欲しくなくて、人じゃないもの、警報装置、色んな柵をたくさん立てて追い払おうとするのに、いつだって、何でもない顔をしてこの部屋に入ってくる。

 逃げたくて、お庭の裏の、遠い遠い湖の畔に逃げ出して、そこでずっと独りで夜を明かそうとしていた時も、どういう原理か、何の力か、その人はいつの間にか傍にやってきた。

 そうして、言うんだ。

「こんなところに隠れていたの? 大丈夫、こわくないよ」

 手を取って、頭をなでて、ただ真摯に傍に寄り添ってくれた。

 ある日は甘い飲み物を持って。ある日は甘い食べ物を持って。そのうち、何もなかったはずの暖炉の部屋には紅茶のティーセットと小さなテーブルがあった。どこで淹れてくるのか、その人は珈琲や紅茶を用意して飲んでいる。

 冷たいだけの床に、絨毯が敷かれていた。毛足の長いラグが増え、窓辺にはソファができた。2人で並んで腰かけて、たくさん話をした。

 自然と寄り添い、その人のキラキラと煌く髪に手を伸ばした。

 この輝く柔らかで不思議な光に触れたくて。

 触れるべきではないのだと、そうわかっていたのに、自分が制御できなかった。

 ほんの少し驚いていたけれど、その人はお日様みたいにぽかぽかした笑顔を浮かべて、とても喜んでくれた。嬉しいと言ってくれた。

 手を繋いで、笑いあった。

 温かな大きな手が、確かに、この人を捕まえたのだと思った。

 けれど本当は―――私が、この金の光に魅せられて、この人の手の中に堕ちたんだ。

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