恋愛系(失恋含む)

第6話 ぼくのなかのきみ。


『また何も食べずに居たの?』


 呆れたような君の声が響く。わかってる、現実じゃない。これは僕の記憶の中にある、僕だけの君の声。もう何度聞いたか分からないくらい聞いた。



 僕は生きる力が足りない。

 もうずっと昔からそう。たくさんの人に言われてきた。すぐ諦めるな、すぐ我慢するな、すぐ他人に従うな、そうやって怒られてきた。

 だって自分の力で生きるって、とっても難しい。

 誰かが「君に生きてて欲しい」って言ってくれたほうが、ずっと気が楽。誰かに必要とされるからそこに居る、誰かが助けを求めてるからそこに居る、そうやって『求められている役割』を果たしていることで自分がそこに居ても良い理由みたいなものを、自分で勝手に作って安心する。

 だから、僕のことを好きだって言ってくれる人の傍に、僕は居たがる。居たがってた。そしていつも、痛がってた。

 こうして欲しい、こうしてくれない、もっと、もっと―――そういう、相手からの要求に……僕は上手く応えられない。

 だって【好き】の気持ちがよくわからない。

 みんなが好き、みんな好き、関わりの薄い人のことだって好きだ、よく遊ぶ友達だって好きだ、動物も好き、どの好きも濃度だけが少しずつ違っているけど、僕にとっては変わらない【好き】だ。

 よく、わからないと思ってた。

 人を好きになるという感情が、わからないって。


 そして、君に出会った。


 君は僕と全然違った。思慮深くて、とても優しくて、けれどどこかクールで、生きることにとても丁寧だ。夢があって、それを追いかけてて、夢の為にすべての時間を使っていないと、まるで息ができないとでも言うように我武者羅に走っていた。

 なんてキラキラしてるんだろう、と思った。

 僕みたいな、なんでもない存在とは違う。生きること、輝くこと、それに必死になること、それを夢中で追いかけること、それができる眩しい人。

 僕は見かけだけ大人で、でも中身はずっと小さい子供のまま。自分で歩くこともできずに、人の言いなりで、いつ無くなっても良いちっぽけな存在で。いつ無くなっても良いから、僕はすぐに諦めたがる。だって空しいから。努力して、成功して、それで一体、僕に何が残るんだろうって思うから。やりたいことなんて、とっくの昔に投げ捨てて、僕に残された時間はあとどのくらいあるのかな……なんて、そんなことをぼんやり考えて過ごしてた。

 生きる力が足りない僕は、すぐに食べなくなる。

 理由なんてないんだ。

 食べたくないだけ。食べる気がしないだけ。

 何か気にかかることがあって、考え事をしていると食べたいと思う【欲】が出てこない。

 みんなが怒る。ちゃんと食べろって。

 でも食べられないんだ。

 食べたくないんだ。


 でも君は、呆れてはいたけど、怒りはしなかった。


 それどころか、僕の隣で自分のご飯を食べだした。勝手に食材を持ち込んで、勝手に台所を使って、そうやって作ったご飯は1人分。

「いただきます!」

 元気よく言って、君は美味しそうに食べる。

 色とりどりのサラダ、温かいスープ、焼き色のついたホットサンド、たっぷりのミルクをいれたカフェオレ。色んな匂いが飛んできて、君がかじるホットサンドのカリっという音が響く。

 それを、僕は見てた。

 とても眩しくて、キラキラして。

 だから、あんなに怠くて起きられなくて、布団で横になっていたはずなのに、ふらふらと―――まるで夜の街灯に吸い寄せられる蛾みたいに、起き出して、手を伸ばした。

「食べる気になった?」

 君は、そう言って笑ったんだ。



 ちゃんと食べようとすること。

 ちゃんと眠ろうとすること。

 ちゃんと自分を労わってあげること。

 お風呂に入ることもそう、スキンケアをすることもそう、ちゃんと髪を乾かしたり、好きな洋服を買ったりもそう、好きな食器をそろえることも、好きな音楽を聴くことも。

 1日の自分の行動を、できるだけ記録すること。

 できたことを、どんな小さなことでも書くこと。

 1つでもできたら、自分をたくさん褒めて100点だと思うこと。



 完璧主義者で自分に妙に厳しくて、だから、完璧にできないなら最初からしないほうが良い―――そう思いやすい僕に、君はそうやって丁寧に、丁寧に、我慢強く寄り添って教えてくれた。

 生きようとする、その力の作り方。


 君が、大好きだと思った。

 他の人とは何もかもが違う。

 君だけが持つ眩しさに、僕は初めて、生まれて初めて【好き】という感情を理解した。

 君だけが好きだった。

 君だけが。

 なのに、僕は―――君をとても傷付けて、君を悩ませて、寄り添おうとしてくれる君をとても……粗雑にした。そうしたかった訳じゃない。大事にする方法が僕にはわからなくて、どうしたらいいのか、本当にわからなくて。

 君の言う通りにしたかった。

 何だって叶えてあげたかった。

 君の望むことなら、たとえ、それが、今すぐ目の前で死んでほしいと思うことでも、君が本当にそう願うなら僕の命なんて投げてしまえると思ってた。

 だけど僕のこの歪んだ【好き】が君を傷付け、君を病ませて、君に無理をさせた。


 君が、僕から去った。


 君を失って、僕はもう生きられないって思った。

 ぼんやりと寝転んだまま、もう二度と起き上がれないって思った。食べることも、寝ることも、水を飲むことも忘れた。全部。

 痛くて。

 辛くて。

 悔しくて。

 悲しくて。

 愛しくて。

 苦しくて、苦しくて、苦しくて、苦しくて。

 こんなに辛いなら、もう、いっそ君の手で殺してくれないかなと思った。

 そんなことできないとわかってるのに。


 逃げたかった。

 この世界から。

 君がいなくなってしまった僕の世界から、僕を消してしまいたかった。

 だけど。僕は卑怯で、そんな勇気も度胸もなくて、ただ泣いたんだ。泣くことしかできなくて、泣いても泣いても涙が止まらなくて、体の中に在る水が全部外に出て干からびてしまえばいいと思いながら泣いてた。

 

 僕のぼんやりとした頭で、君を疑ってみたりした。

 最初から全部ウソだったんじゃないかって。騙されていたんじゃないかって。幻だったんじゃないかって。


 君を憎もうとしてみたりした。

 君が僕を嫌いになったんじゃないかって。もうどうでもよくなって、それで僕を捨てたんじゃないかって。


 僕の【好き】をなかったことにしようとしてみたりもした。

 どれも、上手くできなかった。

 丸々3日、食べることを忘れた。もうこのまま倒れても良いと思った。このまま僕が消えてしまったら、この辛さも、この痛みも、この苦しさも、全部全部何も感じなくてよくなるから。


 だけど―――


『また何も食べずに居たの?』

 懐かしい、君の声が聞こえる。

 わかってる。これは僕の頭の中にだけある、君の声。もう君は居ない。僕の傍には。

 なのに、君をとても近くに感じるんだ。


 何か、食べなくちゃ―――そう思った。


 君が作ってたみたいには、僕は上手に作れない。買い置きの食材もないし、あるのは君が買ってくれたクッキーぐらい。だからそれをかじった。1枚食べたら、もうお腹がいっぱいで。

 だけど、食べたから。

 手帳に、クッキーたべれた。と書いた。

 1つでもできたら100点だから、今日は100点の日になった。


 そうやって、少しずつ、食べた。

 食べて、ぼんやりして、記録して、ぼんやりして、水を飲んで、泣いて、記録して、ぼんやりして。

 色んなことを考えた。

 君が僕に言ってくれた、たくさんの言葉を思い出した。

 本当はどう思っていたんだろう?

 本当は何を悩んでいたんだろう?

 僕のせいで、君がとても辛そうなのが、僕にはとても耐えられなくて。だから小さな我慢を繰り返して、君に小さな嘘をついた。それをとても後悔して、でも取り消すことができないままで、だから君は去ったんだ。

 僕が、君を追いやった。

 それを、僕はとても後悔してる。時間が巻き戻るなら、やり直したい。あの日から全部。でもそんなことできない。だから仕方ないんだ。

 そうやって、忘れようと思った。


 でも、それも上手にできない。


 だってさ。

 僕はまたご飯が少し食べられるようになって、お腹がすいたって感じるようになって、お出かけしたいなって思えるようになったんだ。

 あんなにも、もう立てないって思ってたのに。

 立ち上がるために色んな人の手を借りたけど、それでも僕はまた立てた。

 そして何故だか、やりたかったことをやろうとしてる。

 ずっと前に投げ捨てた、僕の夢。

 それを頑張ってみようとしてる。

 生きる力が足りない僕に、生きる力が宿ってる。

 僕が、僕の好きなものを肯定して、僕のままで居たいと望んで、僕の夢をやり直そうと思えて、そのためにご飯をちゃんと食べようとしてる。

 僕らしく居ようとしてるし、今の僕は、とても僕らしく思える。


 でも、この【僕】で在ろうとする僕を支え、守っているのは、僕の中に在る君だから。


 生きようとする力の作り方を、君が全部教えてくれた。君がとても愛してくれて、僕をとても甘やかしてくれて。

 その君は去ったけど、僕の中に、こんなにも君が生きてる。

 この先ずっと僕が生きてる限り、ご飯を食べようとするたびに、ちゃんと眠ろうとするたびに、君を想いだす。

 不安に駆られた夜は「大丈夫だよ、こわくないよ」と自分に言い聞かせる。

 それができると信じられる。

 全部、君がくれた。


 優しい君が幸せであって欲しい。

 君の幸せは、僕の幸せ。


 僕がそうであるように、君もきっと僕が幸せであることを願ってくれる。だから僕もめいっぱい頑張って幸せを掴む努力をするんだ。僕に力がなくて君を何度も呆れさせた。だから、君に失望されないように、僕は僕の夢を叶えようと思った。

 だからね。

 一番遠くに離れてしまったけど、今でもすぐ傍に居るように思うんだ。

 僕の心の中に入り込んだ君が、残してくれた全て―――それらが僕を支えて守って癒してくれる。

 許されるのなら、残してくれた君のすべてをずっと愛していたい。

 それぐらい君は僕にとって特別な人。

 正しく、君は僕の天使だった。ちっぽけな僕に、何故だか神様から遣わされた、とびきり美人で優しく聡明な。


 懐かしい、君の気配がするんだ。

 最初の頃みたいな、とても穏やかで優しく包むような気配が。

 大丈夫だよ、怖くないよ、護ってあげるからね―――そう語りかける声がする。寄せては返す波のように優しい君の気配。僕に寄り添う、君の気配。わかってる、僕の頭の中にだけあるものだって。これは幻。

 だけど、良いんだ。

 君を近くに感じられる、それが懐かしくて、今とても幸せだから。


『また何も食べずに居たの?』


 呆れたように、幻の君が言う。

「ちゃんと、食べてるよ。大丈夫だよ、心配しないで」

 君には届かないけど。

 そう返事をする僕は、なぜか、少しだけ微笑んでる。


(了)

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