魔石の章
第8話 エルフさん餃子ですよ
日本語というのは英語圏の人から見ると、かなり難しい部類らしい。
慣れ親しんでいる日本人でさえ「これ難しいし簡単にして言語統一しようぜ」と度々手を打っているくらいだから、昔はもっと難しかったのかもしれない。
そういうわけで、我が家には少し珍しい光景が広がっている。
ええと、我が家というのは東京都江東区にある1DKのマンションなのだが、そのベッドの上にはファンタジー世界のエルフがいたりする。
髪は綺麗な白をしており、光沢が綺麗すぎて白髪とは呼びづらい。知的さを思わせる瞳はアメシストのように綺麗な薄紫色。もしも目覚めの瞬間を見る機会があれば、鮮やかな花が咲いたように綺麗であり、きっと誰でも見とれてしまうだろう。
「あーいーうーえーおー」
とはいえ今の彼女は色気を損なっているかもしれない。髪は少々ほつれており、室内用の薄着には皺がたくさんついている。
モニターを見つつ、ノートにガシガシと文字を書いているのは彼女流の「日本語勉強法」であり、音読と文字を同時に覚えようとしているらしい。
「ただいま、お買い物に行ってきたけど挽き肉が安かったから餃子にするね。マリーはお酒は飲む?」
「ギョーザ? ええと、どうしようかしら。うーん、あまりアルコールに強くは無いの。変な事を口走っても構わないなら、飲みやすいものをいただこうと思うわ」
ふむ、飲みやすいものか。うーん、あの世界でエルフでも慣れていそうなもの……あ、ワインでいいか。白ワインならきっと餃子にも合うだろうし、ついでにチーズを出してもいい。
彼女はどう見ても未成年で、かつ美がつく少女だ。しかしエルフらしく齢は百歳を越えているので「飲酒は二十歳を過ぎてから」という法律はクリアしている。……のかな? たぶんね、たぶん。エルフの場合は~などという法律は日本には無いのだし気にしないでおこう。
「カズヒホ、ワタシ、マリアーベル、デス」
たどたどしい日本語に、僕はぎょっとした。
思わず手にとった挽き肉パックを落としそうになるほどだ。慌てて掴んでからベッドを覗きこむと、マリーは嬉しそうに微笑んでいた。
彼女の笑顔は出会った時よりもずっと綺麗なものになり、不意打ちを食らうと「どきゅっ」と心臓に剣が突き立つような思いをさせられる。まあ本人はその破壊力に気づいていないだろうけれど。
「ええ、まだ2日目じゃない! もう文法を覚え始めているの?」
「ううん、何度も使いそうなところだけを覚えているの。私の勉強法は、とりあえず一文を覚えて、それから横に発展させてゆくのよ」
ああ、それは何となく分かる。僕も異種族の言語を覚えるときは、まずとっかかりを見つける。そこから周囲へ穴をあけてゆくように、しらみつぶしにしてゆくのだ。
お試し用にグラスへと白ワインを注ぎ、そのまま寝室へと向かう。キッチンとの区切りにはキャビネットを置いているだけなので、マリーはすぐこちらへ気づいて顔を向けてくる。
「あら素敵な服。匂いを嗅がせてくれるかしら?」
「ああ、えーと、ワインの匂いを嗅いでもらおうと思ったのに……。マリーはあれだね、匂いフェチなところがあるよね」
「失礼ね、私は知らないものの匂いを嗅ぎたくなるだけ。観念して早く来てちょうだい」
それが匂いフェチということなのでは?などと思っても口には出さない。
近づいた僕は腹の辺りの布地を掴まれ、そしてすんすんと嗅がれてしまう。うーん、綺麗な子から嗅がれているというのは変な気持ちにさせられる。
ぽすんと鼻を埋め、すうすうと通る風、そして彼女からの吐息を受ける。くすぐったい……が、エルフがうっとりと目を細めている様子は悪い気はしない。
「ありがとう。ええと……うん、お酒も大丈夫そう。香辛料も入っていないわね」
「あー、僕もあれは無理だ。臭みを無理やり消しているやつね。お金を出すくらいなら水のほうが好きかもしれない」
同感だわ、と呟いてマリーはベッドから身を起こした。
ちらりと見てみるとノートには「あいうえお」から始まる五十音がたくさん書かれていた。まずは基本から覚えよう、ということらしい。
「一説によると大きく異なる言語を覚えるときは2000時間以上かかるらしいね。一日10時間ほど会話をしていたとしても、最低でも200日はかかるんだって」
「ふうん、つまり私なら頑張れば100日もかからないくらいね。じゃあ3ヶ月で会話できるのを目標にしようかしら」
大した自信だなと思いはしたが、その理由にピンときた。
日本語を学べる僕という存在がおり、そして夢の世界へと一緒に旅立てば、睡眠という時間さえ無くなる。おまけに彼女の聡明さが加われば決して無理なことではない。
しかし同時に僕の中で小首を傾げることがある。
「それよりも不思議なんだけど、どうしてマリーは日本語を覚えたいの?」
「素敵な国だと思ったからよ。平和だし、ご飯が美味しいし、それにすごく住み心地がいいもの。だったら当然、現地語を覚えたいでしょう?」
うん、日本を気に入ってくれたなら嬉しいな。
もし習得できたら一緒に映画を見たり、ゲームをしたりも出来るわけか。うん、楽しみになってきたのでたくさん協力してあげよう。
「じゃあ、お風呂に入ってきたら? あがったころに夕飯を用意しておくから」
「ふふ、ありがとう。ギョザーっていう料理が楽しみだわ」
餃子だよ、と言い直したかったが、腕にぎゅっと抱きつかれてしまい何も言えなくなってしまった。くうっ、やっぱりマリーは可愛いなぁ。
とはいえ約40分後、美少女は「うっま!」とフローリングをパタパタ足踏みしてしまうことになるのだが。
冒険用のお弁当を用意しているあいだ、マリーはだらんと椅子へもたれかかり、半分ほどお尻をずり落としかけていた。いつも知的な彼女ではあるが美味しい料理、そして白ワインの組み合わせで少しばかり頭をお花畑にしているらしい。
「うふ、美味しかった、カズヒホ……。心からありがとうを伝えたいわ……」
「舌に合って良かったよ。安上がりな料理だし、また食べたくなったらいつでも言ってね」
「えぇーーっ、あれが安上がりぃっ!? あぁ、もう分からないわぁ、この国のお料理。……でも良いの、私は幸せだから」
あらまあ、とろんと幸せ顔をして。
お腹がめくれて可愛いおへそが見えていたりするが、褒めてもらえたのだし今夜は見逃してあげようか。
アルコールのせいで少々舌っ足らずな話し方なのも案外と可愛くて、これはしばらく晩酌ありコースで行きたいものだ、などと考えてしまう。
「カズヒホー、レベル72って本当ー?」
「うん、前に教えた通りだよ。そういえば聞いたこと無かったけど、マリーはレベル幾つなの?」
「……27。いいかしら、誤解をしないで欲しいのだけど、精霊術と魔術を一緒に習っているからレベルを上げるのはとても難しいのよ。選ばれたごく一握りの者しかなれない精霊魔術師っていうの」
「へえ、凄い名前だねぇ。じゃあお勧めのレベルアップ場に行く? マリーなら初日で5レベルは上がるんじゃないかな」
かちゃかちゃと洗い物を並べているとき、視界の端でむくりと起き上がるのが見えた。
「……あなたね、ここまで上げるのに私は70年くらいを費やしているの。冗談なのだとしたら、いくらカズヒホでも怒るわよ」
「え、僕が引っ張ってきて、とどめをマリーが刺せばいいんでしょ? まずはレベル40くらいを1分に1匹倒して行けば余裕じゃないかな」
そんなのすぐ出来ると思っていたが、僕の認識が間違っているのかもしれない。違うの?と小首を傾げて彼女へ振り返ると、エルフの瞳は少しだけ見開かれていた。
ダウンライトの薄暗い部屋のなか、いそいそとベッドへ潜るマリーを僕は追う。絵的に少しまずい光景だけど、異世界へ向かうのは僕らにとって大事なことなのだから仕方無い。
ただ、まあ、お尻をじっと見る必要は確かに無かったかもしれないね。
「お弁当を置いて、っと……。餃子だから少し匂うけれど平気かなあ」
「平気よ。どうせ食べているときは気にならないわ。残念なのは、焼きたてのパリパリ感が無いことね」
「うん、冷えても平気なよう炒飯にしたから楽しみにしてね」
薄暗い中、にこっと少女が微笑むのが見えた。そうそう、エルフの耳だと少しだけ枕が合わないので、今は穴あき枕を用意してある。
そうしてマリーを抱き寄せて、ゆっくりと互いの心音を聞く。穏やかなせいか、最近は眠りにつくのが早くなってきたように思える。
もしも彼女が居なくなったとしても、ちゃんと眠れるのだろうか……などという考えをするのは、きっと臆病なところが僕にあるのだろう。
とく、とく、と小さく鳴る胸と、そして絡みつく華奢な手足。とろりと瞳が重くなるのは彼女の温かさが伝わるせい。
すうっ――……。
とぷんと水へ沈むように、あっけなく意識は夢の中へ。
柔らかく抱きしめあったまま、深い深い夢の世界……いや、異なる世界へと僕らは移動する。
今日も楽しい一日になるといいな、などと思いつつ。
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