第35話 境界線




午前十一時。約束の時間ピッタリにクロードはハーシェル伯爵家に到着した。目の下に浮かんでいたクマは綺麗に消えていて、オリヴァーの背筋が寒くなるほど、数日前からずっと機嫌も良かった。


理由は一つ。リリアンからパートナーの誘いを受けたからだ。

他の夜会やパーティーとは違い、親族以外の男女が舞踏会のパートナーとして参加するのは、周囲に親しい仲だと知らしめる意味もあった。


クロードは毎年ユリウスに手を取られるリリアンを遠目から眺めていただけで、誰のこともエスコートはしたことがない。

けれど今年はもしかしたらと期待を抱いていた。未だにユリウスが好きだとしても、リリアンの今の恋人はクロードなのだから。


それがまさかリリアンから直接誘いを受けることになるだなんて、夢にも思わず。

クロードは未だ夢心地のまま、伯爵家へと足を踏み入れた。


「クロード様、おはようございます。お待ちしておりました」

「リリアン……?」


しかし、いざ会ったリリアンはどこか怒って見えた。とはいえ会話を無視されるわけでも、あからさまに不機嫌さを表に出しているわけでもないから、直接どうしたのかと尋ねるのも憚られて、クロードは思案する。


今日の目的は舞踏会のドレスの採寸と、デザインを決めることだった。ならばそのついでを言い訳に、他のドレスや装飾品も一緒に贈るのはどうだろうか。


『クロード様、さすがに指輪はまだ早いかと』


デザート以外の贈り物を考えたことがないわけではない。一度アクセサリーを贈ろうとした際に、オリヴァーからそう止められたのだ。

今ならきっとアイツも文句は言うまい。いつか社交界で、女性の機嫌を直すには贈り物がいいと耳にしたこともあった。


クロードは決意する。まさかこの計画がリリアンを余計に怒らせてしまうとは思わないまま、彼女の手を取った。




***




「最近の流行りはこちらになります」

「ふむ。少し肌を見せすぎじゃないか?」


舞踏会用のドレスを仕立てに向かった先は、王室も利用している服飾店だった。ただでさえ人気なのに加えて、舞踏会が近いから予約を取るのが困難だったはずなのに。やっぱりウィノスティン公爵家は凄い。


こういう時、普通の令嬢だったら目を輝かせ喜んでいたのだろうけど、リリアンは自分には不相応だと感じていた。それでも断らなかったのは、クロードに恥をかかせない為に必要だと判断したからだ。


クロードはドレスや宝石に興味がないと思っていたから、衣装に色々と口出ししているのには驚いた。


『これは背中が開きすぎじゃないか?肌を見せる範囲が広いドレスよりも、彼女にはもっと可愛らしいドレスの方が合うはずだ』

『薄い水色は彼女には似合わないから、一切使わないでくれ。そうだな、もっと濃い青の方がいいだろう』


細かいオーダーに、クロードには意外とこだわりがあるのだと知った。

……もしかしてビビアンともこうして一緒に来たのだろうか。あのヘアピンは彼女にとても良く似合っていた。


クロードが今と同じようにビビアンに似合う物を選んだのだと思うと、リリアンの気持ちはどんどん萎んでいく。


「俺はこの二つがいいと思うんだが、リリアンは何か希望はあるか?」

「私はどちらも素敵だと思います」


クロードが厳選したデザインを見せられる。普段サラや他の侍女たちが選んだものを着ているリリアンには、あまり拘りがない。言葉通り二つとも素敵だと伝えれば、クロードは一拍置いて同意だと頷いた。


「そうだな、どちらも良く似合いそうだ。ならドレスはこっちで、靴は――」


それから暫くして、全て決め終えたクロードは満足気に口角をあげた。

後は採寸をして帰るだけのはずなのに、クロードは何故か再びドレスを選び出す。


「クロード様、ドレスはもう決めたんじゃ……?」

「ああ、だが普段用のドレスはまだ贈っていないだろう?」

「いえ、舞踏会のドレスだけでも十分すぎるくらいですので、お気になさらないでください」

「なら宝石や装飾品はどうだ?髪に付ける――」

「だ、大丈夫です!」


思ったより大きな声が出て自分でもびっくりしたリリアンは、慌てて言い繕う。


「十分すぎるどころか有り余るくらいですから!だから早くお昼でも食べに行きましょう」

「どうしたんだ、リリアン。なんで怒ってる?」

「怒ってなんかいませんけどっ」


何も買わずにただ出られたらリリアンは満足なのに、クロードは頑なに納得せず人払いまで済ましてしまう。


「リリアン、言ってくれなければ分からないだろう?」

「だから早く出ましょうって言ってるじゃないですか」

「そうじゃなくて、怒っている理由を……」

「っ、クロード様がビビとデートしたりするから……!」

「??」


突然出現した存在しない己の行いに、何の事か分からずクロードは混乱した。いくら思い返してみても、全く身に覚えがない。


返事がないのを肯定と捉えたリリアンは、キッとクロードを睨みつける。

その様子は例えるならば、ハムスターが怒りで毛を逆立てているかのような愛らしいものだったが、クロードは空気を読んで心の中に仕舞った。

代わりに別の疑問を投げかける。


「リリアン、すまないがペトロフ令嬢とデートとは……」

「この期に及んでとぼける気ですか?ビビにヘアピンを贈ったのでしょう」

「ヘアピン……?」


ますます訳がわからない。どうして自分がリリアン以外の女に贈り物をしなければいけないのか、必死に記憶を辿る。


「……あっ」


まさかと一つ浮かび上がったものがある。

ペトロフ令嬢のパーティーを騒がせてしまった詫びとして贈ったプレゼントだ。「誠意が伝わりそうなのを適当に選んでおいてくれ」とオリヴァーに丸投げしたのを思い出す。


結局何を選んだのかは知らなかったし興味もなかったから気にせずいたけど、まさかそんな誤解を受けていただなんて。

クロードの身に覚えがあるかのような表情に「ほらやっぱり」とリリアンはふくれた。


「別にクロード様が誰とデートをしようが私には関係ありませんけど!仮にも恋人がいるのに二人っきりで出かけるのはどうかと思いますっ」


愛らしく不服を主張するリリアンに、クロードは頬を緩ませないようにするのが精一杯だった。だって、どう見たってこれは嫉妬じゃないか。以前早とちりした時とは違い、完全にビビアンに嫉妬していた。


この可愛いヤキモチをできればもう少し見ていたかったクロードだけど、今は疑いを晴らす方が優先だと耐える。


「リリアン、聞いてくれ。君が考えているようなことは何もない」

「……」

「誕生パーティーを騒がせてしまったから詫びとして贈り物を幾つか送ったが、決して深い意味があったわけではない。選んだのも従者だから、俺がしたことと言えば金を出したくらいで」


クロードはリリアンの髪を掬い、眉を下げながら懇願した。


「だからそろそろ機嫌を直してくれないか」


甘やかすような低い声にリリアンは何も言えなくなる。クロードはいつもそうだ。上手くできなくても、間違っても、決してクロードはリリアンを責めたりはしない。


「……クロード様は優しすぎると思います。私が我儘になったらどうするんですか」

「それはいい。リリアンは人に気を遣い過ぎだからな、もっと我儘なくらいが丁度いいだろう」


今だって「本物の恋人でもないのに口を出してくるな」と一言線引きをされてもおかしくはなかったはずだ。


線が曖昧になっていくと欲が出そうになる。

本気になった瞬間、終わってしまうのに。


「……まだ大丈夫」


リリアンは自分に言い聞かせた。



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