第33話 甘く解けて




「こちらで少々お待ちください」


 案内されたウィノスティン公爵家の応接室で、リリアンは心を落ち着かせるように深呼吸をした。


『公爵様は私がもらってもいいわけね』


 あの時、ソフィアの言葉にリリアンは反射的に「駄目よ」と口にしかけた。彼女の護衛騎士が凄い形相をしてさえいなければ、声に出してしまっていただろう。


 クロードに惹かれている自分がいることに、リリアンはもう気付いてしまった。

 同時に、その気持ちが強くなればなるほど〝あの男の子〟への感情はゆっくりと色褪せていくことも知って。


「ふぅ……」


 変わっていく感情が怖い。このままではいずれリリアンは、から。

 でもそんな日が来てしまうとしても、リリアンはクロードに会いに来た。自分の感情と向き合う為に。


「クロード様、怒ってるかしら」


 本来ならしがない伯爵令嬢でしかないリリアンが格上である公爵家、それも当主を追い返すだなんて有り得ないことなのだ。


 頭の中で謝罪文を予め準備する。会ったらすぐに謝れるように。


「リリアン!」


 前触れもなく扉が突然開かれ、リリアンの肩がびくっと跳ねる。驚愕で心臓がバクバクと速まった。口を開くよりも早く、クロードがリリアンの足元に跪く。

 クロードは請うようにリリアンの両手をそっと持ち上げ、自分の額へとくっつけた。


「嫌な思いをさせてしまい、本当にすまなかった。もう二度としないと約束する。だから一度だけ許してはくれないだろうか」


 嫌じゃなかったから、あんなに困っていたというのに。むくれるリリアンに、クロードは何を思ったのか何度も謝罪を繰り返す。


「もう分かりましたからっ!」


 そう伝えればクロードはようやく顔をあげた。希望が灯った瞳で「許してくれるのか……?」と尋ねられ、リリアンは頷く。


「その代わり条件があります。次の舞踏会、パートナーとしてエスコートしてください」

「それは……」


 まるで信じられないものを聞いたみたいに、クロードの瞳が丸くなる。リリアンはふいっと顔を背けながら言葉を続けた。


「べっ、別に、嫌なら大丈夫です!クロード様からエスコートを受けたい方は沢山いるんでしょうし、他の方にもう決まってたりするのなら――」

「他になんているはずがないだろう」


 クロードが姿勢を正し、リリアンを見つめた。


「リリアン、君をエスコートする栄誉を俺にくれないか」

「……喜んで」


 取られた手をぎゅっと握り返しながら呟けば、クロードは嬉しそうに目を細めて微笑む。

 その瞬間ノックの音が鳴り、リリアンはハッと今の状況を思い出した。


「お茶をお持ちいたしました」

「く、クロード様立ってください!早く!」


 公爵様を跪かせてしまっているだなんてまずいと、慌ててクロードの手を引っ張る。クロードが立ち上がったタイミングでドアは開かれた。


「?クロード様、なんで立っているんですか」


 ティーワゴンを手で押しながら入ってきたオリヴァーが首を傾げた。しかしすぐにクロードの顔色を確認し、にこりと笑う。


「おい、うるさいぞ」

「まだ何も言っていませんが」

「顔がうるさいんだ。後は俺がやるからそこに置いて出ていけ」

「クロード様が買いに行ったデザートも、せっかく持ってきたというのに冷たいですね」

「それは言わなくていい!」


 クロードがオリヴァーを追っ払う。リリアンはぱちりと目を瞬いて問いかけた。


「デザートを買いに行ったって、まさか今まで持ってきて下さっていた物もクロード様が……?」

「ハァ、アイツ後でシメてやる」

「誰かに頼めばいいはずなのに、どうして……」


 ただ一言命じれば済んだはずだ。外に出て、並ぶまでしなくても、リリアンは気付かなかったし、気にもしなかっただろう。


「君に喜んでほしくて」


 リリアンのため。たったそれだけのために、クロードは自分の時間を削ってまで買いに行ったのだ。よく見れば目の下にはクマができていて、随分と無理をしたのだと分かる。


「それも私のために買ってきて下さったんですよね。なら食べてもいいですか?」

「ああ、勿論だ」


 クロードがワゴンに乗っていた箱をリリアンへと手渡す。お洒落なパッケージの包みを開けると、色とりどりで可愛らしいマカロンが現れた。

 一つ手に取り、食べてみる。生地がほろりと崩れて、中に入ったガナッシュクリームのしっとりした食感が口内を満たした。


「美味しいです。ありがとうございます、クロード様。言うのが遅くなってしまいましたが、私もすみませんでした。何度も足を運んで頂いたのに、追い返してしまって」

「気にしなくていい。今、君がこうして俺に会いに来てくれただけで十分だ」


 クロードの指がリリアンの唇をなぞる。鼓動が早くなり、目をぎゅっと瞑った。


「あ、あの、クロード様……っ!」

「ああ、すまない。口についていたのでついな」

「へ……?」


 ついていた?疑問に開けた視界の先で、クロードは親指に付いていたクリームを舐めた。リリアンの顔が羞恥でカッと赤くなっていく。


「〜〜ッ、謝罪も済みましたし、そろそろ帰ります!」

「何?もう帰るのか?」

「クロード様も寝不足なら、今日は早く休んでください!」


 ばかばかばかっ!リリアンは自分に何度も悪態をつく。突然立ち上がったリリアンにクロードは慌てて引き止める。けれどあまりにも居た堪れなすぎて、とてもじゃないけどリリアンはこれ以上ここには居られなかった。


 キスをされると思っただなんて、恥ずかしすぎて口が裂けても言えるわけがない。


「リリアンどうかしたか?」


 ドアに向かおうとしていたリリアンの身体がぴたりと止まり、食べかけだったマカロンへ視線が向く。


「……これは持って帰ってもいいですか?せっかくクロード様が買ってきて下さったのですし……だからその、もう私のですよねっ!?」


 これじゃあまるで食べ意地を張っているみたいじゃないかと悔やんだけど、訂正はしなかった。クロードは気を悪くすることなく、首を縦に振る。


「ああ、当然君のだ。全部持ち帰ってくれて構わない。使用人を呼ぶから少し待ってくれ」

「……ありがとうございます」

「リリアンはマカロンが好きなんだな。これから君が来る時は、必ず用意させよう」


 別に特別好きというわけではなかったけれど、リリアンは敢えて否定はしなかった。



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