第31話 初恋の終わり




「お嬢様、今日もウィノスティン公爵様がいらっしゃいましたが」

「帰ってもらって……!」


 ビビアンの誕生パーティーから三日。リリアンはずっと自分の部屋に引きこもっていた。

 窓から外をこっそり見下ろせば、ウィノスティン公爵家の馬車がちょうど発ったところだった。

 クロードも忙しいはずなのに、それでもわざわざ来てくれたと思うと罪悪感が押し寄せてくる。


「明日もまた来られると仰っておりましたよ」


 馬車が消えるのを少し残念な気持ちで見送ったリリアンに、サラは紅茶を煎れながら微笑んだ。そして紅茶の横には小さな箱が置かれていた。

 可愛らしいラッピングがされている箱の中には、綺麗に並んだクッキーが詰められている。


「こちらは公爵様がお嬢様にと持って来られましたが、召し上がられますか?」

「……お菓子に罪はないもの」


 遠回しに食べると伝えたリリアンは窓から離れて、長椅子へと腰掛ける。箱に結ばれていたリボンを解いて、中に入っていたクッキーを一つ手に取った。

 一口食べればサクッと音が鳴り、バターの香りが広がる。


「美味しいわ……」


 誰に言うでもなく、一人呟いた。サラが気を遣い「何かあればお呼びください」と下がっていく。

 リリアンは二つ目のクッキーを食べながら、唇を尖らせる。美味しくて幸せなのに、心はずっと晴れないままだった。


 箱の横には手紙が置いてあり、中を開くと『先日はすまなかった。一度、直接話をさせてくれないだろうか』と綴られていて。リリアンの顔が熱くなっていく。


 あの日――キスをされた日。

 ビビアンの誕生パーティー最中だったにも関わらず、リリアンは逃げてしまった。自分の立場や、周りの目、ビビアンへの礼儀も全て忘れて。


 あの瞬間だけは、クロードのことしか考えられなかった。


 帰宅してすぐビビアンへ謝罪の手紙を書いたけど、その間も頭の中を締めていたのはクロードのことだった。


 リリアンは初めてだったのに。クロードはあんな風に誰にでも簡単にキスをできるのだと思ったら、胸の奥が重苦しくなった。


「別にいいじゃない。クロード様が誰とキスしようが、私には関係ないわ」


 だってリリアンが好きなのはユリウスなんだから。クロードが誰とキスしようが、付き合おうが口出しする権利なんてない。

 どうせ、この関係は偽物なんだから。




 ***




「お嬢様、お客様がお見えになりました」


 翌日もまた届いた声に肩を跳ねさせた。扉を一瞥したリリアンだったけれど、すぐにふいっと顔を逸らす。


「帰ってもらって」

「ですが……」

「私は居ないって言って......!」


 リリアンは叫ぶ。ずっとこのままでは駄目だと頭では分かっているのに、クロードと会うのが怖かった。

 リリアンの拒否に扉の向こうは静かになり、帰ってくれたのだと安心したその時。


「この私に居留守を使うなんて、いい度胸じゃない」


 勢いよく扉が開き、カツカツとヒールの音を鳴らしながら誰かが入ってきた。リリアンは目を見張り、その場に立ち上がる。


「ソ、ソフィア……!」

「悲しいわね。新しく友人ができたから、私はもう用済みってことかしら?」

「そんなわけないじゃない!ソフィアは一番の友達よ!」


 憂わしげな顔で告げられた言葉を慌てて否定する。ソフィアは「ふぅん?」とリリアンを一目見てから、向かいの椅子に座った。どうやらリリアンの答えは及第点のようだった。


「で、来てみればアンタは一体何をそんなにウジウジ悩んでるわけ?」

「その......」

「これを見てみなさい」


 ソフィアは護衛騎士から受け取った新聞をリリアンに渡す。既視感ある光景にまさかと記事を確認すれば、そこにはリリアンとクロードのキスシーンが大きく掲載されていた。

 そこにユリウスの名前はなく、リリアンとクロードがいかに想いあっているかが綴られている。


「どんな泥沼劇に巻き込まれるのか心配してたけど、アッサリ解決して良かったじゃない。――なのに、随分と浮かない顔ね」


 ソフィアが呟く。そうだ、ソフィアの言う通り解決した。これでユリウスが周囲から好奇の目に晒されることはないだろう。

 それがクロードの恋人になった目的でもあったのに。


「まあ、でも私はこれで良かったと思ってるのよ。ユリウス・ハーシェルに片思いしてた時よりも、アンタは楽しそうだったから」

「なっ……!?」


 晴れない気持ちも一気に吹き飛ばすくらいの衝撃に、リリアンは言葉を失った。


「な、なんでソフィアが知って……」

「だってアンタ分かりやすいもの。いっつもユリウス・ハーシェルばかり見てたし、さすがに気付くわよ」

「うっ……」


 まさかソフィアに気付かれていただなんて。押し黙るリリアンに、ソフィアは気が良さそうに頬杖ついた。


「それでずっと気になってたんだけど、アンタはなんでそんなにユリウス・ハーシェルが好きなの?」

「え?」

「ああ、別にアンタの弟を否定したいわけじゃないのよ。ただ純粋に気になって」

「それは……」


 ソフィアの質問にリリアンは躊躇いながらも口を開く。以前クロードに話した時はほぼ勢いのようなものだったから、改めて話すとなるとなんだか気恥しかった。

 彼女は馬鹿にしたり、笑ったりすることなく耳を傾けてくれる。


「ふーん、それでねぇ……」

「う、うん」


 話を全て聞き終えたソフィアの呟きに、リリアンは頷いた。ソフィアは疑問が解けたようなスッキリした顔で喉を潤している。


「だから今もまだ好きだって?」

「もちろん……そうよ」

「もしリリアンの探してた相手とは違ったとしても?」

「どういう......」


 戸惑うリリアンに、ソフィアはハッキリと、今まで目を背けてきた事実を突きつけた。


「相手がユリウス・ハーシェルだって確証はないんでしょう。もしリリアンの探していた人物とは別人だとしても、変わらずに好きだと言えるの?」

「で、でも特徴が合うのはユリウスだけで……っ!」


 名前も、住んでる場所も、顔すら知らない男の子。声だってもう、きちんと思い出すことができない。だけど……


「アンタも心のどこかでは違うかもしれないって思ってるから確かめな……」

「っ、もうやめて!!」


 リリアンはこれ以上聞きたくないと、耳を塞いで言葉を遮った。しかしソフィアの驚いた表情にすぐに我に返る。大声を出して八つ当たりしてしまうだなんて最悪だった。


「ごめんなさい……分かってるの。ソフィアは私の事を思って言ってくれてるんだって」


 ソフィアは思ったことはハッキリと言う性格だけど、人の気持ちに無遠慮に踏み込んだりはしない。だからソフィアは今、リリアンに必要だと思って口にしてくれているのだろう。

 頭では理解しているのに、心はどうしても拒否してしまう。続きを聞きたくなかった。


「怖いの……だって、私にはこれしかないから……」


 この思い出だけが、リリアンの全てだから。

 ずっと見ないようにしていた。ユリウスに確かめる機会だっていくらでもあったけど、リリアンは敢えて確かめずにいた。

 ユリウスが覚えていないなら仕方ないと自分に言い訳して。

 本当はただ、事実を知るのが怖かったのだ。


「何バカなこと言ってんのよ。他にも沢山あるでしょうが」

「へ?」

「アンタに私は一体どう見えてるわけ?まさか私が誰かに頼まれて一緒に居るとでも思ってるの?」

「そ、そういうわけでは……」

「バカにしないでよね。私は私の意思でリリアンと友達になったのよ。私だけじゃない。周りにいる人たちがアンタには見えないの!?」


 ソフィアは身を乗り出しながらリリアンの顔を掴んだ。


「小さい頃のことはよく知らないけど、それでも今はもう違うでしょう!」


 真っ直ぐ伝えられる言葉がじんわりと胸の奥に広がり、視界がぼやけた。


 リリアンが首を何度も縦に動かせば、ソフィアは手を離し、どさりとリリアンの隣に腰掛ける。淑女らしかぬ行動だったけど、誰も咎める者はいなかった。


「……さっきは悪かったわ。別に追い詰めようとしたわけじゃないの」

「ソフィアが謝った......」

「憎まれ口を叩ける余裕があるなら大丈夫そうね」

「ごへんなはい」


 頬を引っ張られリリアンは謝る。ついこの前もクロードに引っ張られたばかりなのに。自分の頬が伸びないか心配になった。


「もしよ。今、リリアンの探してた人が現れたらどうするの?」

「……分からないわ」


 数ヶ月前ならばきっと喜んでいたかもしれないけど、今は……

 何故かクロードの顔が頭に浮かんだリリアンはすぐに思考を振り払った。


「アンタがもし、その人を選ぶなら公爵様はまたフリーになるんでしょ。なら公爵様は私がもらってもいいわけね」


 ソフィアがにんまり笑う。リリアンは息を呑み、恐る恐る口を開いた。


「ソフィア、貴方の護衛騎士が凄い顔で見ているわ」

「……今のは私が悪かったわ」


 冗談よと、ソフィアは息を吐いた。すぐにでもクロードに決闘を挑みに行きそうだった騎士の雰囲気が和らぎ、リリアンも胸を撫で下ろす。


「まあ、そういうこともあるってことよ。だからよーく考えなさい」


 忠告を最後にソフィアは帰っていく。

 暫く椅子に座っていたリリアンだったけど、サラを呼び出かける準備を始めた。


「お嬢様、今日も素敵です!」

「……ありがとう」


 リリアンはずっと、怖かった。

 いつかまた昔のように、一人ぼっちになる日が来るんじゃないかと不安が拭えずにいた。

 変化は必ずしも悪いことばかりじゃないと知っていたのに、後ろ向きなことばかり考えて。


 変わりたいと思いながらも、心のどこかではずっとこのままでいたいと願っていた。


「あれ、姉さん今から出かけるの?」


 身支度を整えエントラスへ向かえば、訓練帰りのユリウスとすれ違う。


「少しね。そんなに遅くならないと思うわ。――ねぇユリウス、大好きよ」

「なに、急にどうしたの?」

「ただ言いたくなったの」


 最初の一歩を踏み出すのは怖くて、不安で。

 先の見えない未来に足が竦みそうになるけれど、いつまでも俯いてばかりはいられないから。


 だから、リリアンは変わることを選んだ。


「変な姉さん。……俺も大好きだよ」


 ユリウスが恥ずかしそうに小さな声で呟く。

 リリアンの大切で、大好きな弟。


「ええ、知ってる」


 リリアンは眉を下げて笑った。


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