第30話 初めて
その日は朝からツイていた。
普段よりも目覚めは良く、寝癖も酷くなかった。朝食はリリアンの好きなジャムとスコーンが出てきて、準備も余裕を持って終わらせられた。
「姉さん、本当に一人で大丈夫?」
「大丈夫よ。ユリウスは心配性ね」
「でも今日はヘクター令嬢は来ないんでしょ?」
一人でパーティーに行くと言うリリアンを、ユリウスは心配そうに引き止める。唯一の友人であるソフィアはいないと聞いて、心配したようだった。
「クロード様も来られるし心配ないわ」
「余計に大丈夫じゃないんだけど」
小さく呟かれた言葉に、リリアンは笑ってユリウスの背中を押す。
「ほら、ユリウスも早く行かなくちゃ。遅刻しちゃうわよ。今日の夕飯は一緒に食べましょう」
「分かったよ、約束だからね」
「ええ」
そうしてユリウスを見送り、リリアンも家を出た。大事に持っている小さな箱には、先日買ったばかりのビビアンに贈るプレゼントが入ってある。綺麗なアクアマリンの髪によく似合いそうだと選んだヘアアクセサリーが。
「緊張するわ。ビビは喜んでくれるかしら……」
家族とソフィア以外で個人的にプレゼントを選ぶのは初めてのことだったから、ユリウスには大丈夫だと言いながらも実は緊張していた。
違和感を感じたのは、馬車から降りてすぐの事だった。注がれる視線が、どことなく居心地が悪いのだ。それはまるで、リリアンが幼い頃に使用人から向けられていた目付きに似ているような気がして。
「……あの方が……の……」
「……様も可哀想ですわね……」
ひそひそと囁かれる声が耳に届くけれど、何と言っているのかまでは聞こえない。
リリアンはまさか間違ったことをしてしまったのかと不安になり、すぐに装いを確認する。だけどやっぱり、自分ではどこがおかしいのかは分からなかった。
「リリ!」
「あ、ビビ……!」
会場に入ったと同時に、周囲が一斉にリリアンの方を向く。それに気付いたビビアンがこちらに小走りで駆け寄ってきて、リリアンは肩の力を抜いた。
「ビビ、お誕生日おめでとう。プレゼントも気に入って貰えると嬉しいわ」
「ありがとう……じゃなくて!リリ、大変よ!ちょっと来て!」
「どうしたの?」
焦った顔で自分の手を引っ張るビビアンに、リリアンは首を傾げつつも大人しく着いていく。
「ビビは今日の主役なんだから、こんな隅にいたら……」
「そんなことより、これ見て!」
会場の端に連れていかれたリリアンは、目の前に差し出された新聞を戸惑いながら手に取った。
「な、なに、これ……」
身体が震え、血の気が引いていく。
【スクープ!路上で抱き合う二人!】
大きな見出しと共にある記事には、リリアンとユリウスが抱き合っている様子が掲載されていた。それだけじゃなく、リリアンがクロードと恋人であることや、ユリウスとは義姉弟ということまで。『ハーシェル令嬢が最後に選ぶ相手は一体どちらなのか……!?』そんな締め括りで一面が飾られていた。
「……リ、リリ!大丈夫!?」
目の前がぐらぐらと揺れて、息の仕方が分からなくなる。名前を呼ばれてリリアンは何とか頷いたけれど、内心は全く大丈夫じゃなかった。
それでも、せっかくの誕生日パーティーを台無しにする訳にもいかない。震える手をぎゅっと握って、無理やり口角をあげた。
「だ、大丈夫よ!ありがとうビビ、心配してくれて。ほら、そろそろ行かないと。主役がずっと隅にいる訳にいかないでしょ?」
「でも……」
私は大丈夫だから、とリリアンはビビアンの背中を押す。丁度、他の人たちもそれを見計らっていたかのように近づいてきた。
「ビビアン様、お誕生日おめでとうございます。今年も呼んで頂けて嬉しいですわ」
「アトラ様、こちらこそ来てくださってありがとうございます!食事や催しなど色々準備したので、是非楽しんで頂けたら嬉しいです!」
「まあ、もしかしてビビアン様がご自身でされたんですの?素晴らしいですわ」
「褒めすぎですよ〜!でもありがとうございます!実はアトラ様のおかげなんです。アトラ様がいつも領地に尽力されているのを見ていたおかげで勇気をもらえて、私も挑戦できたんです!」
内緒話を打ち明けるように、ビビアンが恥ずかしそうに話す。アトラと呼ばれた女性は、感激して口元を手のひらで覆っていた。
間近で聞いたビビアンの努力にリリアンも尊敬していた時。アトラの視線がリリアンへ向けられた。
「ビビアン様こちらの方は……」
「あっ、紹介しますね。私の友人のリリです!ハーシェル伯爵家のご令嬢ですよ!」
「まあ……」
じっと何かを探るような視線に顔が強張りそうになる。リリアンは乾いた口を開いて彼女に向き合った。
「初めまして、リリアン・ハーシェルと申します」
「アトラ・シラスですわ」
名前を聞いてリリアンはハッとする。どこかで見たことがあると思ったら、シラス侯爵家のご令嬢だったのだ。そして彼女は、ソフィアとはあまり仲が良くない。ビビアンと友人になったと言ったリリアンに、ソフィアが変な顔をしていた理由をようやく知った。
「ハーシェル令嬢は何故こちらへ?」
「え……?それは勿論、ビビの誕生日を祝うために……」
「あら、そうだったのですね。私はてっきりクロード様とユリウス様だけじゃ飽き足らず、新しい殿方でも探しに来たのかと思いましたわ」
「……っ」
「勘違いしてごめんなさいね」
すぐに謝罪されるけれど、それは紛れもなく悪意ある発言だった。リリアンは「大丈夫です」と答える。そうとしか言えなかった。
「分かってくれたなら嬉しいわ」
心臓が早鐘を打つ。アトラの笑顔が蛇のように首へ巻きついているようだ。足元が覚束ず、上手く立てているのかも分からない。
「聞いていれば、失礼ですこと。貴女の方こそ、そんなことを尋ねるためにここへ来られたのかしら」
「シャーロット様……!?」
アトラが声をあげる。アトラだけじゃない。リリアンも、そして何故か招待状を送った本人でもあるビビアンまでも、シャーロットの登場に驚いていた。
「シャーロット様がどうして……」
「少し気になることがあったの。ペトロフ令嬢、お誕生日おめでとう」
「あ、ありがとうございます!まさかシャーロット様にお祝いして頂けると思っていなかったので、とっても嬉しいです……!」
「そうでしょうね」
「え?」
「いいえ、何でもないわ」
にっこりとシャーロットが笑う。リリアンは彼女を静かに見つめた。今庇ってくれたのは、勘違いではないはずだ。お礼を伝えたかったのに、それよりも早く再度ざわめきが広がった。
「あ……」
人波をかき分け、真っ直ぐ歩いて来る漆黒が映る。彼は無表情だったけれど、リリアンの目には怒っているように見えた。
「く、クロード様……」
「ペトロフ令嬢、お誕生日おめでとう」
「えっ!?」
声をかけようとしたリリアンの横を、クロードは通り過ぎる。まさか自分の方に来ると想像していなかっただろう、ビビアンが狼狽した。
「あ、ありがとうございます!シャーロット様に続いて、クロード様にもお祝いして頂けるなんて光栄です!」
ビビアンが気遣うようにリリアンに視線を向けるけれど、気付けなかった。リリアンの中を締めていたのは、ついにクロードに失望されてしまったという痛みだけ。
「すまないが、少しリリアンを借りてもいいか」
「はい、勿論です!」
下を向くリリアンは手首を掴まれ、バルコニーへ連れて行かれる。クロードから冷たい目で見られるのが怖くて、顔をあげられなかった。
「……リリアン」
けれどそんな不安とは反対に、耳へ届いたのは優しい声色だった。
「いつまで下を向いているつもりだ?」
「クロード様も見ましたよね。あの記事」
「ああ、見たよ」
「だ、だったら何か言うことがあるんじゃないんですか……!?」
どうせ終わるしかないのなら引き伸ばさないで、バッサリ切って欲しかった。リリアンの言葉にクロードは頷く。
「だったら言わせてもらうが、何故アイツと抱き合ったりしたんだ。例え弟だとしても、れっきとした男なんだから、これからは髪の毛一本すら触らせてやるな」
「あれはただ助けてもらっただけで、他意はありませんでした!って、そうじゃなく!」
「何だ、まさか他にも何かあるのか?」
クロードの目が細まっていく。リリアンは首を振りながら否定した。
「これからって何のことですか?だってもう恋人関係は終わりなんじゃ……」
「終わりだなんて一言も言っていない。勝手に終わらせようとするな」
「どうして……」
クロードは自分を好きにならない相手であれば誰でもいいはずだ。リリアンのことなんかさっさと見切りをつけて、次の相手を探す方が適切な判断だろうに。
「あの程度の記事で離すと思われているなら大間違いだ」
「クロード様は新聞なんか気にならないってことですか?」
「当然腹は立っているさ。あの記事の俺は完全にかませ犬扱いだったからな」
確かにクロードの言う通りだった。記事のリリアンは二人の間で揺れながらも、ユリウスが本命かのように書かれていたのだ。
「リリアン、何で笑ってるんだ」
「え?私、笑ってましたか?」
リリアンは自分でも知らないうちに笑っていたことに驚いた。つい先程までは、世界が終わってしまうかと思うほど酷く憂鬱だったのに。どうしてだろうか。クロードがいつもと変わらない様子で笑いかけてくれるだけで、胸は軽くなっていた。
でもそんなことを言うのは恥ずかしくて、適当に誤魔化してしまう。
「えっと、ユリウスは大丈夫かなと思って。だってほら、思いっきり一面に載っちゃったじゃないですか。もし私と恋人だなんて騎士団の人たちに思われたらユリウスもやりにくく……」
「もういい。それ以上は聞きたくない」
言葉を遮ったクロードはリリアンを抱き締める。バルコニーに出ているとはいえ、今はビビアンの誕生日パーティー中。そのうえ新聞に載ったばかりで、余計注目が集まっているのだ。
「クロード様、見られているので……!」
「誰が恋人なのか、見せつけてやればいい」
離れようとしたリリアンの上に、影が落ちる。クロードはリリアンの腰を腕で抱きながら、唇を重ねた。
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