第26話 君を見つけた sideクロード
「クロード!また剣の授業をサボったそうだな!」
「げっ」
一日のスケジュールも終わり部屋で寛いでいた最中。怒号を浴びせながら部屋へ飛び込んできた父ウィノスティン公爵に、クロードは顔を顰めた。
「オリヴァーに勝てなくて悔しいのは分かるが、そうやって拗ねたままだと一生強くはなれんぞ」
「ッ別に拗ねてねぇよ!勝手なこと言ってんなジジイ!」
「口が悪いぞクロード!パパと呼べといつも言ってるだろう」
「誰が呼ぶか!」
一歳年下のオリヴァーよりも低い身長に、貧弱な身体。公爵家の跡取りにも関わらず、剣の腕は中々上達せずに負けっぱなし。周囲からも「才能がない」と囁かれているのを知っている。
クロードは剣の授業が大嫌いだった。
「クロード様、今日も授業に出られないのですか?」
そしてこの男。いつも嫌味たらしいことばかり言って人の神経を逆撫でする、オリヴァーのこともクロードは嫌いだった。
「おい、いい加減ついてくるな」
今日なんてわざわざ髪色を変え、変装してまで外へ出たというのに。目敏く嗅ぎつけたこの男は、いくら撒こうとしても幽霊の如くずっと引っ付いてくるから苛立ちが溜まっていく。
「私はクロード様をお守りするのがお役目ですので」
「お前に守ってもらわなくたって、自分の身くらい守れる」
「ですがクロード様は私よりも弱いので心配です」
その言葉にクロードの口元がひくつく。我慢するのもそろそろ限界だった。
だからこれはきっと、八つ当たりに近かったかもしれない。
ふと目に入った裏路地で子供が追い詰められているのが目に入ったクロードは、そこへ飛び込んだ。
子供を助けようだなんて善意を持った行動ではない。
ただ、腹いせに暴れるには丁度良い相手だった。
***
『クロード、お前は口が悪すぎる。そんなんじゃ好きな子が出来ても嫌われるぞ。もっと優しく――』
長々と続く小言に、クロードが耳を塞いだ記憶はまだ新しい。あの時は「別に女には興味もないから嫌われても構わない」と確かに返したけど。
「大丈夫?」
しかし今。涙いっぱい溜めながら小さい身体を震わせている子供を前にして、その時のことを思い返してしまったクロードは、なるべく柔らかい口調で子供へ問いかけた。
自分でも柄じゃない口振りに、鳥肌が立ちそうになるのを我慢しながら。
「はい。ごめんなさい」
「……?」
戻ってきたのは予想外の返答だった。何故か謝罪した子供にクロードは眉を顰める。
女というのは皆こうなのだろうか。理解できずに息を吐けば、子供はびくりと身体を跳ねさせた。
助けたにも関わらず、口から出たのは謝罪で、更に怯えられているときた。まるで自分が先程のゴロツキ共と同等のようであまり気分は良くない。だからさっさとその場から離れようとしたのに。
「〜〜っ、俺の話聞いてたよな!?」
再びその場に座り込んだ子供に、クロードはついに痺れを切らして普段の言葉遣いで叫んでしまった。
***
リリアン・ハーシェル。子供はそう教えてくれた。名前を尋ねたのはクロードの方とはいえ、簡単に自分の事を話してしまうなんて警戒心がないにも程がある。
しかも聞けば聞くほど、周囲からの扱いは酷いものだった。問題なのは、彼女はそれが当然だと思ってしまっていることだ。
そこでようやく気が付いた。先程の謝罪はクロードが怖かったからではなく、そうすることしか知らなかったからだと。
近くにいたオリヴァーに目をくばせれば奴は頷き、消えていく。
その間にも彼女は楽しそうに自分の話をしていた。何かをあげたわけじゃない。どこかへ連れて行ってあげたわけでも。
相槌一つ打っただけで、繋がれた手がぎゅっと嬉しそうに握られる。
初対面の相手と手を繋ぎながら歩くなんて、よく考えればおかしなことだったけど、あまりにも喜ぶものだから離すのも憚られて。
「少々失礼いたします。クロード様、ハーシェル伯爵がもうすぐ到着するようです」
「……分かった」
あっという間に来てしまった終わりの時間を、名残惜しく感じてしまうのもおかしなことだった。
「待たせたな……って、どうした?」
「あの子はお友達?」
「友達じゃない」
「そうなの?仲が良さそうだったのに……」
「アイツと俺がか?まさか!」
クロードの言葉に従い、静かにその場で待っていた彼女に聞かれる。友達だと言われるだけでも気に食わないというのに。
「とっても素敵だわ!」
その上これだ。今日一番のキラキラした瞳で奴を見つめる。
クロードが彼女を助けた時ですら見れなかった表情を、そんなに簡単に見せるだなんて。しかも、ただ剣をぶら下げていたという理由で。
君を先に見つけたのは俺の方なのに。
だから、もっと気に入らなかった。
「ねぇ、あなたの名前は……」
彼女がそう呟いた瞬間、馬車が止まる音がした。クロードの予想よりも早い到着だった。
「迎えが来たようだな」
「ま、待って……!まだ、」
ぼろぼろと大粒の涙を流して、彼女はクロードを引き止める。一緒にいて欲しいという、簡単な願いを叶えてやりたかった。
「……君が泣き虫をやめれたら、今度は俺が会いに行くよ」
けれど、それを叶えてあげるにはクロードはまだ子供過ぎると自覚していた。
***
「どんな心境の変化だ?」
「なにがだよ……」
天を仰ぎながら地面に寝転ばされたクロードは、息も絶え絶えになりながら言葉を返す。視界に入ってくる父の顔が近いから、できればもう少し離れて欲しかったけど、それを伝える気力はなかった。
「……はぁっ、はぁ……っもう一回だ」
「どうしたんだクロード。一昨日帰ってきてからおかしいぞ。あんなに嫌がってた剣の授業を素直に受けるだけじゃなく、空いている時間全てを訓練に費やすだなんて」
「別になんでもねぇよ……」
「剣はただ鍛えればいいってものじゃない。オリヴァーからも何か言ってやってくれ!」
またしても立ち上がるクロードに、オリヴァーも憂わしげに口にする。
「私としてもそろそろお止めになった方がいいかと思いますが……きっとクロード様にもご事情があるのでしょう。それに最初よりも大分形にはなってきましたよ。と言っても、
「……殺す。お前は絶対に俺が殺す」
「それは楽しみですね」
今日だけでも三十五連敗でボロボロのクロードとは反対に、オリヴァーは息も乱れず余裕そうにしている。
どこまでも腹が立つ男だった。
それから二年。クロードはひたすら訓練に明け暮れた。身長を伸ばすために好き嫌いを無くし、睡眠時間も増やして、騎士団の練習に混ざってひたすら己を鍛え続けた。
初めはそんなクロードのことを「無駄」や「無理」だと陰で嗤う者たちもいたけど、気にはならなかった。
『もう泣き虫はやめるから、だからお願い。そばにいて』
あの願いを叶える為なら、その他大勢になんと言われようが構わなかった。
身長が伸びる度に、筋肉がつく度に、オリヴァーの剣を受け止める回数が増える度に、目標に近付いている達成感もあった。
もうすぐ会いにいけると、確信していた。
「クロード様!公爵様が……!」
その時だった。真っ青になった従者がこちらへ駆けつけできたのは。
「公爵様、少しお休みになってください!このままではまた倒れられてしまいます……!」
「なに、これくらい大したことじゃないから気にするな」
「しかし医師も言っていたではないですか。次に倒れられた時は危ないと」
クロードの父であるウィノスティン公爵が倒れたのは突然のことだった。
しかし翌日にはケロッとした顔で普段通り「寝不足だった」と笑った父に、クロードはすっかり安心しきっていたというのに。なんだ、これは。
父と従者の会話を聞けば聞くほど頭の中が揺れて、目眩がした。
「安心しろ。クロードが爵位を継ぐ日までは、まだ死ぬ気はない」
「このッ、クソジジイ!勝手に満足してんなよ!」
その言葉に、クロードは衝動的に飛び出した。
我が子の為を思いそんな発言をしたのだろうが、言われた本人からしてみたら残酷な言葉だった。
それは親の余命宣告に他ならなかったから。
だからクロードは、できるだけ早く爵位を継承してもらうと決めた。
それからの日々は更に忙しかった。空き時間は一切ない程に勉学を詰め込み、公爵になれば必ず必要とされる魔物討伐の為に剣もさらに磨いて。睡眠時間を削りながらも前へと進むうちに、いつしか季節が幾度も変わっていた。
そんな風に忙しく過ぎる毎日の中でふとした瞬間に浮かぶのは、いつも一人の少女のことだった。
――今、寂しくはないか。誰かに傷つけられてはいないか。また一人で泣いていないか。
すぐ会えると言ったのに、もう何年も待たせてしまった。きっと待っていたはずだ。
空を見上げれば息が白く染まる。
寒い冬だった。
***
「クロード様、お手紙が届いております」
「またいつものか?ったく、こっちは毎日忙しいってのに。捨てておけ」
「いえ、縁談ではなく。王宮からの手紙です」
「何?」
爵位を継いでから三ヶ月。王宮からの招待状が届き、クロードは書類から目を離した。
相変わらずやることが山積みの日々だったけど、それは無視できるものではなかった。
ようやく、あの日の約束を果たせる日がきたのだから。
会ったらまずは何と言おうか。あれから七年も経ってしまったから、遅いと怒っているかもしれない。
だからきちんと謝ろう。遅くなってすまないと。そして言うんだ。あの時は言えなかった名前を――
「ユリウス!」
しかし再び会った君の隣には、既に他の男がいた。
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