推しを救うためのループ

一枝 唯

第1話

 それは突然の事故だった。

 キャーとかワーとか、言葉にならない怖ろしい悲鳴が辺りに響いた。

 いや、たったいままで、響いていたのは歓声だった。それが一瞬で、悲鳴になったのだ。


 瀬川架凛セガワカリンはそのとき、何が起きたのか理解できなかった。


 たったいままで、彼女は推しの握手会に並んでいた。開始時刻までスマホをいじりながら待っていたところだ。でも背後が騒がしくなったので振り向いたら、蒼維アオイ、ソーイとも呼ばれる人気上昇中の男性アイドル、つまり架凛カリンの推しがファンのために顔を見せてくれたのだとわかった。


 一も二もなく、ファンたちは歓声を上げた。


「アオイくーん!」

「こっち見て!」

「ソーイー! 好きー!!」

「あいしてるー!!」


 叫ぶのは少し恥ずかしかったが、架凛も「ソーイくん!」と呼びながら思いっきり手を振った。隣の人にはぶつからないように、ちゃんと気を遣いながら。

 蒼維は輝くばかりの笑顔で彼女らに応えながら、ふと列の途中に足を止める。架凛の少し後ろに、知った顔でもあったようだ。


(誰だろう。長年のファンとか?)


 架凛は蒼維のファンになってまだそんなに長くない。彼が世に知られはじめてからまだ一年程度だし、架凛のファン歴もそれくらいだ。

 しかし下積み時代から追いかけているファンもいて、蒼維がそうした子たちを大切に思っているのは有名な話だった。新規のファンたちもそれにやっかむことなく、或いはやっかんでも上手に隠して、「売れたからって古参ファンを切り捨てない蒼維」を尊いと考えている。


 嬉しそうな顔で話している蒼維を見るのは幸せだが、少し見えづらい。もうちょっとあとに並べばよかった、そうすればもっと近くで足をとめてもらえたのに、などと思っても仕方がない。またすぐ歩き出すだろうし、そうすれば目の前を通って――。


 そのとき、だったのだ。

 ガコン、という何かが外れた音。何だろうと思う間もなかった。

 上から一瞬で落ちてきた重量物が、蒼維の姿をかき消した。


「え……」


 悲鳴。

 恐怖の。驚きの。

 それから。


「アオイッ! アオイーッ!」

「うそっ、ソーイくんが……ッ」

「駄目です! 近寄らないで! ロープから出ないでください!」

「医者を……救急車を!!」

 現場はパニック寸前だった。


 一メートル以上あろうかという照明器具が高い天井から落下し、彼女たちの偶像を一瞬で破壊したのだと理解するのに、架凛はずいぶん時間を要した気がした。

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