危機一髪
つきたておもち
危機一髪
「あの、大変申し上げにくいのですが。」
わたしの背中から、ブライダル衣装コーディネーター担当のお姉さんが、申し訳なさそうな声でわたしにそう声をかける。
わたしの目の前に置かれている全身を映す姿見の鏡越しから見えるお姉さんの表情も、その言葉とおりの表情だ。
「どうしましょうか。」
と、申し訳なさそうなカオのお姉さんの隣に立つ、ブライダルプランナーのオバサマもちょっと困り顔だ。
「…スミマセン。」
わたしはそのふたりに、鏡に向かってちっちゃな声で、謝った。ちっちゃな声で謝ったと同時に身体もちっちゃくしたつもりだが、物理的にはちっちゃくならず、ウエディングドレスの背中のファスナーは、やはり上がらなかった。
今日は、結婚式の前撮りの、記念となる日だ。
なかなか決断の言葉を口にしようとしない彼に、辛抱たまらずわたしからプロポーズをし、彼に逃げる隙を与えぬとばかりに早々に籍を入れ、ふたりの生活が少し落ち着いてから結婚式開催に向けての準備を始め、籍を入れてから半年後の良き日に式場を押さえた。式場を押さえてから、ウエディングドレスを何着か見繕い、本日が、その前撮りの日、なのだが。
事件は起きてしまった。
「試着されたときは、少し余裕があったのですが。」
と、申し訳ございませんと、謝罪するお姉さんに、わたしはぶんぶんと首を横に振る。
お姉さんはちっとも悪くない。3か月前の試着時から今日までワケのわからない余裕をこいて、食べ過ぎていたわたしがいちばん悪い。
「もう一着選んでいただいた、このエメラルドグリーンの方は、なんとか大丈夫だったのですが。」
エンパイアラインの少し落ち着いた雰囲気のドレスだ。こっちの方を、先に前撮りをしたのだけれど、そのドレスを着付けてもらったときからイヤな予感はあった。多分、そのイヤな予感はわたしだけでは、なかったようだ。エンパイアラインのドレスを着付けてもらっているときに、お姉さんとオバサマから、あら、だの、まぁ、だの、とてもお褒めの感嘆の声ではない声が、わたしの背中から聞こえてきていたし、わたし自身も着付けてもらいながら、ドレスの締め付けの感じから、こりゃまずいんじゃないか、といった不安もふつふつと湧いてきていたのだから。
背中のファスナーが上がらないのは、真っ白なAラインのウエディングドレスの方だ。
一目惚れをして、即決したドレス。
試着したときは、お姉さんが言うように少し余裕があった。少々動いても大丈夫、って感じだったのに、たった3か月でこんなにお肉がついてしまうとは、人体の神秘だ。
などと現実逃避で驚いている場合ではない。
「あぁ、どうしよう。」
知らず落としてしまった言葉。
一目惚れで即決したお気に入り。夫も試着時のわたしのドレス姿を見て、キレイだ、とぽろりと言葉を零した一品だ。コレを着て、前撮りしたいし式も執り行いたい。
だけど、物理的にムリだと、ドレスも身体もが訴えているこの現実。しかもこのドレスのサイズはコレしかない。ワンサイズ上、はない。
「大丈夫です。お写真は、何とかできますから。予定通りにこれを着て、お写真を撮りましょう。」
少しうつむきかけていたわたしを覗き込み、安心させるかのように、お姉さんがそう言ってくれる。
「そうですよ。お背中の方からのお写真は難しいですけれども、正面の方からのお写真なら、綺麗に撮れます。正面の方のお写真を、ばちばち撮りましょう。」
オバサマも、にこりと笑んで、そう言ってくれた。
かくして、ブライダル衣装コーディネーターのお姉さんと、ブライダルプランナーのオバサマと、ばちばちと写真を撮ってくれたカメラマンさんとの努力のおかげで、何とか前撮りは無事に終えることができた。
ただし、夫はわたしのAラインのウエディングドレス姿に、驚きで少し目を見開いていたけれども、
「式に向けて、頑張ってダイエットしようか。僕も、少し太っちゃったし。」
と、わたしに腕を組まれにこやかな笑顔を浮かべながら、わたしにしか聞こえない小さな声で、耳元でそう提案してくれた。
そして、誤魔化しながらのウエディングドレス姿の前撮りを終えたあと、お姉さんとオバサマからは、「万が一のために」との発案で、その日にもいくつかドレスを試着して、気に入ったウエディングドレスを予備として、当日控えてくれるという運びになった。
それら出来事のショックからの一念発起。
前撮りを終えたその日から、ダイエットを、と頑張って取り組み始めた。
頑張って取り組み始めてみたものの、20歳を何年か前に超えてしまったこの年齢だと、10代の頃のように少しの食事制限でぐんと体重が落ちてくれることはなく。
また、筋肉から贅肉へと変化したこのぽよぽよを再び筋肉へと戻すには一朝一夕にはいかず。間に合うのか、といった焦りの中、「僕も、頑張るね」と、夫の付き合いもあって、今までのわたしの人生の中でがむしゃらに、いちばんの努力をした。
その甲斐あって。
家族や友人たちの祝福の言葉が飛び交うハレの舞台で、なんとかいちばんお気に入りのAラインの真っ白なウエディングドレスを着て、披露することができた。
それでもぐいぐいとこの身体を押し込めたウエディングドレスのファスナーが、いつ弾け飛ぶかとヒヤヒヤしながらのお披露目にはなったのだけれども。
それでも、なんとかギリギリ間に合ったのだった。
だけれども、ギリギリなので油断はならず。
ひな壇で、目の前に置かれた華やかなご馳走を口にすることができず、それをわたしの隣で美味しそうに食する夫を羨ましげに見てしまっているわたしに、
「危機一髪、間に合ってよかったね。」
彼はいつもの柔らかな笑顔で、そう言った。
お題「危機一髪」
危機一髪 つきたておもち @tenganseki
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