夕闇の戦い(3)
それは、明確な異変だった。
出口の近く。今作戦では北側の構成員統率役を担い、『蛇の目』のリーダーでもあるクルトは、眉を顰める。
(定期合図がない? これは──)
5分おきに灯りを用いて行う定期合図が来ない。
時間としては十数秒の遅れだが、『蛇の目』内では、作戦中の時間の順守は徹底している。
クルトはすぐにやられたものと判断した。
即座に南側の統率役に魔道具を用いて連絡を取る。
”ザザッ、ザーーーー──…”
時間にして、およそ3秒。
しかしクルトにとってそれは、「全滅」という最悪の可能性が結実したと判断するには充分な材料だった。
セカンドプランに移行すべく、即座に通りの反対側の屋根に陣取る二人に灯りで合図する。が──
魔力で強化した彼の目に映ったのは、その二人が、謎の二人組に制圧される瞬間だった。
(──見つけた。アイツか)
屋上。最後のターゲットがいる場所にたどり着いた式隆は、膝立ちの姿勢で通りに目を向けているらしい人影を見つける。
配置図の記載によると統率役らしいが、やることは変わらない。
これまで同様、一気に距離を詰めようとして──
「──っ!!」
いつの間にか眼前に迫っていたナイフを、間一髪で躱した。
持ち手、刀身、すべてが黒。
周囲が完全に暗くなっていたら、最後まで気付くことができずに脳天を貫かれていたかもしれない。
この作戦内で初めて訪れた、明確な命の危機。
鼓動が早まり、冷や汗が背中を濡らす。
リトから聞いていた通りの戦い方だが、実際に直面してその恐ろしさを肌で感じ取る。
式隆はそこで、自分が恐怖を感じていることに気付き、二度、三度と深く呼吸する。
呑まれるな。分析しろ。
(全身黒ずくめ…。なるほど、動きが見えずらい。現に、既にこちらに視線を向けていたことに気付けなかった。投げるモーションも最小──うわぁやり手っぽい)
男はゆっくりと立ち上がり、背後──通りの向こうを親指で指して、言う。
「やられたよ。合図がないことと君がここに来ていることから鑑みるに──全滅だね」
「分かってんなら話は早い。投降してくれないか」
「それはできない相談だ。なぜなら目的の達成は、私一人でも可能だからね」
「ハッタリだな。こっちの戦力の把握もできていないだろうに」
「試してみれば分かるさ」
(…うーん。出来そうだな、コイツ)
立ち姿、技術、体内魔力、垣間見える余裕。それらから何となく判断する。
結局目の前の男を止めなければ勝ちはないという事実に、式隆は辟易する。
だが、やらねばなるまい。
(慣れてないし、目に負担をかけてる感じがすげぇ嫌いだけど、やらなきゃかな)
そう考えて、眼球周辺に魔力をまわす。すると、視界が一気にクリアになり、相手の挙動が正確に捉えられるレベルになる。
身体強化の応用である。
使いようによっては肉体的な強化だけでなく、このように特定部位の能力向上も可能となる。
魔力感知で見てみれば、どうやら相手も同じことをやっているらしい。
「それじゃやるか。投降しなかったこと後悔すんなよ」
「君こそ。挑んだことを後悔するなよ」
その会話を最後に、両者が、眼前の敵を仕留めるべく、動く。
一瞬の読み合い。そして。
ガキィィィィィィィン!!
夕闇に、衝突の音が響いた。
突如響いた、何か硬質なものがぶつかり合う音。
「…始まりましたね」
「何がですか!? 早く援護に行ってくださいよ!!」
焦燥感に駆られて日奈美は叫ぶ。
既に北側担当ではない4人は制圧を終えて合流している。
そんな彼らに日奈美は必死に呼びかけるが、リトから静止される。
「無理ですよ。僕らでは相手にならない」
「…どういう意味ですか」
「我々のボス──レナートさんが、どうあっても今戦っている連中に手を出せなかった理由が、今上にいる男なんです」
「……」
「”暗刃のクルト”。そう呼ばれている名の知れた指名手配犯です。要人の暗殺等で名を上げ、捕えようとした者の多くを返り討ちにした、界隈では知らぬ者のいないほどの男です。状況次第ですが、実力は蒼灰級にも及ぶと──」
「──だからって!」
悲痛な叫び声でリトの話を遮る。
「何もしないんですか!? そんなヤバいのが相手なのに、ここで指をくわえて突っ立っているのが最善だって……そう言うんですか!!」
「──日奈美さん」
静かに、リトが言う。
「シキタカさんは──あなたの案ずる人は、本人や、あなたが思っている以上に、強いです」
「でも──!」
「レナートさんは、勝算のない賭けには絶対に乗りません」
リトは、レナートからの指示を受けて、式隆にクルトの正確なプロフィールは一切話していない。
その時の会話を思い返す。
『彼は自己評価がとても低い。というより、自分がどれほど強いのかを分かっていない』
『しかし、そうであればなおさら──』
『いや、自分の実力を分かっていないということではないんだ。むしろその点で言えば、彼は自分の実力をこの上ないほどに理解している』
『…つまりどういう意味です?』
『彼は、自分の力を客観視できていないんだ。自分の戦闘能力が、他者から見てどれほどのものなのかを理解していない。プランから自爆特攻がなくなったのも彼のおかげだしね』
『じばく……? いやなんでもないです。つまり実力に見合った自己評価ができていない、ということですか』
『そうだ。そしてそれは自身のなさと同義だから、相手が名の知れた強者だと知ったら委縮してしまうかもしれない』
『──彼は、クルトに勝てるんですか?』
『勝てるよ。実力をきちんと発揮できればね。だから、「ココのコイツはこんな戦い方をするので気を付けてください」って感じの忠告だけしてくれるかな』
『分かりました』
リトは日奈美の目を見据えて、静かに言う。
「──信じましょう。彼は勝ちます」
「──ッ」
日奈美は唇を噛み、断続的に打ち合う音が響く建物を見上げた。
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