異世界(2)


「シキタカにいちゃーん、こっち手伝ってぇー」


「おーう、すぐ行くー」



 にわかには信じがたい事実に驚愕してから一週間が経った。


 ここが異世界だと気付いてから決意を新たにしたのは良いものの、実際はそこから丸一日近く落ち込んでいた。具体的には、元居た世界に残してきてしまった諸々の事情を思い返していた弊害である。


 死に物狂いで勉強して合格した国内トップクラスの大学の卒業が絶望的になったこと。それに伴い、決まっていた就職がおじゃんになったこと。加えて年末の帰省前に蒸発したともなれば、多くの人間に迷惑をかけ心配もさせるだろう。


 無論、すぐに帰ることができれば問題はないが、さりげなく聞いてみたところ『別の世界』なんてものの心当たりを持つ人間はいなかった。これらの事実は、切り替えの早さにそこそこの自信を持っていた式隆にもかなりのダメージを与え、丸一日茫然自失状態にした。


 しかし、逆に言えば丸一日程度でその状態から脱したともいえる。「今考えても意味のないことは考えない」。口で言うのは簡単だが、実際にやろうとすると難しいそれを、三上式隆という人間は実行できるのである。



「にいちゃん魔法でサクッと終わらせちゃってよー。水のくみ上げなんて簡単でしょー?」


「馬鹿言っちゃいけない。にいちゃんは今体格と筋力という魔法に匹敵するフシギを見せているだろう」


「意味わかんない。オトナ自慢? しっとー」


「えっやだ嫉妬しないで!女子のそれはすげぇ怖いって誰かから聞いたことある!」



 私こわくないもーん、と声を上げながら前を行く少女の名はミーア・カート。森で式隆を拾ってくれたジール・カートの一人娘である。


 おてんばではありながら、魔法学園の入学をつかんだ才覚ある少女、だと近所の人らに聞いた。自分で「行きたい」と言い始めたとはいえ、勉強に打ち込んでいた結果、同年代の友達があまりいないらしい。その反動か随分となつかれた。


 今は、カート家に身を置かせてもらっている代わりに家のことを手伝っている、という状況である。


 助けたジールという男はかなり人望が厚かったらしく、感謝の意を伝えてきたのは彼の家族だけではなかった。それもかなりの数である。所属していた組織でも慕われていたとか。

 そんな(身に覚えのない)救出劇のおかげで、この街では色々と融通を聞かせてもらっている。


 中でもありがたかったのが、図書館を使わせてもらえたことである。そのおかげで、この世界のことも随分と調べることができた。





 まず概要。ここは三つの巨大な大陸と、無数の島々からなる世界らしい。


 その中でもここアレリヤ大陸は最大の大きさを持つ。太陽や月といった恒星や衛星と思しき存在もあるため、地球によく似た環境を保有する惑星だと考えられる。


 四季もあるようで、今は初夏だ。元居た世界での故郷である日本でも、昔はここと同じように美しい四季折々の景色が見られ、穏やかな気候の変化が楽しめたらしい。




 次に歴史。この世界は魔法、ひいては魔力と呼ばれるもので発達してきたようだ。当然その魔法文明の発達に相応しい長い歴史を持つので詳細は省くが、人類の誕生からは4000年近く経っているとか(諸説あり)。


 しかし太古の記録はないに等しく、現存する明確な最古の記録は1900年ほど前のもののようだ。そして過去二回、『厄災』と称される未曽有の災禍に見舞われたらしい。


 なんと一度目は人類の9割が死に、一度文明が滅んでいるらしい。それが大体2000年ほど前のことのようだ。そして2度目は800年前で、中心地はここアレリヤ大陸。甚大な被害を出しつつ奮闘の末、被害を大陸内でのみに抑えたらしい。


 ここら辺は本当に概要のみの説明にとどまり、詳しい内容はどこにも載っていなかった。なんか歴史の闇を感じる。怖いからやめてほしい。




 最後に魔法。魔力というのが本当にすごい。


 調べた内容を要約すると、なんでもこの世界のあらゆるものは魔力を含んでおり、様々な現象の発生の源になっているのだとか。


 そしてこの現象というのが多岐にわたり、火や水、風や電気の発生にその操作といったものがある。言い換えれば、あらゆるエネルギーに転化可能な万能さを持っているということになる。


 おまけに、この世界の人間はそのエネルギーを体内で生成可能ときた。元居た世界のエネルギー問題が一挙に解決できそうである。


 この魔力を用いた『魔法』にもあらゆる種類があり、主に先ほど述べた様々な現象とエネルギーの発生・操作を可能としている。魔力を流し込めば一定の効果を発揮するシステム、とでも言えばいいのか。


 主に人間が練習を重ねて会得するものらしいが、機能だけ見れば「コンセントを差し込んでボタンを押せば設計通りに動く家電」のようなものだ。無論、ここで言う電力はこの世界で言う魔力にあたる。

 なお、魔法を組み込んで機能を発生させる『魔道具』なるものもあるようだ。これはまさしく『家電』っぽいだろう。


 水を運び終え、ふぅと息をつく。ありがとー、とじゃれてくるミーアを相手しながら、式隆はジールとの会話を思い起こしていた。





あの日、自分があの怪物に何をしたのか。



「私もハッキリ覚えているわけではありませんが、あなたはあの時、いつの間にか手に持っていた剣で『人殺し』を両断しました」


「俺が魔法士だっていうのは?」


「私は魔法士ではありませんし、その方向には明るくありませんが、あれだけの魔力の奔流を浴びれば誰でも気付きます。それほどの魔力があなたから放たれました」



 本来なら『人殺し』抜きにしても、生きて帰るのすら難しかった。しかし当時の状況は、その放たれた魔力で害獣どもも近づいてこなくなったことにより打破されたのだとジールは語る。



「だから私はあなたを担いで生還できたのです」



 ジールは、本当にありがとうございます、ともう何度目かもわからないお礼を口にする。



「ホント気にせんでください。それで俺が持っていたっていう剣は?」


「私はあなたが倒れてからすぐに近づきましたが、その時にはもう…」


「消えていた…と」



 考えを整理しながら、ふと気になったことを聞く。



「あの怪物は『人殺し』っていうんすか。物騒な名前っすね」


「…はい。この大陸で最上位の危険度を持つと認定された、12体いる『災害魔獣』のうちの一体です」



 なんかすごい称号が突然出てきた。というか、もしそれが事実なら自分がやったことは…。



「国に……いえ、大陸全土に名を轟かせるほどの偉業です」



 式隆はその言葉を聞いた瞬間、見惚れるほどの美しい所作&残像が見えるほどの速度で、人生初の土下座をキめた。



「お願いします!どうかこの件は内緒にしておいてください!!」


「え? いやしかし…」



 確かにこの功績はいろいろな面で役に立つだろう。だが今ではない。今はだめだ。


 やった自覚すらない上に、未だ自分にそんな力があるとは到底信じられない。再現なんてもってのほかだ。もしここで自分の功績だと吹聴し、国から使節などが来てしまえば、あっという間に大ぼら吹きの犯罪者になるだろう。


 式隆は、記憶が曖昧だという理由の一点張りで必死に説得をした。そして、「森の中で害獣に襲われたジールを式隆が助けたが、どういうわけか彼は精神的にボロボロで、記憶を失っていた」という内容で口裏を合わせようという運びになった。



「まだ家族にしか話していないのでごまかすのは難しくはないです。ただ、あと一か月ほどで定期調査隊が『人殺し』の調査に来ます。『人殺し』が死んだという事実の露見は免れないでしょう」



 娘のミーアが式隆が魔法を使えると思っているのは、この話をするより以前に父ジールから事の次第を聞かされていたためである。


 「内緒にしてね」とは言ったが、どうも分かっていないらしい。不安だ。


 だが、この世界における大まかな目標と行動指針は定まった。帰還方法の模索と、自身の力の解明だ。



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