第39話

 時事本を何年か分をまとめて買ったように思う。とても高かった。確か、就職活動か何かで、時事を勉強したいと思っていた時期があったからだったように思う。今思えばいろんな意味で馬鹿な真似をしたもんだと思う。


時事は、その時期のニュースなどを評論家や学校の先生がいろいろ解析分析したものだ。世の中がこのようになっているのはこういった理由だとか、あの事件が原因だなど、そんな感じの内容だったと思う。


自分の解釈カイシャクにさらに詳しく専門家が説明を加えてくれるので、なんというか知識が広がる感じがした。自分がしていなかった新たな視点が発見でき、意外に面白かった。


義務的ギムテキに毎日何ページ読もうと決めて、それを読むようにする。そんな習慣が自然と身についたりする。とても、なんというか健全ケンゼンだ。チョット変か。


しかし、その健全さの裏にはやや感じ取ることが難しいが、ジレンマというか、社会的ないびつさも感じ取れる。たとえるなら、長年管理職をやっていた方が、熟年ジュクネン離婚したり、子供が問題を起こすなどなど。チョット関係なかったか。


そんなことをついつい考えてしまう。だから小説なんか書いちゃったりするのだろうか。どうしても、自分の楽しい気持ちや発想を誰かと共有キョウユウしてみたくなっちゃう。


もちろん、毎日まじめにコツコツやることを否定するつもりは毛頭ない。社会にとってとても重要なことだ。

しかし、モチベーションの問題だろうか。それ系で組織運営をしても生産性が上がらないと聞いたことがある。矛盾ムジュンしている気もするが。


だから、こうやってニュースなどで出てきた社会の事実をみんなで寄ってたかって、解析カイセキしたり批評ヒヒョウしたりしているのだろうか。


批評された記事を読むと、なんだか自分が頭がよくなった気がする。気のせいなのだが。そして、社会の改善点を空想してみる。経験上積極的に関与カンヨしてはならない。あくまで、自分にできるのは空想なのだから。


現代に生きる我々は、現実と向き合うことで、社会の問題点を解決する糸口を模索モサクする。そのための時事だ。大学や研究機関で研究された手法により、ある程度それらの問題に対する答えが導き出されているようなそんな気もする。


しかし、批評家の方たちはあのように持論ジロンぽいことを展開し、それらのことが取捨選択シュシャセンタクされて社会に受け入れられていくのだろうか。うーん、想像できない。少し自分には難しすぎる。


今日も論客ロンキャクたちの熱弁を右から左へと耳を通り抜ける日々を過ごす。

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