第14話 獄門
「結構かかったわね……」
西の山と東の山の間は、ちょっとした渓谷になっているようだった。
ウェルの言う通り二つの山は切り立った崖。その間である道は踏み均されており、中ほどには見張り用の小さい砦が見える。
「どうする? 私たちはここで少し野営してもいいけど」
空は既に青く暗い、月も出ている。現にフォニーの懐中時計は宵の口を示していた。
三人で
対する二人は一行に疲れた様子を見せていない。息が上がりさえしていない始末だ。
「んん……薔薇様はぁ意外とタフぅなんですねぇえ」
「一言多いわね。そんなに風穴が欲しいのかしら」
ただ、疲れたから休むといえどそう簡単には行かない。ここは敵地の中心だ。
「こぉこで小休止しましょうぅ」
「分かったわ。木偶共は薪でも集めてなさい。私は軽く様子を見て来るわ」
現時点の面々で斥候の役割を果たせるのは薔薇しかいない。
フォニーは疲れた様子の上、そもそも外見が派手で目立つ。巨像も夜闇に紛れられそうではあるが、同様にその巨体は目立つだろう。
マントで身体を包み込み、夜闇に溶けるようにして道の先を進んでいく。幸いなことに、薔薇は夜目も利くのだ。
ぐるりと周囲の森を一周するも、森に人の痕跡は見当たらない。となると、やはり向かうべきはこの道を進んだ半ばにある砦だろう。
夜闇の中、薔薇は感覚を尖らせながら歩みを進める。
伏兵の気配はまるでない。鳥や虫の囀り、獣の鳴き声、風に揺られ木々が騒めく。薔薇自身の呼吸音と、足音。
この島に人が住んでいるとは思えない。都会の喧騒に慣れている薔薇から言わせてみれば、不気味な程に静かだった。
ふと、古い記憶が過る。
「……」
月明かりに照らされた美しい宮殿。空いた窓からは暖かな光と優雅な音楽が飛び出しており、紳士淑女たちは歓談に花を咲かせている。
少し強いアルコールの香りと、謀略の気配。それらに中てられて庭園に出てみれば、刹那見計らったかのように降りかかる炎の雨。
人が焦げる臭いと、死にゆく人々の最期の叫びは、まるで数秒前に起こったことのように薔薇の脳裏に覆い被さる。
「んっ」
頬を叩くことで纏わり付く不快感を振り解き、薔薇は眼前の塔を見上げる。
嫌なことを思い出した。二度と思い出したくない記憶を。
階層で言うと四階建て程だろうか。そこまで高い訳では無い。
道の前後を監視するようにその方向に窓が付いている。しかし、肝心の見張りはどうやら不在のようで、人影のひの字も無い。所々罅が走っている壁の材質は石煉瓦。年季が入っており、爆薬でもあれば簡単に倒壊させられそうである。
入口を覗こうとしたところで、薔薇は気付く。足跡が幾つかあるのだ。屈み込み、よく観察する。
足跡は、動物が残す最も濃い痕跡の一つ。
優れた狩人は、森に残された上位捕食者の足跡から年齢や雌雄、その捕食者が陥ってる状況まで理解するという。狩る者である賞金稼ぎも無論だ。
裸足ということは無論ない。靴裏の模様を見るに、王国では旧式の軍用靴だろう。目算ではあるものの、重心の加わり方、足跡の沈み方により骨格も判別できる。恐らくは男性、それも平均的な身長を考えると上背がある方だ。
足跡は計三人分。あとの二人は、性別は同じだが身長が違うようだ。
身長の違う男が三人、この塔の中に出入りした痕跡がある。今この瞬間に人の気配は無いが、どうやら全く使われていないという訳でもないらしい。
頭の中で「こんばんは」とあいさつをしながら塔内を覗く。中には誰もいない。恐る恐る中に入るも、待ち伏せをされている訳でもない。
石の床には当然足跡が無い。松明を壁に掛ける為の金具には、比較的新しめの煤が付いていた。指でなぞった煤を一瞥し払いながら、螺旋階段を上っていく。
「……見るな」
「いぃえいえ! おぉ気になさらず!!」
「……そういう問題では」
「いぃえいえいえ!! おぉ気になさらずっ!!!」
食事をしたい巨像とその食事を見たいフォニーの攻防が行われているともいざ知らず、薔薇は階段を上り終えた。
見張り塔だけあり、随分と遠くまで見渡せる。上陸の際に見えた崩れかけの石塔も見える。もう少し北に位置していれば、三人が乗って来た帆船も見えるだろう。
森を見回しても異常は一切無い。良い事だ。ここらで切り上げ、二人に合流しようと階段を降りかけた最中だった。森の奥に、一瞬光が見えたのは。
「ッ! あれはッ!?」
すぐにその方向を睨むも、光は消えていた。考えられる可能性は多い。何者かの移動、誰かに向けた合図、エトセトラ。しかも方向は、巨像とフォニーが火を起こしているすぐ近くだ。
螺旋階段を駆け下り、森に入って行く。
誰もいなければそれでいい。もし先程考えた可能性のどれか一つでも的中していれば不味い、最悪のケースそのものである。その中でも、最も危険なのは合図だ。
移動であればまだ二人の位置は敵に伝わってはいない、つまり索敵の段階ということだろう。だがもしあの光が誰かに向けた合図だった場合、味方に二人の位置を知らせているという事になる。そうなると、島民との争いは避けられない。
ただ、薔薇の推測は珍しく外れる。
「へぇ……」
森の中、木々の密集地帯に空いた穴。その最奥の木の幹に光の正体はあった。
地面に落ちたマスケット銃。幾つもの足跡に、ぬらりとした質感の体液が水溜まりのように溜まっている。
「これは少し……」
やつれた肌、剥いた目に表情は恐慌。首を貫通し杭のように幹に打ち付けるカットラスの刀身が月を反射したのが、光の正体だったのだろう。
そんな無惨な状態で殺されたウェルが、そこにはいたのだ。
「面倒なことになったわね」
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