第6話 下水道にて
「暑いだ寒いだってのは、どうやら脳の思い込みだそうよ。私それ聞いて思ったの」
コツコツという足音と、軽快な話し声だけが響く空間で、二人は足早に歩みを進める。
幸い、下水道に配備された見張りはいなかった。だが彼女等は万が一の接敵に備え、小さいランタンを巨像の防護服にぶら下げている。
ここのような暗所では、灯りが遠くからでもよく見える。
既に銃での武装も把握している為、敵が灯りを目掛け遠距離の狙撃をすることも想定すると、最も危険なのは灯りの持ち主だ。
「暑い寒いは触覚でしょ? 同じ五感なら、味覚も嗅覚も強い自己暗示で誤魔化せるんじゃないかって」
「……結果は?」
「無理ね、吐いていいかしら」
巨像が沈黙で認めると、薔薇は手早く布を外し流れる下水を少しばかり増やす。
煉瓦造りの下水道は、悪臭と害虫が充満する場所だった。厚い防護服を着込んでいる巨像はともかくだ。
薄い布一枚の薔薇が耐えられる訳も無く、数分も立たぬ内に
「うう……臭過ぎるわ。麻薬組織は肉食動物しか所属してないのかしら。って言うかアンタだけ狡いわよ! 私にもその服寄越しなさいよ!」
「……サイズが」
「ちょっとぐらい隙間あるでしょ!? 入れなさいよ!」
返答に詰まる巨像に、薔薇は更に
「ハァーアンタはいいわよね! 敵の攻撃とか避ける必要無くて! こないだとか、アンタ敵の砲弾まともに受けて無傷じゃなかったかしら?」
「……あぁ」
「羨ましいわ! 私なんて一撃貰ったら即死亡よ? 砲弾なんて以ての外だわ。なんとか避けて避けて、敵の攻撃を掻い潜って
「……あぁ」
「じゃあなんで砲弾受けて無事なのよッ!
「あぁ」
二人の視線が下水道の先に向かう。
彼女等が聞き取ったのは、今薔薇たちがいる場所に向かう複数の足音。巨像が素早くランタンの灯りを消し剣を抜き放ち、薔薇が両手にナイフとリボルバーを構える。
「――――」
「――――」
不鮮明な話し声と共に、遠くでランタンの灯りが芽生えた。会話の内容は聞き取れない。しかし、複数名がいることだけは確かだ。
薔薇はリボルバーだけを仕舞い、辺りを見回す。そろそろ暗所でも目が慣れてきたところだった。下水道は一本道、接敵は避けられない。ならばこそ、後手に回る事だけは避けねばならない。
彼女の視線が上に向いたところで、彼女はゆっくり口を開く。
「木偶、持ち上げなさい。アンタは案山子よ」
「……狙撃は?」
「射程圏外よ……! そんな便利な道具じゃないのよこの子は。出来て
薔薇の指示通りに巨像の掌の上に乗った薔薇が、巨像が手を上げることにより天井に近付いていく。
彼女は色褪せた煉瓦、その隙間を軽くなぞると、腰元のナイフを両手に構え思い切り天井に突き立てた。
甲高い音が小さく響き、薔薇は確かな手応えと共に切っ先で抉る様にナイフを軽く動かす。そしてゆっくりと、そのナイフを支柱に身体を持ち上げ、天井にぴったりとくっついた。
小さい体躯ながらも確かにある筋肉で体勢をキープしつつフードを落ちないように深く被り、色までも擬態する。単純作業の繰り返しの
人間は足元に意識が向きやすい。何故なら、自分自身が通る道だからだ。
このような警備では尚更、警備兵は「侵入者は地面を歩いている」という固定観念に囚われている可能性が高い。その上、このような脚を踏み外す事を絶対に避けたい場所で上を向いて歩く人間などまずいないだろう。
対して巨像は、剣を抱えるようにして
「ん?」
計三人の見張り。
一人が巨像に気付き足を止める。残る二人も以上に気付き、並ぶようにして止まった。
ランタンを持つ一人が高く掲げる。
橙色の光は舐めるように、巨像の身体の一部を照らした。
「なんだこれ」
訝し気に呟き、警備兵はゆっくりと片手を拳銃に忍ばせながら距離を詰める。
一歩、また一歩。徐々に光が強くなる。
伸びる四肢、防護服の皺、呼吸に動く背中。もしかしたら人間かも知れない。そう警備兵が思った時には既に、彼らは巨像の射程圏内にいた。
「あ」
起き上がった巨像が、片膝を突きながら剣を薙ぐ。
刃は一切の抵抗無く一番前に出ていた兵士の腹筋を断ち切り、脊髄を断ち切り、身体を二つに分けた。
両断された上半身が落ちるよりも、もう二人が声を上げるよりも早く、薔薇が動く。
一番後方にいた兵士の首に降り、肩車のような体勢を取りながら手早くナイフをシースに収め両手に銃を抜く。
降り立った薔薇に、突き付けられた銃口に、反応する暇を与えない。
一切の躊躇いも無く、薔薇が引き金を引いた。
撃針が降り、雷管が爆ぜる。頭蓋の中で銃弾が交差した。
「いやっ」
警備兵の直感が死を感じ取ると同時に、巨像が返した刃が兵士の脚に入っていた。
斬り飛ばされた脚が、ぼとりと音を立てて汚物の流れの中に落ちる。
達磨落としのようにバランスを崩すも、兵士は倒れない。倒れる最中の兵士の口に薔薇が手を当て、同時に彼の頭に冷たい銃口を突き付けたからだ。
「叫ばないで、喋らないで、口を開いたら殺すわ」
銃口に熱を感じながら、兵士が何度も激しく頷く。
薔薇は兵士が怯えていることを確認すると、銃をそっと仕舞い代わりにナイフを首元に当てた。
薔薇と巨像が有す情報は未だに少ない。であれば、情報を聞き出す他無いだろう。これは彼女等による、少々過激な尋問である。
「アンタは何処から来たの?」
「……」
ナイフの刃が
「――――!!!!!」
「猶予は二秒よ。もう一度訊くわ。アンタは何処から?」
「ほ、本部だ……デルガーさんの豪邸から」
「何故ここに?」
「直接指示されたんだ、見て来いって……」
「どこから本部に上がれるの?」
「ここから三つ目の梯子から……豪邸のすぐ近くに出れる」
「そこに警備は?」
「……いない」
その回答に薔薇は眉を顰める。
「木偶、アレ頂戴」
呼びつけた虚像が彼女に差し出したのは、一本の注射器だ。
それを迷い無くナイフ片手に警備兵の右腕の服の上から差し込んだ薔薇は、中で揺れる液体をゆっくりと注入した。
最初は戸惑いと恐怖が入り混じった表情を抱いていた警備兵だったが、液体が体内に入って行く程に徐々に緊張がほぐれていく。目はとろんと溶け、強張っていた筋肉が
「豪邸のすぐ近くに出れる梯子、そこに警備は?」
「あぁ…………五人だ」
「やっぱり、自白剤入れといて正解ね」
彼女が用いたのは、即効性の高い自白剤。
効果は非常に高いが、持続性は極めて短い。本来は後遺症等は残らないが、薔薇等により用いられる倍以上の濃度のそれは、打たれた人間を確実にもう二度と人間的な生活を送れない、廃人にする。
「デルガーはどこ?」
「……いつもは私室にいる。今日は……ミーティング」
「
「ミーティング……豪邸にあいつら用の部屋もある」
「ミーティング室はどこ?」
「……あう」
「屋敷の図面は?」
「……」
「敵の数は?」
「……」
ナイフが頸の皮を突き破った。
焦点の合わなかった目がぐりんと白く剥かれ、切創から噴水のように深紅が噴き上がる。手は糸の切れた人形のように垂れ、小さなうめき声を最後に鼓動が止まった。
「下っ端ね」
警備兵の亡骸から手を離し、ナイフにべっとりと付着した血液を兵士の服で拭い取る。
その間に巨像は兵士の遺体をまるで包丁で料理でもするように剣で次々と細切れにし、汚水の流れに遺棄していく。
殺人は犯罪だが、相手は賞金首に仕える兵士。法的にはグレーゾーンではあるが、一応黒ではない。
「聞いたわね?」
「……五人か」
「何とかなるわ。不意打ちだもの。それより問題は、ここの警戒を頭目が直接命じた事よ」
薔薇たちは毛の一本に至るまで一切の痕跡を残していない。
森を警備していた遺体は茂みに隠してあるし、何かを落としたなんてことも無い。そもそも遺体が見つかっていれば、連中はすぐに厳戒態勢に入っているだろう。
それが無いという事は、薔薇たちの侵入の痕跡は見つかっていないという事だった。それなのに。
「恐ろしく勘がいいか、偶然か……人じゃない何かが味方に付いてる、なんてことは無いとは思うけど」
心配そうに零しながら、薔薇は転がっている警備兵の小指を蹴り落とした。
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