愚王の志
鷹司
朝目を覚ましたら、世界に敵しか居なかった。そんな日があってもいいんじゃないかと、僕は思う。
僕は王様だ。でも、実は仕事はあまり出来ていない。だって僕には、王になる気なんてさらさらなかったのだから。
一応王子様だったわけだけども、母が幼い頃に死んでしまって、しかも五十何番目の末っ子で、半分忘れられていたようなものだった。僕自身、何か秀でた才があるわけでもなかったし。
そんなわけで、まあ一応部屋はあるけれど、自分の使用人も持たない、下っ端中の下っ端の王子だった。
そんなわけで、僕に施された教育は文字の読み書きくらい。使用人が居ないものだから、街に出たりすることもなく、専ら城の図書室に入り浸っていた。
そんなある日、年始めでも無いのに公の場に呼び出されたと思ったら、王になれと言われた。父王はすでに亡く、兄が跡を継いだと聞いていたが、どういう風の吹き回しなのか。
疑問に思っていると、呆れ半分、納得半分といった様子で大臣が言った。僕の知らない間に、血みどろの権力争いがあったのだと。ここ数年は年始めの会も無かっただろうと。
たしかになかった気もするが、あまり気にしていなかった。なんということだろう。王家の血筋は、もう僕しか残っていないそうだ。
頼みの綱が僕とか、終わってない?と自分で思った。事実、政務は無理だよと言った。大臣が安心してくださいと言った。そして今に至る。
一応王になったので、城にいる使用人は全員僕の配下だ。変な感じしかしない。それで、城の外に行ってみたけれども、匂いが濃すぎて戻ってきた。
なんの匂いがといえば、血だ。血で血を洗うどころか、血で国を洗って、血で拭いたかのような有り様だ。
考えてみれば、五十人、いや親戚を含めれば百人は優にいただろうと思われる王族が全滅したのだ。一体何があったというのだろう。
人影を目にしないと思ったけど、そうでもなかったようだ。瓦礫の下の隙間、至る所に人は居た。ボロ雑巾のような、人としての体をなしていないような形で。
できればお布施でもしようかと思ったんだけど、そんな僕の耳に、大臣たちの声が聞こえた。もちろん幻聴だ。あ、僕はまだ若いので、耳鳴りとかそういう感じじゃないよ。記憶が蘇っただけだよ。財政難が大変とか、そういう話をしていた。事情を知らないので、お布施はやめておくことにした。自分で自分の首を絞めるような真似をしたところで、この人たちがどうにかなるとは思えない。
それから2年くらい経った。王になったのが17才、今は十九歳だ。あと少しで成人。ワインはきれいだが、美味しいかどうかはわからない。でも試してみたい。
密かにワクワクしていたが、もう一つ、僕の興味を少しばかり引いたものがあった。相変わらず図書室に入り浸っていたのだけれど、ふと思い立って外に出てみたのだ。
すると、瓦礫の山ではなく、街があった。まだまだ貧弱で、街の半分はスラムみたいな状態だが、それでもそこには街があった。すごいものである。大臣たちの頑張りか、民の頑張りか。僕はそれを知らない。
そうして道を歩いていたら、石を投げられた。おじいさんだ。歯がもうほとんど残っていなくて、何を言っているのかてんでわからない。けれども無礼は無礼。家臣が斬り捨てた。止めようかとも思ったんだけど、聞かれなかったので僕は何も言わなかった。
おじいさんが抱きしめていたのは、おじいさんと思しき若い人物と、妻と娘が写っている、そう古いとは思えない写真。お家騒動の爪痕は、この生命力と幸せに溢れた青年を、おじいさんにしてしまったのかもしれない。
その考えが変に頭に残った。戦争は良くない。僕は絶対、二度と、戦争は起こすまい。そう決めた。せめて僕の関与するところで、起こらないでほしいと思う。
そうして過ごして、誕生日の日。僕がふと目覚めると、首に剣を当てられていた。何が何だかわからないまま、僕は牢屋へ入れられた。
段々と理解してきた。これはきっと、本に書いてあった革命とやらが起こったのだろう。とすると、僕は多分このまま殺される。ギロチンか。僕は死ぬ時思い知るわけだ。首を落とされた後、意識があるか否かを。
牢屋の中は暇だった。食事は美味しくないので、娯楽もない。だから首を落とされて時間があったら、何を考え感じようか、考えることにした。
民の表情を見ようか。それとも、復興したこの街を見ようか。生まれ育った城を見ようか。いや、この血の香りと、誰かの奥さんか、まあもしかしたらお父さんか、誰かが誰かのために作った食事の香りをかごうか。空を見る?青く晴れ渡る青空を?雨が降っていたら、そうしたら雨の音を聞こう。曇りだったら、太陽を探そう。いや、夜かもしれない。夜だったら、僕の星を探そうか。それとも月?いや、夕方かもしれない。それなら紫色の雲を見よう。トンボを探してみても良いかもしれない。
あれやこれやと取り留めもなく考えていると、誰か、人がやってきた。まだ若い――そう、僕と同い年くらいの、青年だ。もしかしたら首謀者だろうか。僕になんの用だろう。直々に殺しに来たのだろうか。僕はギロチンが好みなのに。
でも予想に反して、彼の話は違っていた。明日処刑するが、最後に食べたいものはあるかと。宗教家なのだろうか。それとも、結構優しい人物なのだろうか。いずれにせよ、僕はその温情に甘えることにした。
僕はワインをリクエストした。何故と聞かれたので、せっかく成人したのだから、と答える。何故か相手が笑いだし、僕はぽかんとしてしまった。
そうして彼が去ってから、ワインを渡された。グラス一杯のワイン、ご丁寧に見張りから高級なものじゃないと言われた。
飲んでみると、苦かった。香りは好きだが、これなら香りだけでいい。でも、そう、美味しかった。そんな気がする。
そのまま眠って、また朝が来た。引っ立てられて、ついて行く。まだあたりは暗かったが、断頭台の周りには、多くの人が居た。僕が初めて見る姿だった。つまり、元気そうな姿だった。
階段を登ろうとして、足がふらっとなった。当然だ。だって1日中座っていたのだから。
そうして民が嘲笑する。まあこれは、滑稽だったろうなと思う。なにせ僕と民の間には何ら接点がなく、しかも相手に与える印象など気にしなくていい、これっきりの対面なのだから。
しかし石を投げられたのには困った。痛いのは嫌だし、しかも僕の身体能力では避けられもしない。いでっと言いながら、ふらふらしつつ断頭台へと進んでいった。
ギロチンのところでうつ伏せになる。最後に見るのが汚らしい床というのも癪なので、横を見ていた。空はさっきより明るかった。
ああ、夜明けだ、と僕は思った。そうか朝か、その手があったかと。太陽を見つめる。オレンジではなく、黄色い爽やかな光を。いいものだなあと思う。血の匂いはまだ漂っているけれど、それでも薄くなっている。
死ぬことに関して、僕は恐れを抱いていなかった。僕は別に、この世界に特別の執着を持っているわけでもない。死後の世界、例えば天国みたいなものががあるなら、何だかそちらのほうが楽しそうだし。
ただそう、漠然と決めていたことがあった。僕は何もしない王だ。気づかず、知らず、知ろうとせず。そうして死にゆく王だ。でも僕は、戦争が嫌いだ。この血の匂いが大嫌いだ。なんで兄弟で、親戚で、同じ人間同士で殺し合うんだよ馬鹿野郎。
皆僕みたいだったら、きっと戦争なんて起こらないんだろう。でもつまらないんだろう。でもほら、やっぱり嫌いだから。示してやりたい、馬鹿野郎共に。僕はつまらないけれど、戦争を止められるんだぞと。そうして民に伝えてやろう。戦争すると、こうなるぞと。
ああ、夜明けだ。朝だ。血の匂いがいっとき、太陽の光に飲み込まれる。僕の意識も人生も流れていた血潮もぜーんぶ一緒に、太陽は飲み込んでいった。
目が覚めると、懐かしい声を聞いた気がした。母だろうか。もう顔も覚えていない母。話した記憶のない父。顔も認識していない馬鹿野郎の兄弟たち。僕の人生がそこにあった。
――僕が今いるのは死後の世界かもしれない。ここで時折、僕は夢を見る。話の繋がらない夢だ。色んな人が、話している。愚王の志というだろう、相手の気持になって考えてみろと。きっと親なのだろう。僕かもしれない誰かの話を、子どもたちが聞いていた。
愚王の志 鷹司 @takatukasa
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