大切なことは、小説からは何も教わらなかった
中学時代も本は読んでいた。
中学校では図書室貸出冊数最多の生徒を表彰し、図書券を贈る制度があった。この図書券を私は3年連続で受け取った。毎日2冊(最大貸出数)借りてはその日のうちに読み、翌日返却してまた2冊借りる、のような読み方をしていた。
それとは別に自分でも本を買っていて、ラルフ・バクシ映画版表紙の「指輪物語」や、トクマノベルズ版の「銀河英雄伝説」などを読んでいた。この頃から、読む小説はファンタジーや歴史もの・疑似歴史ものに偏っていった。現代日本舞台のものは読みたくなかった。異なる世界、異なる価値観のものが好ましかった。自分のいない世界がよかった。現代日本の物語では、きっと自分に似た悪役や道化役が嘲笑われているのだろうと、容易に想像ができた。
精神的自傷は続いていた。
中高生当時、本と同等以上にゲームも好きだった。
反射神経がなかったので、コマンド選択で遊べるRPGを主に好んだ。
物語は「王様の
だが、それでよかった。それがよかった。人としてあるべき姿を説いたり、正義と悪を論じたりしてくるようなストーリーが存在しないのは、とても居心地が良かった。
線画で描かれた地下迷宮内、名前と数値ステータスしかないキャラクターたちを操りながら、私は画面の向こうに彼ら彼女らの活躍を自由に思い描いた。
ウィザードリィはもともと米国製のゲームだが、ベニー松山氏による日本語ノベライズ「隣り合わせの灰と青春」「風よ。龍に届いているか」が発刊されていた。氏はシンプルなゲームシステムのひとつひとつに意味を与え、たとえば「転職をすると年齢が上がるのはなぜか」「善のキャラクターと悪のキャラクターは通常同じパーティに入れられないが、迷宮内で合流させると混成部隊が組める(おそらくバグ技)のはなぜか」といった事象に説得力ある理由をつけていった。そうして組み上げられた解像度高い迷宮世界に触れ、私はゲームを「読み解く」やり方を学んだ。ひとたび読み解けるようになれば、HPは血潮の流れになり、ステータスは筋力や知性になり、線画の迷宮は魔物と宝物を蔵する神秘の闇になった。
画面の向こうで生命を得たキャラクターたちの来歴を、当時の私はノートに綴っていた。その現物は現存しないが、思い出せるかぎりだと、各キャラクターのプロフィールは必要以上に陰惨で暗い過去に満ち満ちていた。要はとても「中二」だった。
だが自らの手で生み出した、暗く救いのない物語は、世間に満ちる明るく前向きな中高生向け物語よりも、ずっと安らげるものだった。
◆
人格自己否定と精神的自傷を繰り返し、自己肯定感をまったく持たないままでも、大学受験までは一応順調だった。世間的にそれなりに良いところとされる国立大に現役で合格し、私は都会での生活を始めた。
だが、そこから崩れた。
学ぶべき目的を見失い、単位はとれなくなった。卒業までに、休学期間を含めて7年かかった。
新卒就職は学校推薦でなんとかなったものの、入社できた東京の大企業ではまともに仕事ができず、試用期間で解雇された。
鬱病と診断されて地元へ帰り、私は休養しながら心療内科で各種の治療を始めた。その過程で判明した症状があった。
「特定不能の広汎性発達障害(PDD-NOS)」
発達障害の一種だ。PDD-NOSは、要は「その他区分」である。ADHDやアスペルガー症候群等の基準を満たさないが定型発達とは外れている、そんなケースがここへ分類されていた(現在は診断名が変わっている)。私の場合は「衝動性の強さ」が特徴とのことだった。
また成育歴を確認する中で、消えた記憶の存在も明らかになった。幼少時に教室で泣き叫んでいたのは、理由なき暴走ではなく、登校時のいじめが原因だったのだと私はようやく知った。
信じ込んでいたものが、すべて根底から崩壊した。
暴れて他人を傷つけるのは、己が邪悪だからだと信じていた。だが実際には生まれ持った特性のせいであり、悪しき人格のためではなかった。幼少時の癇癪にも理由が存在していた。自分は、自分が信じていたような悪の権化ではなかったのだ。
信じ込んでいたすべてが崩れ去った後、再構築にはそれなりに時間を要した。
壊れた自分を組み立て直す際、支えとなったひとつは本だった。
河合隼雄氏の「こころの処方箋」は、硬直した内なる固定観念にやわらかく疑問を投げかけ、価値観の再構築の大きな助けになってくれた。
中沢新一氏との共著「仏教が好き!」もよかった。特に「仏教に『幸福』の概念はない」という話がとても救いになった。曰く、仏教が説くのは「楽」であり、それは日なたで犬がのんびりと脱力して寝ているような状態のことである、と。幸福でなくてよい、無理に幸福を追い求めなくてもよい、との気付きは、その後の生をずいぶん楽にしてくれた。
心療内科での治療も続いていた。服薬治療では様々な薬を試した。肝機能を大きく悪化させたり、短期間に5kg太ったりといった試行錯誤の末、相性の良い薬が幸いにも見つかった。衝動性を抑える薬のおかげで、なんとか現在に至るまで、私は怒りに暴走することなく社会生活を送れている。
結局、私を救ってくれたのは精神医療と、現実に根差した本だった。
小説をはじめとする「物語」は、あれだけ私に自己否定の傷を負わせ続けてきたくせに、困難な時には何の役にも立たなかった。
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