1度目で国を滅ぼしてしまった吸血鬼令嬢は2度目を穏やかに過ごしたい

雨成めろ

第1話 あれ、これは2回目なのでは?

その日の天気は土砂降りの雨だった。


 夜の静寂に静まり返った首都アンヘル。雷が鳴り響く夜、薔薇咲き乱れる洋館にはエスメラルダ一族の者達が集められた。

 正確に言えば、エスメラルダ一族の子供とその保護者である。


 広間ではまだ幼い子供達が保護者の真似をしながら跪いている。

 目の前にいるのは偉大なるエスメラルダ一族の当主であるエインリッヒだ。

 訳もわからず連れてこられた子供達は皆、初めて訪れた公爵邸の厳かな空気に呑まれて萎縮しきっていた。



「我が愛しい一族の子らよ。顔を上げなさい」



 2代目エスメラルダ公爵は今3万歳を少し超えた歳だ。


 カルロ帝国の国民は吸血鬼としての能力の差に寄るが、平均寿命は1000年から2000年と言ったところだ。

 それに比べ出鱈目なほど長生きなこの美しい公爵は建国の時代から生きている。そしてまだ老いる気配はない。

 幾度となく代替わりした王族よりも長寿であるエインリッヒは間違いなく、このカルロ帝国で最も強い吸血鬼であった。


 子供達の多くはエインリッヒを見たのは初めてだった。


 エスメラルダ一族の子供達に自我が芽生えてすぐに教えられるのは自分の名前だ。しかし次に教えられるのは両親の名前ではなく、尊ぶべき一族の長・エインリッヒの名前である。

 そしてこう教えられるのだ。

 ───エスメラルダの宝石を守って死ね、と。


 エインリッヒの持つ紫色の瞳と銀色の髪は“エスメラルダの宝石”と呼ばれている。

 その色彩は、人間に迫害されていた古の時代に吸血鬼だけの国を作ろうと立ち上がり聖戦の末にカルロ帝国を築いた時代を生きた初代・エスメラルダ公爵と同じものだ。


 “エスメラルダの宝石”は、かつては一族皆に見られる特徴であった。

 しかし年月を重ね、一族外との婚姻も多くなった今、瞳か髪のどちらかに紫か銀に近い色合いが出ただけでも呼ばれ崇められてしまうような貴重なものである。

 古い吸血鬼は死に、今では完全なエスメラルダの宝石を持つのはエインリッヒだけである。

 そんな御伽噺のような奇跡を前に子供達はかの公爵から目が離せなかった。


 エインリッヒは豊かな長い白銀の髪を編み、肩に流して一族に微笑む。

 奇跡のような美しさだ。

 彫刻のように整った容貌に加えて、見つめた人の心を奪ってしまうような宝石のようなエスメラルダの瞳。

 危険な妖しさのある美貌の長は、彼の長い、永い時をカルロ帝国の宰相として過ごし、多くの皇帝を支えてきた。


 太古より人間は愚鈍な存在であるのにも関わらず、妙な知恵を付けて吸血鬼達を虐げた。その結果、多くの同胞が失われた。

 だから、かつての聖戦で愚かな人間をある一定数まで狩ったのだ。絶滅させると、人間を主食とする他の種に目をつけられてしまう。人間なんかより、それを相手にする方がよっぽど骨が折れる。


 その際に特に目覚しい成果を成した家門の者達には貴族位が与えられた。ロッテンマイヤーとエスメラルダはその成果から最も王族に近い公爵の位が与えられたのだ。

 その直系の子孫たちは“一族”と呼ばれ、他の貴族達とは“区別”された特別なものとされていた。




「今日は皆に頼みがあってね。この子の側仕えを探しているんだ。おいで、リーゼ」




 威厳ある声に緊張しながらも貴族達は顔を上げる。

 公爵はエスメラルダの長であり、カルロ帝国最年長の吸血鬼である尊い御方だ。

 そして彼らは知っている。

 公爵は優しげな口調と慈愛に満ちた微笑みを浮かべているが、その本性は吸血鬼の一族の長らしく誰よりも傲慢で凶悪で尊大で冷酷なのだ。決して刃向かってはいけない。


 そんな絶対服従を誓っている主の傍に子供が駆け寄り、そして主はその子供を抱き抱えた。

 エインリッヒが誰かを抱き上げるなんて信じ難い。けれどその少女はそれくらい特別な存在だと言うことも誰もが一目で理解出来た。




 永い時に飽きたのか、理由は分からないが辺境伯の娘を引き取ったと貴族達は既に噂には聞いていた。

 その子の歳は8つ。辺境伯の長女である令嬢でその類まれなる美貌を気に入って、エインリッヒがいずれ妻とする為に引き取ったのでは無いかという下卑た噂だ。


 そんなスキャンダルを想像していた貴族達は皆、抱かれている小さな女の子の姿を実際に見て瞬時に納得した。何故当主が女の子を引き取ったのか。



 緊張した面持ちでこちらを見つめる少女の瞳は輝く紫色、そして綺麗に結われたその髪は、紛れもなく公爵と同じ銀色であった。

 エインリッヒ以外は絶滅したと言われていた、完璧なエスメラルダの愛し子が再びこの世に認められた瞬間である。





 ───そしてここにもう一人、違う意味で混乱に包まれている者がいた。

 時を遡ること数十分前、少女の機嫌はとても良かった。



 エスメラルダ一族の辺境伯の長女として生まれ、エスメラルダの宝石を持って生まれながらも虐げられ、偶然にもエインリッヒに存在を認知された後は養女として過ごすことになった。

 エインリッヒは自分の事をエインお兄様と呼んでと言ってくれた。


 まだ大人は少し怖いけれど、優しくてかっこいいエインお兄様は大好き。

 今日はエインお兄様がお友達に会いに行こうと誘ってくれて、満開の桜の様に綺麗なお姫様のドレスをプレゼントしてくれた。そしてお兄様の執事のアルトゥルとお兄様がお部屋に迎えに来たのだ。



 そしてふと、なんの前触れもなくこう思ったのだ。



 あれ?あれれ?

 何かおかしい。私、これ2回目だ。

 長いドレスを引きずらないようにとアルトゥルに抱き抱えられて友人となる貴族を探しに来たのはそう、2回目。




「お嬢様、どうなさいましたか」




 アルトゥルは昔から機微に聡く、よく気がつく人だった。

 お兄様絶対主義で、あまり私が賢くなくてお兄様に迷惑をかけてしまう事にいつも苛立っていたし、そんなアルトゥルが怖くて私は苦手だった。

 だから変な感じだ。アルトゥルに抱き抱えられているなんて。

 ………んんん?




「うん、ようやく気がついたかな?」




 混乱する私を覗き込むお兄様は、絶対に何かを知っている顔をして微笑んでいた。


 いつもそうなのだ。


 全てはお兄様の手の上で、いつも余裕そうな顔をしている。でもあの時は本当に驚いた顔をしていて…あれ…?

 あの時っていつだったかしら。




「エインお兄様、私おかしいんです。以前にもこうやって側仕えを探しにいくと言われて……。ジークのピンクの髪がお花みたいで綺麗だってお兄様に言ってからジークは私の側仕えになって御屋敷に来てくれるようになりました。アルトゥルは何故私を抱き抱えているんでしょう。私になんて関わりたくないのでは?そもそもこれは何の記憶…?あ……」




 いつも私はアルトゥルに注意されていた。

 お嬢様は考えた事をすぐに仰る。少しは考えてから順序立てて発言するように、と。

 言い終わってから、思いのままに喋ってしまった事を思い出して叱られると思った。

 そしてまた、その記憶が何なのか分からずに混乱する。




「全く……君は手の掛かる子だね、リーゼ。時間がないから詳しいことは後で話そう。けれど覚えておいて。君は少し失敗したんだ。失敗してカルロ帝国は滅びてしまった。吸血鬼が人間に虐げられる時代がまた始まった。まぁそれは特に興味がないんだけど、君まで死んでしまった。弱ったよ。エスメラルダの宝石を持つ大切な君が死んでしまったんだもの」


「死んだ…?私が…?」


「そうだよ、リーゼロッテ・エスメラルダ。だから兄様が巻き戻してあげたんだ。最初からやり直しだよ。ジークフリートを側仕えに選んだ君は死んでしまった。だから今回は、ジークフリートを選ばない物語を綴るんだよ」




 ジークフリート・エンデルス伯爵令息は柔らかいピンク色の髪を持つ、優しそうで可愛らしい人形のような少年だった。

 皆が遠巻きに自分を見る中、ジークだけが近づいてきてくれて友達になってくれた。

 お兄様に頼んでジークを傍においてもらった。

 王太子様と婚約を結ぶことになって、ジークは喜んでくれた。ジークフリートは頭のいい子だったから、なんでもジークフリートの言うことを聞いて…。あれ…?どうしたんだっけ…?


 記憶がまだ曖昧だ。

 でも10年前とお兄様が言って、思い出したのだ。

 私はリーゼロッテ・エスメラルダ。18歳の王太子妃だった。

 そしてどうやら死んで、お兄様の力により生き返ったらしい。


 お兄様はくすくす笑いながら、大混乱する私をアルトゥルから奪い取って抱き上げる。

 この人は昔からそうなのだ。

 天使様のようだと思っていた幼少期の自分よ、この人は悪魔だよと以前は伝えたかった。

 …それがまさか叶うとは思っていなかったけれど。



「エインお兄様。…今度は間違えませんから」


「そうだね、リーゼ。二度も間違える愚か者は嫌いだよ。兄様と一緒に頑張ろうね」



 辛辣で尊大なエインお兄様と、一度死んだらしい私の二度目の人生は、側仕え選びから再出発した。




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