彼氏危機一髪

神在月ユウ

彼氏危機一髪

 権力者のコミュニティ、というものがある。

 単純な経済力があれば権力を持てるというわけではなく、大企業の社長であっても世間への影響力やコネクションの有無が大きく関わっている。


 五十メートル四方の会場を囲むように、何段も積み重なった劇場のボックス席。その一席一席に座っているのが、いわゆる〝権力者〟と呼ばれる人間たちだ。

 警察や司法関係者、大企業の役員、海外の民間軍事会社関係者などなど、多種多様の権力者たちが見下ろす中、会場の中心に一本の亀裂が生まれる。

 イベントが始まったのだとわかる。

 普通なら「わあー!」と会場が沸くのだろうが、会場の空気はどちらかというと粘着質な冷笑、という印象だ。


 亀裂が左右に開くと、五メートルほど下に、同じような広場が現れた。

 中心には、高さ二メートルはある大きな樽が置かれ、そこには三十歳前後と思しき男と、同年代の女がいた。

 正確には、樽から首だけを出した男と、その傍らに立つ、真っ赤なドレスを着た花嫁衣裳の女、であった。


 ボックス席から「ほう?」と関心を寄せる声が上がる。

「今回は有名な〝彼女〟のプロデュースだと聞いているが…」


「随分地味だな。いや、その判断は早計だな。なにせ〝彼女〟のことだしな」


「さてさて、本日はどのような趣向なのかしら」


 でっぷりと肥えた腹のインフラ大手の会長職の男、眉間に大きな切り傷を持つ世界中で軍事教練を行っている民間軍事会社のCEO、ルージュの引かれた唇を三日月に象る司法関係者が、期待の声を口にしていた。


『皆様、お待たせいたしました。この度の催しを開始いたします』


 落ち着き払った男の声が、会場中に流れる。


『この度のゲストは、若くして多額の負債を抱えた男女です。そして、その二人に課せられた運命のゲームがこちらです』


 各ボックス席に設置されたモニターに、男の収まった樽と、傍らに立つドレスの女が映し出される。


『題して、〝彼氏危機一髪〟。彼には〝黒ひげ〟になっていただきます』


 この説明だけで理解した者と、さっぱりわからない者とで会場が二分される。


『樽のスリットは全部で十箇所。彼女には一本ずつ短剣を差していただきます』


 見れば、確かに男が埋まっている樽には正面に複数の細長いスリットがある。

 女の足元には装飾華美な短剣が、十本ずつ置いてある。

 よく見ると、女の右足首が三十センチほどの鎖で繋がれていることにも気づく。


『短剣一本を刺すと、彼女は百万円を手に入れることができます。二本で二百万円、三本で四百万円、四本で八百万円、五本で一千六百万円と、倍々に増えていきます』


 ルール説明を聞き、会場内の権力者たちが唸り、見世物となっている男女の顔が強張っていく。


『ただし、当たりの一箇所に短剣を刺し込むと、彼は遥か上空へ放り出されます』


 その内容を聞き、権力者たちは全員がルールを理解した。


「が、がんばろう、聡美さとみ

「う、うん、賢一けんいちさん」


 会場中央の男女もまた、震えながらも頷き合った。


「しゃ、借金は、八回刺せば全部返せるけど、む、無理しないでいこう」

「う、うん」

「ちょ、ちょっとでも足しになればいいし、マックスの二億とかまでいかなくても大丈夫なんだし」

「う、うん。そう、だよね」


 二人のやり取りは全てボックス内のスピーカーに共有されている。

 その会話を聞いて、聡い者は今回の催しの趣旨を理解し、にやにやと笑う。


『では、開始前に、ひとつデモンストレーションをご覧いただきましょう』


 二人の横、十メートルほどの床から、同じような樽がせり上がった。樽にはマネキンが収まっている。

 と、

 何の前触れもなく、マネキンが急加速をもって真上に飛び出した。

 会場中心の二人も、ボックス席の権力者たちも、反射的に天井近くまで跳び上がったマネキンを目で追う。

 そして、数秒の沈黙の後、ドガシャッ!!と床に叩きつけられたマネキンが、粉々に砕けた。

 二人の男女は言葉を失い、観客たちは笑みを深くする。


『それでは、お二人とも、ご健闘を』


 そんな空気を無視した落ち着いた声が、遠回しに開始を告げた。






 聡美が短剣を手にして、きょろきょろと樽のあちこちを見る。

 剣の刺し込み口は全部で十箇所。短剣は十本。

 どこを刺せばいいのだろうか。

 どこを刺せば、樽に収まった賢一が放り出されないのだろうか。

 きっと、『当たり』を引けば、賢一はさっきのマネキンのように上に飛び出してしまうだろう。

 上を見上げると、都心でビルを見上げている時と感覚は変わらない。低く見積もっても三十メートル。もしかしたら五十メートルくらいあるだろうか。


「……いくね、賢一さん」

「あ、ああ」


 緊張の面持ちで、一本目を刺す。


 …………………………


 ………………


 ……


 何も起こらない。


「ふぅ……」


 賢一が大きく息を吐き出す。

 聡美の力んでいた肩の力がふっと抜ける。


 各ボックス席では「あぁ~」とため息交じりの声。

 だが、一本目から終わっては面白くないと、改めて自分用のモニターを見る。



「よ、よし、その調子だ。おち、落ち着いて、いこう」

「うん、うん、そうね。落ち着いて、落ち着いて…」


 冷や汗をかきながら、賢一は落ち着けと言い聞かせ、聡美もならう。

 まだ一本だ。

 まだまだ先は長い。

 百万では、まだ全然足りない。


「次、いく、からね…」

「お、おう……」


 二本目を刺す。


 …………………………


 ………………


 ……


 何も起こらない。


 先ほどよりも多くの汗を垂らしながら、賢一は呼吸短くパートナーの聡美を見下ろす。


「だ、だいじょうぶ。だいじょうぶ。ここまでは、大丈夫だ。一箇所、だけなんだ、そうそう当たるわけ、ない。ないよな?」

「だ、だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ……」


 すでに、二人とも緊張で体が震えている。

 まだ二百万。


 まだまだ、足りない。












 樽に、六本目の短剣が刺さるが、今回もセーフ。

 賢一はまだ樽の中に収まっている。


 傍観している身としては、何も動きがないことに飽きがきていた。

 最初は怯える男女の姿を楽しんでいたが、それも慣れてしまった。


「な、なぁ、そろそろ、もう、いいんじゃないか…?」

「え…?」


 そんな時、変化が起きた。


「もう、けっこう手に入ったろ、カネ」

「……えっと、今は、三千万くらい…」


 正確には三千二百万円が、六本目の短剣を刺したことで手に入っている。


「なぁ、もうやめにしないか?これ以上は、ちょっと、リスクが高すぎるし…」


 残りは四箇所。

 『当たり』を引く可能性――賢一が転落死する可能性は、四分の一。

 当たらない可能性の方が圧倒的に高いのに、命をベットすると考えるととても踏み出すことなどできない。


「でも、まだ七千万くらい借金あるんだよ?」


 対照的に、聡美は当初の動揺が嘘のように、比較的落ち着いて見える。


「賢一さんのお父さんが残した借金五千万、わたしの実家の二千万、立ち上げた会社の借金と追徴課税の二千万、親戚から融通してもらった一千万、全部で一億だよ?」


「いいだろ!一気に三千万手に入ったんだ!それを元手に立ち上げ直せば、すぐに一億くらい――」


「そんな考えだから、ここまで状況がひどくなったんでしょ!」


 聡美は声を荒げながら、短剣を樽に刺し込む。


 今回も何も起こらない。


 ボックス席の中では状況の変化によって、白けそうな空気が再度温まり始めた。


「これで、六千万」


「おい、ふざけるな!殺す気か!」


 冷静に金勘定する聡美と、顔を真っ赤にして喚き散らす賢一。

 賢一の言葉を耳に入れていないのか、聡美は次の短剣を手に取っている。


「いいじゃない。会社を立ち上げて以来、今が一番稼げいるんだから」


 本当に、最初の怯え具合はどこへ行ったというのか。

 男女で共に苦難を乗り越えるという構図は、男の生殺与奪を握る女という構図へと、いつの間にか変わっていた。

 

 一見二人で臨んでいるように見えるが、実際はリスクのほとんどを樽に収まっている側が負っている。

 それに加えて、情けなく怯える男の姿が、嗜虐心をそそり、女に自身が強者であると思わせているのかもしれない。


「じゃ、次ね」

「おい、待――」


 もう遠慮も何もない。

 聡美はまた一本刺した。

 

 何も起こらない。


 既に、聡美はもう一本の短剣を拾い上げている。


「な、なぁ!もういいだろう!もう一億超えた!これ以上は必要ない!」

「でも、まだやっとチャラだよ?当面の生活とか、仕事をするにしても、元手はある程度ほしいでしょ?」


 二人の負債は一億円。

 今回の報酬は既に一億二千八百万円。

 もう当初の目的を充分に果たしているはずだ。


 賢一はもう充分だ問題ないと、必死に聡美に訴える。

 聡美はまだ不充分だと更に賢一の命懸けベットを求める。


 リスクを負う者とそうでない者の意識の差が、如実に現れていた。


 聡美は樽のスリットに短剣をあてがう。


「や、やめ――」

「いつも言ってたじゃない?『俺はツイてるんだ』って」


 賢一には、聡美が笑っているように見えた。


 短剣が、最後まで刺し込まれる。



 …………………………


 ………………


 ……


 何も起こらない。



「…………は、ハハ、はぁ……、生きてる……」



 賢一は真っ青な顔で、細かな呼吸を繰り返す。

 冷や汗で、全身びしょびしょだ。


 聡美に対して怒りが湧くが、今はとにかく助かったことを喜ぶ。

 これで二億五千万手に入った。

 借金を返してもおつりがくる。

 これで会社を立て直すことも、いっそ全部投資に回してFIREしたっていい。

 そうだ、命を賭けた結果なのだから、これくらい許されるはずだ。

 聡美のことはその後だ。

 ここから出たら覚えてろ。

 それにしても俺はやっぱりツイている!



 対して、聡美は思案していた。

 本当に、これで終わったのだろうかと。

 一本刺す毎に百万円が倍に膨らんでいく。

 当たりの一箇所を刺すと、パートナーの賢一が樽から弾き飛ばされて落下死する。

 樽のスリットは全部で

 そして、短剣は


「そう、そういうこと…」


 聡美は俯いた。


「おい、喜べよ聡美!これで借金チャラだ!それどころか悠々自適な暮らしが待ってるんだ!これでもう、毎日借金のことなんか気にせずに――、なぁ、聡美…?」


 俯いたままのパートナーの様子に、賢一が怪訝な表情を見せる。

 これで終わったはずなのに、なぜ何も言わない?なぜ喜ばない?


「なぁ、おい!」


 尚も声をかけると、聡美はその場にしゃがんで、最後の短剣を手に取った。


 会場中が沸く。

 

「な、なぁ、お前何して――」


「何って、最後の一本が残ってるじゃない?」


「…………は?」


 賢一は理解できない。

 最後の一本?

 だって、十箇所のうち当たりは一箇所で、もう九つ埋まっていて、残りはだって当たりじゃないのか何を言っているんだこの女は狂ってるんじゃないのかだってそんなことしたら俺は――


「思い返してみるとさ」


 聡美はさも呆れた様な表情で告げる。


「賢一さんって、いつも無計画で、勢い任せで、失敗しても『やっぱりな』とか言って知った風なことばっかりでさ。尻拭いはいっつもわたしだったよね?」


 その言葉は、とても冷え切っており、賢一の背筋を震わせた。


「なんか、落ち着いて考えたらさ、やっぱりこのまま二億五千万手に入れるより、刺しちゃった方がが なくなって賞金も倍になるで、一石二鳥じゃないかって思うの」


「お、おい!考え直せ!なんでも言うこと聞くから!もう何も口出ししないから!俺が嫌いになったならどこへでも行くから!」


「わたしたちにこの舞台の話を持ち掛けてきた若い、あんまり欲張らずにね、なんて言ってたけど、やっぱりさ、あなたと二億じゃ釣り合わないよ」


「なぁ、賞金なんていらないから!なぁ、だから頼むよ俺はまだ死――」


「さようなら」


「やだたすけ――」



 短剣が、最後の一箇所のスリットに刺さる。


 最後まで命乞いもできず、賢一は一瞬にして聡美の視界から消えた。


 樽から直上に放り出された賢一は、急加速により一瞬で意識を奪われた。

 マネキンよりも軽かったせいか、ゴヅン!と天井へ頭からぶつかり、頸椎を損傷した。その体は湾曲した天井部を跳ねる。


「ふふ、これで、、五億がわたしの手に…!」


 もうあんなダメ男に悩まされることもない。

 借金もない。

 それどころか、返済後も四億の金が残る。

 もう何に頭を悩まされることなく、悠々自適に暮らせる。


「ざまぁみ――」


 少しでも感謝してやろうと、聡美は無様に命乞いして飛び上がったバカな男を見上げた。


 瞬間――


 その、バカな男の死相と目が合った。

 その距離、ほんの三メートル。

 時間にして、コンマ一秒。

 咄嗟に逃げようと思っても、体が反応できず、何より足首の鎖のせいで、落下物バカな男から逃れることができない。


 ドガッ!!!!


 顔面同士が衝突し、歯を砕き、鼻骨を砕き、顔面そのものが砕かれる。

 頸椎がとか、圧迫骨折・粉砕骨折とか、そういうレベルの話ではない。

 

 折り重なるように、顔面を粉砕され、操り人形マリオネットのようにあらぬ方向に全身が折れ曲がった男女の死体が、紅の水溜りを広げていく。

 真っ赤なドレスが、別種の赤を吸い上げていった。


『最後はお二人の熱い口づけで締められたようで、何よりです』


 落ち着き払った男性のアナウンスに、ボックス席からは多数の失笑が起こった。

 

 そして、拍手喝采。

 スタンディングオベーションが会場全体を包んだ。


「すばらいいものを見せてもらった」

「これだからやめられない」

「いやはや、やはり女は恐いなぁ」

「たった数億で人間って壊れるものなのね」


 口々に感想を述べながら、一人、また一人と席を後にしていった。







「さすが、かの『Ms.ホワイト』のプロデュースだ」

 とある高級スーツを着た精悍な男が、同じく感嘆の声を上げた。

「あら?どなた?」

 連れであろうナイトドレスを着た妙齢の美女が尋ねる。

「ああ、最近聞くようになった名前でね。ここの仕掛けやシナリオの原案を、まだ二十代そこそこの女性が作っているそうなんだよ」

「あら、そんな若いうちからこんな世界にいるなんて、恐い世の中ね」

 美女はさも冗談めかしたように笑うが、精悍な顔立ちの男は別種の笑いを浮かべた。

「本当に、末恐ろしいよ。確かユキ、という名だったかな」

「あら、浮気はダメよ?」

「ハハハ、そんなわけないだろう。それよりも、この後――」

 何事もなかったかのように、二人は外へと出ていく。



 これが、この国の、権力者たちの娯楽。

 法で裁けない者、世間からのはみ出し者、訳ありの困窮者などなど、『いない方がいいが表立って対処するわけにいかない者』を、面白おかしく、エンターテインメントを添えて楽しみながら処分する。

 限られた者のみが入会を許される、そんな深淵の狂気のサロン。



 今日もまた、そんな娯楽のひとつが、喝采の末に幕を閉じた。











※本作、拙作『白の狂姫』とIFで世界観を共有しております。 

 もし少しでも本作に興味を持たれたならば、こちらも是非。

 https://kakuyomu.jp/works/16817330653400191275

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